Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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Hoàn thành
読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

「負けたい」と思う人間はいない。

   ビジネスで競争相手を制してうれしくないわけがなく、議論に勝てば、気分が悪かろうはずがない。

   だが、勝ちにこだわりすぎて、負けを恐れるのはどうか。

   たとえば仕事でも、勝ちにこだわりすぎると態度を明らかにできなくなる。自分が出した提案が却下(きゃっか)されれば(注1)、負けになるため沈黙(ちんもく)するしかないのだ。

   勝ったり、負けたりしながら、よりいい仕事ができるのだし、人間関係も深まるのである。

   自分の提案が、反対意見をすり合わされることによって、すぐれた方針(ほうしん)として結実(けつじつ)する(注2)といったことはいくらでもある。反対意見が噴出したからといって、負けではないのだ。

   提案が最終的に決まった方針の土台(どだい)(にな)ったのなら、これは「ほどほど」の勝ちというべきだろう。

                                      (斉藤茂太「心をリセットしたいときに読む本 』ぶんか社)

(注1) 却下(きゃっか)する:取り上げない

(注2)  結実(けつじつ)する:結果が出る

1.

筆者の考えとして正しいものはどれか。

   価値観が多様化し、常識と言われるものまでもが個人レベルで異なるような現代社会で、それぞれがそれぞれの価値観や常識を押し付けてもトラブルが起きるばかりである。

   とはいえ、トラブルが起きないように相手に合わせているだけでは、真に互いを理解し合うことはできまい。考えを伝え合い、そのそれぞれを認めつつ、新しい価値体系を構築する。つまり、コミュニケーションを通じて互いに納得できる妥協点を見いだすことが、求められてくるのである。

2.

筆者の考えに合うものはどれか。

田中産業株式会社(かぶしきがいしゃ)

代表取締役 田中太郎様

斉藤電気

中山   康弘

拝啓(はいけい)

   時下ますますご清栄(せいえい)のこととお(よろこ)び申し上げます。

   さて、 先日はご多忙(たぼう)の中、 ご丁寧(ていねい)にお見舞(みま)い状をいただき、 まことにありがとうございました。

   入院期間中、御社(おんしゃ)には大変ご不便をおかけいたしましたこと、 お()びいたします。 今後とも、 末永(すえなが)いお取引(とりひき)(たまわ)りますよう、 よろしくお願いいたします。 営業車を運転している際にトラックと衝突(しょうとつ)し、 「 右足骨折。 全治(ぜんち)2ヶ月」 との診断でしたが、 来週から会社に復帰(ふっき)する予定でございます。 復帰後改めてご挨拶(あいさつ)に参りたいと存じますが、 まずは書面(しょめん)をもちましてお礼申し上げます。

敬具

3.

この文書(ぶんしょ)は何のために書かれたものか。

   最近、地域内の複数個所に自転車の貸し出しをする専用ステーションを設けて、自転車シェアリングのサービスを行う自治体が増えている。環境保護や地域おこしをねらいとした事業だ。最寄りの駅から目的地までの移動などに公共の自転車が利用できれば、さぞかし便利だろう。ところが、まだ成功といえる事例は少ない。背景には、どの自治体も、町にあふれかえる個人の自転車の管理に頭を抱えていることがある、人々の駐輪マナーの低下は、駐輪場の不足によってさらにエスカレートしている。まずは目の前の問題をどう解決するか、そっちのほうが先のようだ。

4.

筆者は、自転車シェアリングのサービスを実施することについて、どう考えているか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   何にしても、子どもは自分が生きたいように生きる。ある意味では、①それが親が子どもを立派に独り立ちさせたということになる。親が大学を選び、就職先を選び、結婚相手を選んで、新婚旅行にもついて行くという生き方を、あなたは好ましいと思うだろうか。

   それが極端な言い方だというなら、どの時点で子どもの選択を認めるのだろう。

   だんだんに、子どもが自分一人で決められるように仕向けていくというのが、ごくふつうの方法だと思う。勝ち負けでいえば、だんだんと②親が負け方を覚えていくということになるはずだ。負け方を覚えることによって、親は成長していく。

   少しずつでいい。子どもの意見を聞き入れ、子どもが自分で選択する範囲を広げていくということである。それが親の願いと離れていても、少しずつそれを受け入れていく。それが負け方を覚えるということになる。

   ③進学や就蔻問題でまだ衝突が続いているというのは、負け方がうまくないということになる。親が大人になっていないということでもある。上手に負けて、子どもを独り立ちに導くほうが大切なのだ。

1.

