Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   写真をとられるときなどに、手をどこにおこうかとかんがえはじめて困惑してしまうことがある。両手を前で重ねて組むか、後ろで組むか、それとも脇のばしておくのがよいか、手はまったくあつかいにこまるのだ。それというのも、手や指は否応なしに、その人間の意識の方向や意思や気分などをあらわしだすものであり、その過剰な意味作用が人間のからだをわざとらしく、ぎこちないものにしてしまうからだ。

1.

筆者はどうして困惑してしまうのか。

   ()の打ちどころのない人間は、いません。誰でも、どこか欠けています。欠けているところだけみつめると、自分はダメ人間だと思えてきます。劣等感(れっとうかん)とも言います。

   劣等感を忘れるときがあります。それは強いものの仲間に入って、「劣った人間」をばかにするときです。ほんとうは強くないのに、生まれつき強いものの仲間であるような気になって、劣等感から解放されます。

   差別されるものに、劣ったところがあるのでなく、差別するほうに、どこか劣ったところがあるのです。劣ったところを忘れるために、自分たちは強い仲間だという、つくり話をかんがえだします。自分たちは正常の人間だが、相手はきずものだときめつけることもあります。

(松田道雄『私は女性にしか期待しない』可岩波書店)

2.

文章の内容と最も合っているものはどれか。

   長時間飛行機などの乗り物の中で体を動かさないでいると血管の中に血の塊ができて、血管を塞ぎ、時には死ぬことさえあります。この病気は「エコノミー症候群」と呼ばれています。これを防ぐために一番いいことは歩くとです。2~3時間に1回歩くことや軽い運動をするのがいいです。しかし隣の人が寝ていたりするとなかなか席を立つことができないかもしれません。そんな場合は1時間に1回ほど(かかと)や爪先を上下に動かしたりして血の流れを確保するのがいいです。また水分を摂ることも必要です。水やお茶を飲みましょう。よくビールなどを水代わりと言って飲む人がいますが、アルコールは体の中の水分を排出する働きがありますから、かえってよくないです。以上の注意を守って楽しい旅行をしてください。

3.

「エコノミー症候群」を防ぐためにどうしたらいいと言っているか。

「負けたい」と思う人間はいない。

   ビジネスで競争相手を制してうれしくないわけがなく、議論に勝てば、気分が悪かろうはずがない。

   だが、勝ちにこだわりすぎて、負けを恐れるのはどうか。

   たとえば仕事でも、勝ちにこだわりすぎると態度を明らかにできなくなる。自分が出した提案が却下(きゃっか)されれば(注1)、負けになるため沈黙(ちんもく)するしかないのだ。

   勝ったり、負けたりしながら、よりいい仕事ができるのだし、人間関係も深まるのである。

   自分の提案が、反対意見をすり合わされることによって、すぐれた方針(ほうしん)として結実(けつじつ)する(注2)といったことはいくらでもある。反対意見が噴出したからといって、負けではないのだ。

   提案が最終的に決まった方針の土台(どだい)(にな)ったのなら、これは「ほどほど」の勝ちというべきだろう。

                                      (斉藤茂太「心をリセットしたいときに読む本 』ぶんか社)

(注1) 却下(きゃっか)する:取り上げない

(注2)  結実(けつじつ)する:結果が出る

4.

筆者の考えとして正しいものはどれか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   結婚しない人が増えているというが、先日、 ある調査で 独身男女の結婚観に開きがあることが分かった。

   一昔前までは、 「 男は外で働き、女は家を守る」 という考えが男女ともに主流であったが、 最近の男性は結婚相手が自分より年収が高くてもいい、女性にもある程度は(かせ)いでもらいたいと考えている人が7割を超えるという。 不況の今、 自分の収入だけで妻子(さいし)を養う自信はない。だから女性にも 稼いでほしいという本音(ほんね)がうかがえる。

   一方、女性はというと、「自分が働かなくても()(けい)が成り立つ人と結婚したい」 と考えている人がほとんどだった。女性の社会進出が進んだ今でも、高収入の男性と結婚し出産後は専業主婦(せんぎょうしゅふ)に、という価値観はまだまだ支配的なようだ。

