Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   多くの日本企業のどこが異常かと言えば、個人を信用せず、何でもかんでも統制していることだ。たとえば、私は出張をした時のビール代やおつまみ代も、本人が必要経費だと思ったら理由を説明させてきちんと精算させればいいと思う。友達とだべった(注)食事代も、場合によっては請求してもいいことにする。もし、それが将来、本人や会社のプラスになるのなら、会社が負担すればいいのである。

(大前研一 『サラリーマン、サバイバル』小学館)

(注)たべる:だらだらと話をする

1.

「それ」は何を指しているか。

2.

筆者は、弱者をどのようにとらえているか。

   衝突(しょうとつ)することを恐れていたのでは、他人と親しくなることができない。人間はお互いにかなり親しくなっても、お互いを完全に理解しているものではない。理解しているつもりでも誤解していることはあろう。そして、衝突することを恐れていると、その誤解がとけないまま関係が維持されることになる。

   相手のやることで何か不愉快(ふゆかい)なことがあった時、もし本気で親しくなろうとすれば、それをはっきりという方がいいだろう。相手は不愉快だといわれてはじめて、なぜ自分はそれをしたか、ということが説明できる。

                                                        (加藤諦三【「思いやり」の心理 】PHP研究所)

3.

それ」は何を指しているか。

   “仲が良い家庭”は理想的なようで、一歩間違うと“崩壊した家庭“につながる危うさがある。特に、父親が、社会の厳しさを教え、子どもに社会化を促すという父親本来の役割を果たせないと問題である。子どもの社会的白立には、実際の父親ではなくても「父親」の役目を果たす人が不可欠である。

   ある人が家庭を航海中の船に例えて言った、嵐が来たら、子どもがいくら「こっち来て」と頼んでも、子どもを放っておいて必死に舵取り(注)を続けなければ船は沈む。それなのに、舵取りを放棄して子どもの機嫌を取る親が多いと。

   このような「父親」の不在が、最近、日本の家庭で増えているように感じるのは気のせいだろうか。

(注)舵取り:舵(船の進む方向を決める道具)を操作して、船を定の方向に進ませること

4.

ここでいう「父親」の不在とはどういうことか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   私は、世界初、日本初、業界初、市場初などとついた商品が出るとワクワクするというミーハー(注)だ。電卓が小型化、薄型化を競いはじめたころ、名刺サイズで厚さが5ミリメートルくらいのが初めて発売されたときには、結構な値段にもかかわらず飛びついてしまった。

   数字に弱いにもかかわらず、仕事で電卓を使うことが多かった私にとって、電卓をいつも身につけることができる名刺サイズは、①大きな福音に思えだ。しかも、出はじめの商品であるだけに、同僚たちに自慢ができるというミーハー心もくすぐられたからでもある。

   しかし、買ってしばらくは定期入れと一緒に持ち歩いていたが、1カ月もしないうちに元の電卓を使うようになり、カード電卓は机の引き出しで(ほこり)をかぶってしまうようになった。②それは、名刺サイズにするためにキーを小さくており、しかもその操作感も頼りないために使いにくかったからである。また、胸ポケットなどに入れると、本体がねじれるため接触不良をおこし、故障したりもした。そういったことがあったため、その後、電卓が薄型化を競い合い、キーの突起がないフラットなものまで出てきたが、さすがにミーハーの私でも飛びつくことはなかった。もちろん、名刺入れに入るというカード電卓のよさはあるが、ある意味では非常用であり、指の大きさや器用さから言えば、ものには「適度な」大きさがあることを学んでのである。

(注)ミーハー: 程度の低いことに熱中しやすく、流行に左右されやすい人

1.

筆者には、なぜ①大きな福音だと思えたのか。

2.

それは何を指しているか。

3.

