Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   イジメの問題は、おそらく現代の教育の最大の問題であって、「落ちこぼれ」や「暴力」と重なることもあるにしても、それ以上に重要な問題としてある。イジメは昔からあったにしても、学校社会と子ども社会が二重であったころには、先生に受け入れられる子が仲間からいじめられたりして、それなりのバランスがあった。このごろではイジメラレっ子は、学校社会からのハミダシであって、先生のほうが内心で暗黙(あんもく)(注1)了解(りょうかい)をしているケースがよくある。「いじめられる側にもそれだけの理由がある」との言が、しばしば教師から語られることは、その背景で理解すべきだろう。

   これは、おとなの社会の反映、もしくは先どりとしてある。これからの社会で、ハミダシをいじめることが進めば、学校以上に陰惨(いんさん)(注2)人間社会が生まれるだろう。この意味でも、イジメの問題は現代の教育にとって重要性を持っている。

(森毅「生きていくのはアンタ自身よ 」PHP研究所)

(注1) 暗黙(あんもく):考えを表に出さないこと

(注2) 陰惨(いんさん)な:暗く悲惨(ひさん)

1.

文章の内容と最も合っているものはどれか。

   今年も中学合唱コンクールの模様が放映される時期となった。若い出場者たちのひたむきで気持ちのこもった歌声は、聴く者の心を素直に感動させる。合唱には、オーケストラやバンドなどの演奏とは違った魅力がある。まず合唱では、自分の声が楽器になる。同じ音色のものは二つとしてない楽器だ。そんな個性豊かな楽器たちは、ともすればバラバラになりがちだが、それが一つになった時に生まれるハーモニーには、何物にも代えがたい美しさがある。中学生という多感な年頃に、多様な個性を持つ生徒たちが力を合わせ、時にぶつかり合いながら、練習に励んでき。そこにはどんなドラマがあっただろう。そして、今年はどんなハーモニーを私たちに聞かせてくれるのだろ、今から期待に胸が膨らむのである。

2.

筆者は合唱の魅力をどのように考えているか。

   職場というのは、 本当に不思議な存在だと思います。 家と同じように、 「 いってらっしゃい」 といって送り出し、 「 お帰りなさい」 といって迎えてくれる職場もあれば、 お互いに声をかけることなく、 誰がいつ出社(しゅっしゃ)したのか、 退社(たいしゃ)したのかさえわからない、 そんな職場もあります。 人が集まれば、 そこに何らかの感情の交流が起こります。 お互いによい感情を伝え合うことができれば、 職場が家庭のように自分が帰る場所、 自分の居場所になっていれんさくのに、 負の感情が連鎖(れんさ)してしまうと、 自分を追い詰める場所、 関わりたくない場所に変わってしまいます。

( 高橋克徳「 職場をイキイキさせる方法」 本2009年10月号」 講談社による)

3.

筆者のここで最も言いたいことは何か。

   かつては〈制度〉といえば、ほとんど、国家(法的国家)、地方自治体、政党、結社、学校、会社、組合などといった、明確に実定化(注)され、法制化されたもののことしか、考えられなかった。もともとそのような制度は、私たち人間が集団生活を営み、その集団が大きくなりそこでの人間関係が複雑化し間接化するに応じて形づくられたものである。つまり、そうしたなかで社会生活が合理的に運営されていくためには、社会関係そのものが合理化され、客観的に示されねばならなかったのだ。

(注)実定化:人間が作り出した法として定めること

4.

筆者は、制度とはどのようなものだと言っているか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   ハチドリという鳥を知っているだろうか。鳥のうちでいちばん小さく、体長わずか3センチという昆虫(こんちゅう)のような種類さえある。小さな巣を作って、 豆粒(まめつぶ)ぐらいの卵を産み、 花の(みつ)を食物にしている。 小さな(つばさ)をプーンと(ふる)わせ、 飛びながら花の(みつ)を吸うハチドリを初めて見た人は、 なにか童話(どうわ)の世界にいるような気がするに違いない。

   でも、 この鳥はこの現実の世界に生きている。①こんな小さな鳥が生きるということはそれ自体が不思議である。 なぜなら、 こんな小さな鳥は生きていられるはずがないからである。

   鳥は我々と同じく、 温血(おんけつ)動物つまり恒温(こうおん)動物である。 体温は外気(がいき)と関係なく一定に(たも)たれている。それが保てなくなったら、 人間が凍死(とうし)するのと同じように死んでしまう。 ところが、 体がこんなに小さいと、 体積にくらべて体の表面積(ひょうめんせき)(いちじる)しく大きくなる。つまり、 体温を保つのに必要な熱を発生する体の大きさの割に、 熱が逃げて行く表面積が大き過ぎるのである。 そこで、 ハチドリが生きていくのに込要な体温を保つには、 体の表面から逃げていく熱を絶えず(おぎな)っていなくてはならない。 そうでないと体温はたちまち下がってしまう。

