Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

Thời gian còn lại:

62

読解
内容理解(短文)
内容理解(中文)
内容理解(長文)
統合理解

Hoàn thành
読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

再見積のお願い

   拝啓

   貴社、益々ご隆盛のこととお喜び申し上げます。

   さて、先般いただいた見積書の件ですが、社内で検討致しました結果、是非お取引を開始させていただきたいと考えております。貴社製品は性能は申し分ないと思いますが、価格の面で考慮いただき、再度見積書を頂けるようにお願い致します。尚、価格で折り合いがつきましたら、納入時期はこちらで考慮させて頂きます。誠に勝手なお願いとは存じますが、よろしくお願いいたします。

1.

手紙の内容について正しいのはどれか。

   会話や文章の中に外来語や外国語を多用すると円滑なコミュニケーションが妨げられる、という指摘がされることがしばしばある。「あの人の話は横文字が多くてわかりにくい」などという話もよく耳にする。「わかりにくい」が個人的な問題で終わる分には害が少ないが、公共施設の掲示や官庁の広報紙、新聞放送などに多くの人が理解できない外来語や外国語が並ぶとなると話は別である。

2.

筆者の言いたいことは何か。

   かつては〈制度〉といえば、ほとんど、国家(法的国家)、地方自治体、政党、結社、学校、会社、組合などといった、明確に実定化(注)され、法制化されたもののことしか、考えられなかった。もともとそのような制度は、私たち人間が集団生活を営み、その集団が大きくなりそこでの人間関係が複雑化し間接化するに応じて形づくられたものである。つまり、そうしたなかで社会生活が合理的に運営されていくためには、社会関係そのものが合理化され、客観的に示されねばならなかったのだ。

(注)実定化:人間が作り出した法として定めること

3.

筆者は、制度とはどのようなものだと言っているか。

液晶画面(えきしょうがめん)で見るいわゆる電子ブックも、 今のところ紙で出来た本にとってかわるほどの勢いはない。 たしかに書籍(しょせき)の出版は、 世のデジタルな進歩だけでは追いつけないものを持っている。 書かれた中身だけが「 本」 ではないのだ。装丁(そうてい)はもちろん、 手に取ったときの感触(かんしょく)やにおい等のデジタルなものにない物理性や、 または目に見えないこだわりもそうだ。 一冊の本は紙で出来たひとつの表現なのだ。

しかし、 そう考えると逆に、 別に ①「 本」である必要のないものが本になって出回っている気がしないでもない。本屋で平積(ひらづ)みになった新刊を(なが)めていると、 表現である以上に紙で出来た商品に思えてしまう時が多いのだ。

( 近田谷大r僕の読書感想文」 国書刊行会による)

4.

①「 本」である必要のないものがとはどのような本のことか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   日本では羊の毛刈りは羊毛を採るというより観光の目玉になっていることが多い。 刈るところを見せたり刈らせてもらったりする。同様に海外では各地で羊の毛刈り競争が行われている。このような行事ではなく仕事として羊の毛を刈るのは重労働だ。羊は 35~40 キロもするし、じっとしていてくれない。バリカンが滑って傷つけるとそこからバイ菌が入って病気になるどこある。また、羊を押さえて刈っていくには技術が必要だから養成学校もあるそうだ。熟練した職人は 1 頭を 1 分で刈るとができ1日に300頭も刈るそうだ。しかし腰痛になる人も多い。料金は 1 頭 500 円ぐらいだからかなり大金が稼げる。そうはいっても厳しい仕事だし季節性もあるから年々なり手が減っている。

   この羊の毛刈り作業を圧倒的に楽にさせる方法が生まれた。日本のバイオ技術が使われている。毛刈りの時期の1ヶ月前に注射をして体に網を被せておく。網は毛が途中で落ちるのを防ぐために使われる。当日服を脱がせるように網を剥ぎ取ると、一緒に毛がついてくる。バリカンで刈ったのと比べると完全に丸裸という感じで全ての毛が採れる。その間たったの3秒だ。だから羊にも優しい技術と言える。今のところ注射の副作用がないそうだから広まる可能性が高い。

1.

バりカンを使った羊の毛刈りの説明に当てはまらないのはどれか。

2.

バイオ技術を使ったやり方の特徴はどれか。

3.

バイオ技術のおかげでないことはどれか。

   住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然のことだ、買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのは、大損害を被る。

   だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1) である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとが、生活のしやすい環境にあって利便性(注2) に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考えからや行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。

   特に、(つい)住処(すみか)(注3) として考えるときは、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうええ、洗濯し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まっていくる。

   自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画をたてたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。その未来図に従って、住むべき場所の見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済情勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。

(注1)有用性:役に立つこと

(注2)利便性:便利さ

(注3)(つい)住処(すみか):人生を終えるまで住む家

1.

世間一般の価値基準として筆者が本文であげているのは何か。

2.

筆者の考えでは、年を取ってから住む家として住居を選ぶときに最も大切なことは何か。

3.