   こういう独身男女を「わがままだ」 と非難(ひなん)するのはたやすいが、 貧富(ひんぷ)の差が広がる、 いわゆる「 格差(かくさ)社会」 という現実に直面(ちょくめん)している彼らにしてみれ場、‚しかたのないことなのだろ。経済的不安を抱える男女が結婚相手に高収入を期待するのは無理もない。

   ここで、 新たな可能性がうかがえるのは、 高収入の女性と低収入の男性のカフプルだ。だが、これにも条件がある。女性は、「男が家族を養うものだ」 という従来(じゅうらい)の価値観を捨てること。 男性は「家事は女性が」 と言わずに、 しつかり家事をこなす力を身につけることだ。③そこからは、きっと明るい未来が見えてくる。ともかく、 男女双方(そうほう)、お互いに努力しなければ 、今以上に独身男女が世にあふれることになるだろう。

1.

「独身男女の結婚観に開きがある」 が、どういうことか。

2.

しかたのないことなのだろ」と筆者が考える理由は何か。

3.

そこからは、 きっと明るい未来が見えてくる』とあるが、筆者の考えに近いものはどれか。

   以前、花見をしているときに「桜の花は本当にきれいな正五角形(注1) だね」と言ったら、風情のない人だと笑われたことがあった。確かに、桜の花びらには微妙な色合いや形、そして香りに加えて、散りゆく美しさがある。花を()でる和歌や俳句は数限りないが、そのなかに「正五角形」という言葉が使われたことはおそらく一度もないであろう。科学者特有の美意識は、風流とはかなり異質なものなのだと悟った。

   科学において本質以外を切り捨てるためには、大胆な抽象化と理想化が必要である。桜の花びらのたくさんの特徴の中から、「正五角形」という形だけを取り出すこと。これが抽象化である。実際に数学的な意味で安全な正五角形を示す花びらは少ないだろうが、そこにはあまりこだわらない。これが理想化である。

   自然界で正五角形のような対称性を示すためには、必ず規則的な法則があるはずである。花の場合、品種によって花弁(かべん)(注2) の回転対称性が遺伝子で決定されていることは間違いないから、うまくこの遺伝子を突き止められれば、花の形を決める普遍的な法則が見つかるに違いない。このように、抽象化と理想化によって自然現象は単純に整理でき、普遍的な法則を見つける助けになる。

(注1)正五角形:五つの辺の長さが等しい五角形

(注2)花弁(かべん):花びら

1.

筆者は、自分が笑われた原因はどこにあると考えているか。

2.

ここでの理想化とは何か。

3.

筆者の考えによると、花の場合、抽象化と理想化によって何が期待されるか。

 住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然とだ。買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのでは、大損害を被る。

 だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1)である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとか、生活のしやすい環境にあって利便性(注2)に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考え方や行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。

 特に、(すい)住処(すみか)(注3)として考えるときには、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうえで、選挙し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まってくる。

 自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画を立てたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。

 その未来図に従って、住むべき場所の 見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済状勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。

(山崎武也「シニアこそ都会に住もう一田舎暮らしいは不安がいっぱい」による)

(注1)有用性:役に立つこと

(注2)利便性:便利さ

(注3)(すい)住処(すみか):人生を終えるまで住む家

1.

世間の一般の価値基準として筆者が本文であげているのは何か。

2.

筆者の考えでは、年を取ってから住む家として住居を選ぶときに最も大切なことは何か。

3.

住居選びについて、筆者が最も言いたいごとは何か。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   純粋な自分に強い(あこが)れを覚える現代の若者たちは、かえって自分を見失い、自己肯定感を損なうという事態におちいっている。そのため、人間関係に対する依存度がかつてよりも格段に高まっている。しかも、自分の本質を生まれもった固有のものと感じているため、付きあう相手もそれと合致した人でなければならないと考えるようになっている。こうして、互いの関係も狭い範囲で固定化される傾向にある。ところが、特定の関係だけに過剰に期待をかけすぎると、それは逆に息苦しいものともなる。

   さらに、自分の純粋さを脱社会的に求めるメンタリティは、そのまなざし(注1を自分の内へと向ける傾向が強いため、他人と共有できる部分がどんどん減っていき、欲求の対象や価値観もおのずと多様化してくる。ある似かよった傾向を示す若者たちの一群をさして、かつては「○○族」のような(くく)り方(注2)をすることが可能だったが、昨今ではそこまでの強い同質性が見られなくなり、「○○系」といった緩やかな(くく)り方しかできなくなっている。その結果、狭く固定化された人間関係の内部においてすら、ものごとの判断をめぐって相手と①衝突する可能性が高くなっている