それが親が子どもを立派に独り立ちさせたということになると筆者が考えるのはなぜか。

2.

親が負け方を覚えていくとはどういうことか。

3.

進学や就朧問題でまだ衝突が続いていることを筆者はどう考えているか。

   人間は、所詮(しょせん)、時代の子であり、環境の子である。わたしたちの認識は、自分の生きてきた時代や環境に大きく左右される。ある意味、閉じ込められているといってもいい。認識できる「世界」はきわめて限定的なのであり、時代や環境の制約によって、認識の鋳型(いがた)(注1) ができてしまうから、場合によっては、大きく(ゆが)められた「世界」像しか見えなくなることもある。わたしたちは①そういう宿命を背負っているのである。

   だから、「世界を知る」といいつつ、実は、偏狭(へんきょう)な認識の鋳型(いがた)で「世界」をくり()いて(注2) いるだけということが生じたりする。鋳型(いがた)が同じであるかぎり、断片的な情報をいくら集めたところで、「世界」の認識は何も変わらない。固まった世界認識をもつことは、「世界」が大きく変化する状況では非常に危険なことである。

   一方で、これほど情報環境が発達したにもかかわらず、「世界を知る」ことがますます困難になったと感じている人も増加している。果てしなく茫漠(ぼうばく)(注3) と広がり、しかも絶えず激動する「世界」が、手持ちの世界認識ではさっぱり見えなくなってきているからだ。たしかに、ただ漫然(まんぜん)とメディアの情報を眺めているだけでは激流(げきりゅう)()み込まれてしまう。

   いまこそ、時代や環境の制約を乗り越えて、[世界を知る力」を高めることが痛沏に求められているのではないか。

   もちろん、時代や環境の制約から完全に自由になることはない。しかし、凝り固まった認識の鋳型(いがた)をほぐし、世界認識をできるだけ柔らかく広げ、自分たちが背負っているものの見方や考え方の限界がどこにあるのか、しっかりとらえ直すことはできるはずだ。

(注1)鋳型(いがた):ここでは、画一化した型

(注2) くり()いて:ここでは、切り取って

(注3)茫漠(ぼうばく):広がりがあり過ぎて、はっきりしない様子

1.

そういう宿命とはどう意味か

2.

「世界を知る」ことがますます困難になったのはなぜか。

3.

筆者は、「世界を知る力」を高めるためにできることは何だと考えているか。

日本の建築は寿命短いが、子売れは木造自体の耐久性から決まるのではない。木造建築でも百年や二百年は持つ。千年以上持たせることも可能である。しかし、構造部材のメンテナンスが必要なので耐久性を考えると大材を用いたほうが良い。しかし、城郭や宮殿、館、寺院仏閣の類でないとなかなか大材を用いることができない。入手も難しいし加工にも手間暇がかかる。また、一般的に木造建築は火事や地震で失われることも少なくない。

日本人は白木の新しい建物を愛したが、時が経つと木の表面が黒ずんでくる。そこで、余裕がある者は、地震火災に遭った時は勿論、ある程度老朽化してくると建て直し、周囲はその建て主のことを「甲斐性がある」といって褒め称えた。しかし、建て直すと言っても、大まかにいえばもとと同じものが建つ。勿論少し大きくなったり小さくなったり間取りが変わったりするが見た目に大差がない。そこで、街並みや風景は長期にわたって維持される。しかも木材はリユース、リサイクルされた。

これは、日本独特更新の文化と呼んでも良い。この典型が伊勢神宮る。二十年ごと隣合うデ敷地に交互に建て直されるが、建てられるものは全く同じである。建物を更新するためには、木材が必要であり、樹木も植林によって更新される。若木のほうが二酸化炭素の吸収能力が優れているから、若木への更新は環境上も評価できる。同時に職人技術も更新される。更新は環境に優しく、人々に仕事を与え、ゆっくりとした変化をもたらす木の国の優れた文化である。

1.

日本の建築は寿命が短いとあるが、なぜか。

2.

これは何を指すか。

3.