   ハチドリは熱帯にいるから、 そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。 しかし、 実際に ②ハチドリの「 経営状態」 、 つまり食べたもの( 収入) と体温維持のための熱発生( 支出) の関係を調べてみると、 入るそばから支出されて行き、 何とか収支が合うようにできていることがわかる。収入が断たれたら、 数時間のうちに倒産(とうさん)してしまう。つまり、 食べるのをやめたら、 たちまち熱発生も止まり、 体温が降下(こうか)して、 凍死してしまうのである。

   ハチドリも夜は木の枝にとまって眠らなければならない。 毎日12時間近く食べずに過ごすわけである。 本来なら、 この間にエネルギーの(たくわ)えが()き、 体温降下と凍死を招くはずである。 にもかかわらずハチドリは、 何万年もの間ちゃんと生きている。 なぜか。

   それは、 彼らが毎晩、 冬眠(とうみん)するからである。 熱帯の夜はけっして暑くない。気温は20度を割ることさえある。 ハチドリは夜が来ると、 温血(おんけつ)動物であることをやめる。 体温調節をやめて、 爬虫類(はちゅうるい)のような冷血(れいけつ)動物になってしまうのだ。体温は一気に気温のレベルにまで下がる。 呼吸もごくわずかになり、 筋肉も動かなくなる。 だから、 夜、 眠っているハチドリはかんたんに手で捕まえられるそうである。 そして、 朝が来て気温が上がると、 ハチドリの体温も上がる。 体温が一定の温度を超すと、 ハチドリは目覚め、 恒温(こうおん)動物となって、 花の(みつ)を求め、 飛び立つのである。

   ③そんなわけで、 この宝石のように美しいハチドリは、 一年中長雨(ながあめ)の降らない、 昼は一年中気温が高くしかも夜はかなり冷える土地、 主に中南米(ちゅうなんべい)の一部にしか住めないことになる。 もし、 中南米の気候が変わって、 雨が多くなるか、 冬ができるか、 夜も暑くなるかしたら、 そのどの一つの変化はろによってもハチドリは(ほろ)びるだろう。 その誕生とともに持って生まれた遺伝(いでん)仕組(しく)みと環境とが矛盾するからである。

( 日高敏隆「 人間についての寓話」 平凡杜による)

1.

①「こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である」 のは、 なぜか。

2.

ハチドリの「 経営状態」 とは、 どういう状態か。

3.

③「そんなわけ」 とは、 どういうことか。

4.

この文章から、 ハチドリについてわかることはどんなことか。

   威張るのはよくないと思っている人が多い。しかし、威張るとは自分の役割に忠実になることである。そして役割に忠実になるとは、自分の権限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気をもつということである。たとえばスチュワーデスが「お客さま、お煙草はサインが消えるまでお待ちいただけないでしょうか」というのは自分の責任に忠実な瞬間である。出すぎたことでもないし、生意気をいっているわけでもない。教授が学生に「レポートは事務室に提出のこと。拙宅に郵送しても採点しない」というのは教師の①権限を発揮しているわけで、権威主義とか押しつけというわけではない。

   自分の役割を明確に打ち出さないから後で後悔したり、人に無視されたり、なめられたりするのである。組織とは役割の束である。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くのである。②遠慮は無用とはこのことである。ところが給料は役割に払われていることの自覚が足りない人がいる。いつもニコニコして人の和を保っている好人物であるという理由で給料をもらっているわけではない。権限と責任を発揮するという契約を果たすからこそ給料をもらっている。つまり給料をもらうには気合がかかっている必要がある。これを私は威張ることをためらうことなかれと少し極端に表現してみたのである。

1.

筆者が言う①権限を発揮している例としてふさわしいものはどれか。

2.

筆者は、何に対して②遠慮は無用だと言っているか。

3.