住居選びについて、筆者が最も言いたいことは何か。

 以前、花見をしている時に「桜の花は本当にきれいな正五角形(注1)だね」と言ったら、風情のない人だと笑われたことがあった。確かに、桜の花びらには微妙な色や形、そして香りに加えて、散りゆく美しさがある。花を()でる和歌や俳句は数限りないが 、そのなかに「正五角形」という言葉が使われたことはおそらく一度もないであろう。科学者特有の美意識は、風流とはかなり異質なものなのだと悟った。

 科学において本質以外を切り捨てるためには、大胆な抽象化と理想化が必要である。桜の花びらのたくさんの特徴の中から、「正五角形」という形だけを取り出すと。これが抽象化である。実際に数学的な意味で完全な正五角形を示す花びら少ないだろうか、そこにはあまりこだわらない。これが理想化である。

 自然界で正五角形のような対称性を示すためには必ず規則的な法則があるはずである。花の場合、品種によって花弁(はなびら)(注2)の回転対称性が遺伝子で決定されていることは間違いないから、うまくこの遺伝子を突きとめられれば、花の形を決める普遍的な法則見つかるに違いない。このように、抽象化と理想化によって自然現象は単純に整理でき、普遍的な法則を見つける助けになる。

(酒井邦嘉『科学者という仕事 』による)

(注1) 正五角形:五つの辺の長さが等しい五角形

(注2)  花弁(はなびら):花びら

1.

筆者は、自分が笑われた原因は、どこにあると考えているか。

2.

ここでの理想化とは何か。

3.

筆者の考えによると、花の場合、抽象化と理想化によって何が期待されるか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   眼が意味ある形を見ようとするあまり、無意味な形にまで意味を与える例をこれまで見てきた。

   ところが、眼はまったく存在しないものを「見る」力があるのだ。といっても超自然な能力のことではなく、だれの眼にも備わっている力なのである。

    ①図を見てみよう。二つの図とも、中央にははっきりとした輪郭をもつ三角形が見えるはずだ。ところが、目を近づけて見てみると三角形の輪郭などまったく描かれていないことがわかる。客観的に存在しない輪郭を、(1)眼が主観的に見てしまっているのである。そこで、このようにして見える輪郭を、心理学では、「(2)主観的輪郭」と呼ぶ。

   再び①図を見てみよう。

   上図では、主観的輪郭が描く三角形が背景の白よりもいっそう白く見え、下図ではいっそう黒く見える。実際に描かれている図形よりも、主観的輪郭が描く図形方が、くっきり見えるのである。そして、後者は前者の上にかぶさっているようにも見える。

   主観的輪郭が描く図形は、三角形など直線的なものばかりでなく、②図のように曲線が形づくる図形である場合もある。このようなときにも、①図に見た主観的輪郭の特徴は共通である。

   なぜ客観的には存在しない主観的輪郭が見えるのか。イタリアの心理学者カニッツァーによれば、その理由はおおむね次のように説明される。

   眼は、いつも意味あるより単純な形を求めている。もし眼前に複雑で意味を見つけにくいものが見えているとき、眼は不安定になる。だが、それがある形によって隠されているために無意味になっているのであれば、その隠しているものの形を見定めることにより、眼は安定するのである。その形が主観的輪郭が描く形なのである。

   この説明は、主観的輪郭線の特徴をもよく説明してくれる。主観的輪郭が描く図形が他を圧してくっきりと見えるのは、主観を補強して、この描かれていない形を確かなものとして見ようとするためである。背景となる図形にかぶさって見えるのは、(3)そのことが成立条件なのだから当然のことである。

   存在しないものを見る。だから、この主観的輪郭は錯視のひとつとされている。しかし、現実空間でも、実際にはないものを見てしまうということは、あり得ることである。やはり、主観的輪郭は、眼の力のひとつの現われではないのだろうか。

1.

(1)眼が主観的に見るとあるが、ここではどういうことか。

2.

(2)主観的輪郭の特徴として文中にないのはどれか。

3.

(3)そのこととは何か。

4.

この文章が、述べようとしていることは次のどれか。

「ロハス」は原産地がはっきりしている。

  アメリカである。

  Life-styles of Health and Sustainability-健康で持続可能性のあるライフスタイル―の頭文字をとった造語である。(中略)

  環境問題の用語になじみにくいものが多いのは、それに取り組むのがいつも後手後手で外来の研究や思考に頼らざるをえない日本の姿を反映しているが、なかでも頭が痛いのは、このSで始まる語になかなかよい訳語が見付からぬことである。しかも、このsustain(支える、維持する)という言葉は環境問題を考える上での、いちばん中心にある概念なのだから、厄介である。環境が維持できる可能性(sustainability)の範囲内に人間の営みを限ろうというのだから。   こんな目に遭わねばならないほど、私たち日本人は昔から自然環境に無関心、無頓着(むとんちゃく)(注)だったのかとゴえば、歴史的、文化的に見るとそんなことはない。