筆者は、木造建築が更新されることにはどのような利点があると考えているか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   子どものときから、 忘れてはいけない、 忘れてはいけない、 と教えられ、 忘れたと言っては(しか)られてきた。 そのせいもあって、 忘れることに恐怖心を抱き続けている。 忘れることは悪いことと決めてしまっている。

   学校が忘れるな、 よく覚えろ、と命じるのはそれなりの理由がある。教室では知識を与える。知識を増やすのを目標にする。せっかく与えたものを片端(かたはし)から捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。 覚えているかどうか時々試験をして調べる。 覚えていなければ減点(げんてん)して警告(けいこく)する。点はいいほうがいいに決まっているから、 みんな知らず知らずのうちに、 忘れるのをこわがるようになる。

   教育程度が高くなればなるほど、 そして、頭がいいと言われれば言われるほど知識をたくさん持っている。つまり、 忘れないでいるものが多い。頭の優秀さは、 記憶力の優秀さとしばしば同じ意味を持っている。

   ここで、われわれの頭をどう考えるかが問題である。

   ①これまでの教育では、 人間の頭脳を倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん蓄積(ちくせき)する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさん詰まっていればいるほど結構だということになる。

   ②倉庫としての頭にとっては、 忘却(ぼうきゃく)は敵である。 ところが、 こういう人間の頭脳にとっておそるべき敵が現れた。 コンピューターである。 これが倉庫としてはすばらしい能力を持っている。 いったん入れたものは決して失わない。 必要な時には、 さっと引きだすことができる。 整理も完全である。

   コンピューターの出現(しゅつげん)、 普及にともなって、 人間の頭を倉庫として使うことに疑問がわいてきた。 コンピューター人間を育てていたのでは、 本物のコンピューターにかなうわけがない。

   そこで、 ようやく人間の創造性(そうぞうせい)が問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、 というのである。

   人間の頭はこれからも、 一部は倉庫の役を続けなければならないだろうが、 それだけではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。 倉庫なら、 入れたものを紛失(ふんしつ)しないようにしておけばいいが、 ものを作り出すには、そういう保存保管(ほぞんほかん)の能力だけでは仕方ない。

   第一、 工場に余計なものが入っていては作業能率が悪い。 余計(よけい)なものは処分(しょぶん)して広々としたスペースをとる必要がある。 そうかと言って、全てのものを捨ててしまっては仕事にならない。③整理が大事になる

   倉庫にも整理は欠かせないが、 それはものを順序よく並べる整理である。それに対して、 工場内の整理は、 作業のじゃまになるものを取り除く整理である。 この工場の整理に相当するのが忘却(ぼうきゃく)である。 人間の頭を倉庫としてみれば、 危険視(きけんし)される忘却だが、 工場として能率(のうりつ)を良くしようと考えれば、 どんどん忘れてやらなくてはいけない。

   そのことが今の人間にはわかっていない。 それで、 工場の中を倉庫のようにして喜んでいる人が現れる。 それでは、 工場としても倉庫としても、 両方ともうまく機能しない頭になりかねない。 コンピューターには、 こういう忘却ができないのである。 だから、 コンピューターには倉庫として機能させ、 人間の頭は、 知的工場として働かせることに重点を置くのが、 これからの方向でなくてはならない。

( 外山滋比古「『思考の整理学』 筑摩書房による)

1.

①「 これまでの教育」 とあるが、 どのような教育か。

2.

②「 倉庫としての頭」 とあるが、 どういうことか。  

3.

③「 整理が大事になる」 とあるが、 どういうことか。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

   かつてアラビア半島の奥地、サウジアラビアのサバクに、ベドウィン遊牧民の生活を取材するため住み込んだことがある。サバクの生活を切りあげて首都リヤド市に帰り、ホテルに泊まっていたとき、わたしの部屋は314号室だった。ある日のこと、受付で自分の番号を言ってカギをもらい、部屋の前まで行ったとき、カギは別室(316号)のものであることに気づいた。受付に戻ってカギの番号を見せながら、「部屋に入れませんでしたよ」と、相手を責めないための心づかいで、わたしは微笑しながら言った。全く予期しなかった答えが返ってきた。一「あなたが間違った番号を言ったのです」

   わたしが予期していたのは「や、これは失礼しました」というひとことなのだ。このとき、もしわたしが初めてアラブと接したのだったら、「あるいは自分が違った番号を言ったのかもしれない」と思っただろう。しかし既に彼らのものの考え方をサバクで学んでいたわたしは、「まさにベドウィン的だ」と思っただけであった。①ベドウィン的な考え方によれば、自分の失敗を認めることは無条件降伏(こうふく)を意味する。例えば皿洗いの仕事をしている人が百円の皿を割って、もし自分の過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を千円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブは言う。「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意志と関係ない」