筆者の考えと合っているものはどれか。

わが国の文章の書き手として、想像・想像するという言葉をもっともよく使ったのは、おそらく柳田国男であろう。民衆に伝えられる生活の慣習、用具などに残る手がかりをつうじて、なつかしい(注1)こ古そう層へとたどるみんぞく民俗学の、わが国での開拓者として、柳田にはこの言葉がきわめてたいせつなものであった。

柳田は、それと空想・空想するという言葉とを区別しようとした。その文章の執筆の時期や、あつかう対象、また語りかける相手のちがいにつれて、柳田の行なった空想・空想すると、想像・想像するの区別には、いかにもはっきりしている際と、そうでない場合がある。しかし後の場合も、空想・空想することをしだいに正確にしてゆけば、想像・想像するにいたるという、段階的なつながりにおいて――(注2)あい接し、境界がぼやけていることはあるにしても、その上辺と下辺では、ちがいがはっきりしている、という仕方で――使われている。

具体的な根拠のない、あるいはあってもあいまいなものにたって行なうこ古そう層への心の動きを、空想・空想するとし、よりはっきりした根拠にたつ、しっかりした心の働きを、想像・想像するとして、柳田は使いわけているのである。そこで時には、やや、、とか、あきらかに、、、、、とかいう限定辞をかぶせねばならぬのではあるが、空想・空想するには、人間の心の働きとして、マイナス・消極的評価のしるし、、、がついており、想像・想像するは、プラス・積極的評価のしるし、、、がついている。

(大江健三郎『新しい文学のために』による)

(注1)こ古そう層:ここでは、古い時代

(注2)あい接し:互いに接し

1.

柳田が使う「空想・空想する」と「想像・想像する」にはどのような関係があると筆者は考えているか。

2.

柳田が「空想・空想する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。

3.

柳田が「想像・想像する」という言葉を使うのはどのようなときだと筆者は考えているか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   診察室でときどき、「この先、生きていても、これ以上いいことはなそうな気がする」「やりたいことはだいたいやってしまったので、ここで人生が終わってもまあまあ満足」という言葉を聞くことがある。それも、七十代、八十代の人の口からではなく、二十代や三十代の若い層からだ。(中略)

   おそらく彼らは、「何と何をやったから、もう自分の人生に悔いはない」と具体的な決意を述たいのではなく、「なんとなく楽しい時期はもうすぎてしまった」という気分を表現したいだけなのだろう。(中略)

   では、この「終わった」という感覚はどこからやって来るのか。おそらく原因には個人的な要素が強いものと社会的な要素が強いもの、ふたつが考えられるだろ、まず個人的なほうだが、いまの若い人たちには「楽しいのは十代のうちだけ」という価値娊が広がっているように思える。最近、フィギュアスケートやゴルフなどで注目を集めた選手は十代。繁華街にあるファッションビルでいちばん元気がいいのも、十代をターゲットにした商品が扱われているショップだ。逆に「おとなにならなければできないこと」は減り、お金さえあれば、十代が高級な寿司屋やレストランに出入りしても、誰にも文句は言われない。そういう状況にあって、「ハタチを過ぎれば、もう楽しいことはない」と考えろ人が増えてもおかしくない。

   しかし、若い人の「終わった」という感覚の背景には、もっと社会的な要因もあるのではないだるうか。すなわち、高度経済成長期や文化の爛熟助などを過ぎて、バブル崩壊後の長期不況を軽た現在、日本全体に「楽しい時期は終わった」という感覚が広まっているのではないか。冷蔵庫やクーラーもまだなく、誰もが物質的な豊かさが心の豊かさに通じる、と信じて疑わなかった昭和の時代を懐かしむ映画やドラマが盛んに作られていることからも、多くの人が「昔のほうが今より楽しかった」と思っているという雰囲気が伝わってくる。リアルタイムで昭和の時代を経験していない今の十代でさえ、「どうやら元気のいい時代は終わったらしい」と感じているのではないだろうか。

   あえて言えば、「もういいことはない」と言っている人が年をとったのではなく、その人がいる社会自体が年をとった、ということなのかもしれない。社会や国にも年齢があるのかどうか。についてはいろいろな議論もあるだろうが、「途上国」から「成長国」、そして「安定国」へ、という国の歩んできたプロセスは、人間のライフコースになぞらえることができる。(中略)いまさら経済力を高め、他国との競争に勝ってさらなる豊かさを追求するよりも、”よい若いか”を模索して実行し、後に続く国の手本になる方が得策だと思うのだが、そういう声もなかなか大きくならない。「美しい国へ」が「美しく老いる国へ」と方向転換できれば、「もう楽しいことはないから希望もない」という若者の虚無感もむしろ軽くなるのではないだろうか。 

(香山リカ「悩み」の正体 』岩波書店よる)

1.

若い人たちが「終わった」という感覚を持つ個人的要因として、本文の内容と合うのどれか。

2.

若い人たちが「終わった」という感覚を持つ社会的要因として、本文の内容と合うのはどれか。

3.

社会自体が年をとったとあるが、それはどのような状態か。

4.