名刺サイズのカード電卓を使ったことで、筆者がわかったことは何か。

   大体、人間の才能というのは、もし百あるとすると、百を全部出している人は極めて(まれ)(注1)だ。それより一番大事な場面で緊張したときに、もてる力の何パーセントを出せるかによって才能が決まる。練習中でなく、ここ一番というときに百出せる人は少ない。七十か六十か、さらには二、三十しか出せない人もいる。反対に、百十も百二十も出せる人がいるかもしれない。

   ①このあたりの違いは集中力の差だといわれているけど、集中力を高める最大の要因こそ②鈍さなんでね。つまらぬ些事(さじ)(注2)(わずら)わされない、いい意味での唯我独尊(ゆいがどくそん)、自己中心的思考。そういうものがベースになければ、百十も百二十も出ない。こう考えると、③鈍さが才能ということが、よく納得できると思う。

   ところで、このように鈍さばかりを強調すると、「なんでも鈍ければいいのか」と簡単に思い込む人が出てくるかもしれない。この鈍さは、そんなに簡単には見につかないものでね、生来の性格的なもの、育てられた環境や教育、家庭のしつけなど、いろいろなものに影響される。

(渡辺淳一「知的冒険のすすめ」光文社、知恵の森文庫による)

(注1)(まれ):めったにないようす

(注2)些事(さじ):小さいこと

1.

①「このあたりの違い」とは何か。

2.

ここでいう②「鈍さ」とは何か。

3.

どうして③「鈍さが才能」と言っているのか。

技術者にとってレース車を開発するというのは、非常に魅力があるようなのだ。

それはそうだろう。市販車の開発であれば、コストのことや工場のことを考えなければいけないので、自分の考え出した創意工夫を必ずしも反映できるわけではない。いいモデルを出したからといって、営業の力が弱ければ売れるとは限らない(少なくとも、多くの開発技術者はそう思って(注1)は歯軋りをしているに違いない)。しかし、レース車であれば、ある程度、採算無視で色んなことにトライできる。何よりも、営業力とか他の要素に邪魔されることなく、①どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるわけだ。

逆にいうと、言い訳のない世界でもある。敵よりコンマ1秒でも遅れをとれば負けるのだ。そして、それは、はっきりとその場で目に見える。(中略)

目標設定も単純だ。市販車開発なら、時にはアメリカとおう欧州の両市場で売れる車を作ってくれると営業から要求されたりする。そこでは技術的に妥協せざるを得ないが、レースは絶対的な速さだけを目指せばいいのだ。その代わり、自分の実力が今どうであれ、敵の車が75秒で(注2)サーキットを1周していれば、それより速いタイムで走る車をつくらないと意味がないのだ。②出来る、出来ないを論じる余地は全くない。また、お分かりのように、他チームの車の真似だけをしていれば、決して「最速」にはならないのも真実なのだ。

(田中詔一『ホンダの価値観―原点から守り続けるDNA』による)

(注1)は歯ぎし軋りをする:ここでは、悔しく思う

(注2)サーキット:レース用のコース

1.

どんな大メーカーを相手にも対等に優劣を争うことができるとあるが、なぜか。

2.

出来る、出来ないとあるが、何が出来る、出来ないのか。

3.

この文章によると、レース車の開発は、技術者にとってなぜ魅力的なのか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   かつてアラビア半島の奥地、サウジアラビアのサバクに、ベドウィン遊牧民の生活を取材するため住み込んだことがある。サバクの生活を切りあげて首都リヤド市に帰り、ホテルに泊まっていたとき、わたしの部屋は314号室だった。ある日のこと、受付で自分の番号を言ってカギをもらい、部屋の前まで行ったとき、カギは別室(316号)のものであることに気づいた。受付に戻ってカギの番号を見せながら、「部屋に入れませんでしたよ」と、相手を責めないための心づかいで、わたしは微笑しながら言った。全く予期しなかった答えが返ってきた。一「あなたが間違った番号を言ったのです」

   わたしが予期していたのは「や、これは失礼しました」というひとことなのだ。このとき、もしわたしが初めてアラブと接したのだったら、「あるいは自分が違った番号を言ったのかもしれない」と思っただろう。しかし既に彼らのものの考え方をサバクで学んでいたわたしは、「まさにベドウィン的だ」と思っただけであった。①ベドウィン的な考え方によれば、自分の失敗を認めることは無条件降伏(こうふく)を意味する。例えば皿洗いの仕事をしている人が百円の皿を割って、もし自分の過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を千円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブは言う。「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意志と関係ない」