   多くの人びとの関心が似かよっており、ほぼ同じ方向を見ていた時代なら、たとえ各人が自由にふるまったとしても、そこには重なり合う部分が少なくなかった。しかし、それぞれが内閉的に自分らしさを追求するようになると、互いの価値観や欲求の内実も多様化する。(中略)

   このように、純粋な自分に対する(あこが)れはかつて以上に高まっているのに、それをサポートするための人間関係を維持する条件のほうはかつて以上に厳しくなっている。互いの理解可能性を素朴(そぼく)に信じて、それを前提に人間関係を築いていくことはもはやできない。「分かり合えない感」と若者たちが表現するように、むしろ理解不可能性を前提とした人間関係を築いていく技術の必要性が高まっている。彼らは、じゅうぶんには分かりあえないかもしれないことを、じゅうぶんに分かりあっている。「優しい関係」とは、このようなアイロニカルな(注3状況を乗り切るために、互いの対立の回避を最優先の課題として、彼らが身につけた②人間関係のテクニックである。(中略)

   大人たちの目には、現在の若者たちの人間関係が、コミュニケーション能力の不足から希薄化(注4しているように映るかもしれない。しかし、実態はむしろ逆であって、かつてより葛藤(かっとう)(注5)火種(ひだね)が多く含まれるようになった人間関係をスムーズに営んでいくために、高度なコミュニケーション能力を駆使して絶妙な(注6)距離感覚をそこに作り出そうとしている。

(土井隆義 『友だち地獄-「空気を読む」世代のサバイバル』筑摩書房による)

(注1)まなざし:視線

(住2)(くく)り方:まとめ方

(注3)アイロニカルな:皮肉な

(注4)希薄化:薄くなること

(注5)葛藤(かっとう)火種(ひだね):ここでは、人と人との対立の原因

(注6)絶妙な:とても上手で、すぐれていること

1.

現代の若者の特徴として、筆者があげているものはどれか。

2.

衝突する可能性が高くなっているのはなぜか。

3.

筆者は、現代に必要な②人間関係のテクニックはどのようなものだと述べているか。

4.

筆者の述べていることと合っているものはどれか。

   かつてアラビア半島の奥地、サウジアラビアのサバクに、ベドウィン遊牧民の生活を取材するため住み込んだことがある。サバクの生活を切りあげて首都リヤド市に帰り、ホテルに泊まっていたとき、わたしの部屋は314号室だった。ある日のこと、受付で自分の番号を言ってカギをもらい、部屋の前まで行ったとき、カギは別室(316号)のものであることに気づいた。受付に戻ってカギの番号を見せながら、「部屋に入れませんでしたよ」と、相手を責めないための心づかいで、わたしは微笑しながら言った。全く予期しなかった答えが返ってきた。一「あなたが間違った番号を言ったのです」

   わたしが予期していたのは「や、これは失礼しました」というひとことなのだ。このとき、もしわたしが初めてアラブと接したのだったら、「あるいは自分が違った番号を言ったのかもしれない」と思っただろう。しかし既に彼らのものの考え方をサバクで学んでいたわたしは、「まさにベドウィン的だ」と思っただけであった。①ベドウィン的な考え方によれば、自分の失敗を認めることは無条件降伏(こうふく)を意味する。例えば皿洗いの仕事をしている人が百円の皿を割って、もし自分の過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を千円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブは言う。「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意志と関係ない」

これが日本ならどうだろう。普通の日本人だったらこの場合(ただ)ちに言うにちがいない。「まことにすみません」丁寧(ていねい)な人はさらに、「わたしの責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかしこの美徳は、世界に流用する美徳ではない。まずアラブは正反対。インド人もアラブに近いだろう。フランス人だ「イタリアの皿ならもっと丈夫だ」というようなことを言うだろう。