これが日本ならどうだろう。普通の日本人だったらこの場合(ただ)ちに言うにちがいない。「まことにすみません」丁寧(ていねい)な人はさらに、「わたしの責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかしこの美徳は、世界に流用する美徳ではない。まずアラブは正反対。インド人もアラブに近いだろう。フランス人だ「イタリアの皿ならもっと丈夫だ」というようなことを言うだろう。

   わたし自身の体験では狭すぎるので、多くの知人・友人または本から、このような「②過失に対する反応」の例を採集した結果、どうも③大変なことになった。世界の主な国で、皿洗いの人が皿を割って直ちに謝る習性があるところは実に少ない。「わたしの責任です」などとまで言ってしまうお人よしは、まずほとんどない。日本人とアラブとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもずっとアラブ寄りである。中国やベトナムもしかり。ただしヨーロッパでは、自分が弁償するほどの事件にはなりそうにもないささいなこと(体に触った、ゲップをした、など)であるかぎり、「すみません」を日本人よりも軽く言う。この謝罪は、「謝罪」というよりもむしろ一種の慣習である。慣習だからこそ、社会をスムーズに動かす潤滑油として大切なのだ。

   だが、日本人と確実に近い例をわたしは知っている。それは、かつて訪れたことのあるニューギニアのモニ族や北極地方のエスキモーである。モニ族は、わたしのノートをあやまって破損したときでも、カメラのレンズに土を付けたときでも、直ちに「アマカネ(すみません)」と言って恐縮した。そして、さまざまな国の歴史を比較検討してみると、おざっぱにいってこんな傾向のあることがわかる。「異民族の蹂躙(じゅうりん)(注)による悲惨な体験をもった民族ほど、自分の過失を認めたがらない」

   日本人やエスキモーやモニ族は、異民族による蹂躙の恐ろしい体験を、一部を例外として、歴史上あまりもたなかったようだ。

   基本的なものの見方について考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。わたしたちの民族的性格は、アラブ諸国やヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえ思われる。探検歴の最も豊富な日本人の一人、中尾佐助(なかおさすけ)教授にこの話をすると、教授は言った。—-「④日本こそ世界の最後の秘境かもしれないね

(本多勝一「民族と文化」「国語3」光村図書による)

(注)蹂躙(じゅうりん):暴力や権力によって他の権利を侵したり、社会秩序を乱したりすること

1.

①「ペドゥィン的」とはどういうことか。

2.

③「大黕こと」とは何か。

3.

④「日本こそ世界の最後の秘獎かもしれないね」とはどういうことか。

4.

②「過失に対する反応」がだいたい同じと考えられる組み合わせはどれか。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   高速道路というのは、何のためにあるのだろうか。全国どこへでもより早く、便利に行けるようになることで、都市にも地方にも豊かさをもたらす。そういう存在であるベきだ。

   現在のように高額な通行料金が課されるのでは、便利さを求めて企業は都市に集中する。地方にいては条件のいい就職先が見つからないと、若者は都市に向かい、ますます都市に人口が集中する。交通の便がよくなることで地方が活性化し、このアンバランスが解消されれば、都市に集中していた人口が地方に分散し、日本全体の発展が期待できる。

   もちろん高速道路の無料化だけでこれらすべてが実現するわけではない。しかし、地方の活性化のための第一歩になるものだと思う。

B

   最近、高速道路を無料化しろという議論をよく目にするが、ここでちょっと考えてみたい。

   現在、高速道路は有料であることで交通量がある程度抑えられ、その結果、高速走行が可能になっている。しかし、無料化によって交通量が増えれば、走行速度が落ちる恐れがある。現在、高速道路を使って5時間で行ける所が5時間半かかるようになったとしても、大した違いはないと思うかもしれない。ちょっと早く出ればいいのだと。しかし、大量の輸送を必要とする企業にとっては、人件費、ガソリン代などの増大が、高速道路料金を上回るという試算もある。

   金を出さずに時間をかけるが、金を出しても速さを求めるか。選択肢を残してほしいものだ。

1.

高速道路の無料化によって起こると予想されることで、AとBの両方が触れている内容はどれか。

2.

高速道路の無料化について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

Aの筆者とBの筆者は、それぞれ何を重視しているか。