  その証拠のひとつは、環境分野で初のノーベル平和賞の受賞者、ケニアのワンガリ.マータイ女史が世界に広めようとしている「もったいない」という言葉である。(中略)柳文字好きのわが政府がやっている運動を外国人が日本語で表現したことが(本人にはその意図はなくとも)何とも皮肉であるが、もっと皮肉なのは、「もったいない」が原産地ではほとんど死語と化していることだ。

  かつて雑誌の編集長をしていた私は「今どきの若者」を表現する意味で、「新人類」という語を世に送り出したことがある。ほとんどジョークのつもりだったのが、若者への違和感を深めていた「旧人類」たちにアピールしてしまい、流行語になった。“発信元 "の編集部には、「新人類」の定義、リスト、年齢などの資格要件などについての問合せが相次ぎ閉校(へいこう)(注2)した.その時、私がr新」と「旧」とを分ける分水嶺(ぶんすいれい)(注3)として用いたのが「もったいない」だった。食うや食わずの幼時体験があって、「もったいない」と思わず口にする世代と、大量生産、大量消費の時代に育って「消費は美徳」と刷り込まれ、「もったいない」という言葉を知らない世代。それが分かれ目だと説明したのである。

  マータイさんが古い日本語を復活させてくれたことに感謝したいところだが、「もったいない」には3R(注4)どころか「持続可能性」に通ずるものがある、もともと日本人の持っていたが消えていったということは、 ①それが示していた内容が消えたということである

  それはこの語を知らない人たちのせいというよりは、その語を忘れようとした人たちせいだろう。とにかく、「忘れた世代」と「知らない世代」とが、ともに大量生産、大量消費、大量廃棄の、今日に至る私たちの社会を作ってきた。そこに新旧の別などなく、多くの流行語が②そうであるように、「新人類」などというのはまことに軽薄、軽率な造語だった。

(筑紫哲也 『スローライフ」岩波書店による)(注1)無頓着(むとんちゃく):気にしないこと

(注2)閉口(へいこう)する:困る

(注3)分水嶺(ぶんすいれい):雨水が異なる水の流れに分かれる境界、物事の分かれ目になるところ

(注4)3 R:リサイクル(Recycle.再資源化)、リユース(Reuse、再使用)、リデュース(Reduce.ごみを減らす)の3つを指す環境用語

1.

筆者が述べていることと合っているのはどれか。

2.

ここでは、「もったいない」はどのような言葉として述べられているか。

3.

①それが示していた内容とは何か。

4.

②そうであるとはどのような意味か。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   ウサイン・ポルトが100メートルを何秒で走ってもわれわれの生活が変わるわけではない。急に収んが増えるわけでも、 夏休みの宿題が片付くわけでもない。

   それなのになぜだろう。ジャマイカ出身の、 この傷気な二十三歳の青年の記録への挑戦(ちょうせん)が、これほど人の感動させるのは。

   ベルリンでの世界陸上選手権(りくじょうせんしゅけん)で、100メートルに続き、200メートルでも世界新記録を打ち立てた。後半100メトルのタイムは、実に9秒27! 先の100メートルでは自己(じこ)の持つ世界記録9秒69を一度に0秒11も縮めた。テレビの解説者によれば、一本来は0秒01縮まっても興奮する世界だ」 そうだ。確かに過去の更新(こうしん)も0秒05ぐらいの短縮(たんしゅく)がせいぜいであった。文字通り「けた違い」の記録だ。

   どんなに「 超人(ちょうじん)」 に見えても、 この長身(ちょうしん)の青年も、 われわれ六十何意人かの一人にすぎない。その1人の青年がわれわれに人類の可能性を示してくれたのだ。

( 「筆洗」 2009 月22日付け東京訢新聞朝刊による)

B

   ベルリンで開催(かいさい)されている世界陸上選手権で、 100メートルの世界新記録が生まれたと思ったら、すぐに、 200メートルでも新記録が樹立(じゅりつ)された。もちろん、 ジャマイカ出身のウサイン・ボルトである。

   100メートルのタイムは9北京(ぺきん)オリンピックで自ら出した世界記録を0秒11も縮めた9秒58、 200メートルは19秒19だ。

   確かに、 これはおどろくべき記録なのだろう。 今までになかったことなのだろう。 新聞やテレビが大騒ぎするのもわからないでもない。日本の選手はいまだに10秒の壁も破れないでいるのだから。

   しかし、 どうだろうか。 疑問に思うのは、 その報道(ほうどう)の仕方であるジャマイカの選手が新記録を出したら、 日本人選手もという気になって、 根拠(こんきょ)もないのに期待をふくらませ、 特にテレビの報道が過熱する。そして、 選手はプレッシャーに負けて惨敗(ざんぱい)する。 そのくり返しである。

   いつになったら、 なぜ日本選手は100メートル走で勝てないのか、 その科学的分析ができるようになるのだろうか。

1.

AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。

2.

新記録誕生のマスコミ報道(ほうどう)について、 Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

今回の世界新記録が今までの記録と違うのはどんな点か。