   わたし自身の体験では狭すぎるので、多くの知人・友人または本から、このような「②過失に対する反応」の例を採集した結果、どうも③大変なことになった。世界の主な国で、皿洗いの人が皿を割って直ちに謝る習性があるところは実に少ない。「わたしの責任です」などとまで言ってしまうお人よしは、まずほとんどない。日本人とアラブとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもずっとアラブ寄りである。中国やベトナムもしかり。ただしヨーロッパでは、自分が弁償するほどの事件にはなりそうにもないささいなこと(体に触った、ゲップをした、など)であるかぎり、「すみません」を日本人よりも軽く言う。この謝罪は、「謝罪」というよりもむしろ一種の慣習である。慣習だからこそ、社会をスムーズに動かす潤滑油として大切なのだ。

   だが、日本人と確実に近い例をわたしは知っている。それは、かつて訪れたことのあるニューギニアのモニ族や北極地方のエスキモーである。モニ族は、わたしのノートをあやまって破損したときでも、カメラのレンズに土を付けたときでも、直ちに「アマカネ(すみません)」と言って恐縮した。そして、さまざまな国の歴史を比較検討してみると、おざっぱにいってこんな傾向のあることがわかる。「異民族の蹂躙(じゅうりん)(注)による悲惨な体験をもった民族ほど、自分の過失を認めたがらない」

   日本人やエスキモーやモニ族は、異民族による蹂躙の恐ろしい体験を、一部を例外として、歴史上あまりもたなかったようだ。

   基本的なものの見方について考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。わたしたちの民族的性格は、アラブ諸国やヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえ思われる。探検歴の最も豊富な日本人の一人、中尾佐助(なかおさすけ)教授にこの話をすると、教授は言った。—-「④日本こそ世界の最後の秘境かもしれないね

(本多勝一「民族と文化」「国語3」光村図書による)

(注)蹂躙(じゅうりん):暴力や権力によって他の権利を侵したり、社会秩序を乱したりすること

1.

①「ペドゥィン的」とはどういうことか。

2.

③「大黕こと」とは何か。

3.

④「日本こそ世界の最後の秘獎かもしれないね」とはどういうことか。

4.

②「過失に対する反応」がだいたい同じと考えられる組み合わせはどれか。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

日本では、 (せい)は一つの家族のまとまりを示すものである。 だから家族が皆同じ姓を名乗ることで、 連帯感(れんたいかん)を感じることができる。 結婚して、 好きな人と同じ姓になることはうれしいことだし、 結婚したという実感がわき、 共に新しい家族を作っていこうとする大事な契機(けいき)にもなる。夫婦の大半が男性の姓を名乗ることは差別ではないかという主張もあるが、 それは差別ではなく「 慣習(かんしゅう)」 である。 欧米のように、 ファーストネームで呼び合う文化とは異なり、 名字(みょうじ)で相手を呼ぶ習慣の日本では、 夫婦が同姓であることの社会的意義(いぎ)は、 はるかに大きいと思われる。 もし、 姓が変わることが女性の仕事に不都合となるなら、 仕事の時だけ旧姓(きゅうせい)を使うことを認めればよく、 多数が満足している現状を変える必要はないだろう。

B

夫婦が別々の姓になると「 家庭が崩壊(ほうかい)する」 という人もいるが、 家族を不幸にしようと思って別姓を選択する人などいない。 むしろ姓が違うからというだけで、 家族のつながりを感じられないことが問題ではないか。夫婦別姓となれば、 何らかの事情で母親や父親と名字が違う子供が差別されることも少なくなるだろう。 また、 現在は、女性は旧姓(きゅうせい)だと独身、 改姓(かいせい)すれば既婚(きこん)、 また旧姓に戻れば離婚したことも明白だ。 これは女性のプライバシー侵害(しんがい)につながりかねないが、 男性にはそういった心配が少ない。 さらに、 仕事を持つ女性が名字が変わったことを取引先などに知らせるには、 電話代や葉書(はがき)代、 本人の労働時間など、 多大なコストがかかる。夫婦同姓が日本の文化や習慣だという意見もあるが、 文化や習慣は時代と共に変化するものである。女性の選挙権や社会進出にしても、 その時の慣例(かんれい)を打ち破ってきたものであったはずだ。

1.

夫婦別姓(べっせい)について、 AとB はそれぞれどのような立場をとっているか。

2.

(せい)に関連して、 AもしくはBの一方でしか触れられていないことはどれか。

3.

夫婦同姓について、 Aの筆者とBの筆者に共通している意見はどれか。