筆者は、日本がこれからどうあるべきだと述べているか。

   ことばがこうして、いいとか、悪いとか価値づけされて受けとめられている、ということは、ことばが、人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味で、ことばが人間を支配している、ということを示している、 と考える。「近代」 が「混乱」であり「地獄」 であると思い込む者は、「近代」と名のつくものを、考えるよりも前に、まず憎むであろう。他方「非常に偉い」ように感じている者は、冷静に見てみるよりも、まずあこがれるであろう。①人がことばを憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしてはいない。 逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。

   このような事情は、「近代」に限らない。これは私たちの国における翻訳語の基本的特徴なのである。 ②翻訳語の成立の歴史について考えるとき、これを単にことばの問題として、辞書的な意味だけを追うというやり方を、私はとらない。ことばを、人間との係わりにおいて、文化的な事件の要素という側面から見ていきたいと思う。とりわけ、ことばが人間を動かしている、というような視点を重視したい。

   たとえば、「近代」 は modern などの西欧語の翻訳語として、1 世紀前頃から使われるようになったことばであるが、modern を中心に見れば、 ③このことばは、「近世」とか、その他いろいろなことばに翻訳されている。しかし、とくに私が、「近世」その他ではなく、「近代」という翻訳語に注目し、ここでとりあげる理由は何か。それは、とくに「近代」 が、人々を惑わせることばになりがちだからである。

   ことばが憎まれたり、あこがれられたりするような事情は、ことばの通常の意味、辞書的な意味からは、どうしても出てこない。それだけに、従来ことばについて専門的に考察する人々に、ほとんど無視されてきた。だが、見過ごされてきたにもかかわらず、ことばの問題としても、また学問・思想、広く文化の問題としても、とても重要なこと、と私は考えるのである。

   私は、翻訳語の成立の事情を考察するとき、以上のような視点を重視している。つまり、ことばの、価値づけられた意味である。そしてそのことは、ことばの乱用、流行現象、ことばの表面上の意味の矛盾、あるいは異常な多義性、というような面からとらえていくことができる。逆に見れば、「近代」などの翻訳語は、こうして乱用され、流行することによって、翻訳語として定着し、成立してきた、と言うことができると思う。

1.

人がことばを憎んだり、あこがれたりしているとは、どういうことか。

2.

筆者が考えている②翻訳語の成立の歴史とは、具体的にどのようなことか。

3.

このことばとは、何を指しているのか。

4.

この文章で、 筆者が最も言いたいことは何か。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   婚姻(こんいん)(注1届を出すには、姓を夫婦どちらかのものにそろえなければならない。いまの民法(みんぽう)はそう定めている。姓を変える妻か天は、もとの姓で積み重ねてきた仕事の実績や人間関係のリセット(注2を迫られる。特に働く女性には抵抗感を抱く人が少なくあるまい。(中略)そこで希望する夫婦に限って結婚前の姓を選べるようにする。それが①選択的夫婦別性(べつせい)だ。

   選択的夫婦別姓への改正を法制審議会(ほうせいしんぎかい)答申(とうしん)したのは13年前。以来、導入を阻んできた反対論は次のようなものだ。夫婦が同じ姓を名乗(なの)るのは日本の伝統であり、文化だ。夫婦別姓では家庭のきずな(注3)が崩壊する。なにより子どもが混乱し、教育上よくない。だが、家族のきずなは同じ姓だからといって保たれるわけではない。(中略)

   政府は法案の提出をためらうことなく、国会は議論を先送りしないで決着をつけるべきときである。

                                                             (「朝日新聞」2009年10月16日)

(注1) 婚姻:結婚すること

(注2) リセット:再び初めの状態に戻すこと

(注3) きずな:家族・友人などの結びつきを離れないようにつなぎとめているもの

 

 

 

 

 

 


(

B

   婚姻時(こんいんじ)に夫婦が同姓(どうせい)別姓(べっせい)を選択できる①選択的夫婦別姓(べっせい)制度の導入が現実味(げんじつみ)を増してきた。しかし、自民党などの保守系議員から「家族の一体感を損なう」「親子が違う姓になるのは子の福祉に反する」といった反対論が強く出され、法改正が見送られてきた経緯がある。(中略)

   毎日新聞が96年に16〜49歳の女性約3500人を対象に実施した世論調査では、56%の女性が制度に賛成したが、5人に4人が自らは別姓にしたくないと回答した。あくまで「選択的」であり、少数派の意思を尊重しようとの民意(みんい)が調査結果からは読み取れる。

   その観点から考えても、制度導入には前向きの姿勢で臨むべきだ。

                                                                        (「毎日新聞」2009年10月6日) 
1.

AとBの下線部①選択的夫婦別姓とは何か。

2.

選択的夫婦別姓について本文中に出てきた反対論と違うものを選べ。

3.

選択的夫婦別姓制度についてAの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。