これが日本ならどうだろう。普通の日本人だったらこの場合(ただ)ちに言うにちがいない。「まことにすみません」丁寧(ていねい)な人はさらに、「わたしの責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかしこの美徳は、世界に流用する美徳ではない。まずアラブは正反対。インド人もアラブに近いだろう。フランス人だ「イタリアの皿ならもっと丈夫だ」というようなことを言うだろう。

   わたし自身の体験では狭すぎるので、多くの知人・友人または本から、このような「②過失に対する反応」の例を採集した結果、どうも③大変なことになった。世界の主な国で、皿洗いの人が皿を割って直ちに謝る習性があるところは実に少ない。「わたしの責任です」などとまで言ってしまうお人よしは、まずほとんどない。日本人とアラブとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもずっとアラブ寄りである。中国やベトナムもしかり。ただしヨーロッパでは、自分が弁償するほどの事件にはなりそうにもないささいなこと(体に触った、ゲップをした、など)であるかぎり、「すみません」を日本人よりも軽く言う。この謝罪は、「謝罪」というよりもむしろ一種の慣習である。慣習だからこそ、社会をスムーズに動かす潤滑油として大切なのだ。

   だが、日本人と確実に近い例をわたしは知っている。それは、かつて訪れたことのあるニューギニアのモニ族や北極地方のエスキモーである。モニ族は、わたしのノートをあやまって破損したときでも、カメラのレンズに土を付けたときでも、直ちに「アマカネ(すみません)」と言って恐縮した。そして、さまざまな国の歴史を比較検討してみると、おざっぱにいってこんな傾向のあることがわかる。「異民族の蹂躙(じゅうりん)(注)による悲惨な体験をもった民族ほど、自分の過失を認めたがらない」

   日本人やエスキモーやモニ族は、異民族による蹂躙の恐ろしい体験を、一部を例外として、歴史上あまりもたなかったようだ。

   基本的なものの見方について考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。わたしたちの民族的性格は、アラブ諸国やヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえ思われる。探検歴の最も豊富な日本人の一人、中尾佐助(なかおさすけ)教授にこの話をすると、教授は言った。—-「④日本こそ世界の最後の秘境かもしれないね

(本多勝一「民族と文化」「国語3」光村図書による)

(注)蹂躙(じゅうりん):暴力や権力によって他の権利を侵したり、社会秩序を乱したりすること

1.

①「ペドゥィン的」とはどういうことか。

2.

③「大黕こと」とは何か。

3.

④「日本こそ世界の最後の秘獎かもしれないね」とはどういうことか。

4.

②「過失に対する反応」がだいたい同じと考えられる組み合わせはどれか。

   現在、日本の漫画は「MANGA」として世界中で人気を博しています。同時に日本アニメも多くのファンを獲得しています。漫面に誘われ、日本にやってくる外国人も多く、 更に漫画から派生した日本文化も「クールジャパン」として、主にヨーロッパを中心に広まっています。漫画好きのフランス人が始めたイベント「ジャパンエクスポ」は、今年は 8 万 6 千もの人を集めました。漫画、アニメ、ビデオゲーム、コスプレなどばかりではなく、伝統的な囲碁、書道、武道なども紹介されました。この漫画・アニメは日本の成長産業になりつつあります。それを他国が①指をくわえて見ているわけがありません。特に中国は国を挙げてアニメ上産業育成に乗り出しました。その甲斐があって、今年は約13億円を売り上げた国産アニメを作ることができました。中国の子供たちは「鉄腕アトム・ドラえもん」など多くの日本アニメを見て育ってきましたが、今後は国産アニメを見て大きくなることは間違いありません。韓国やシンガポールなども国策としてニメの拠点となるべく力を注いでいます。中でもシンガポールはアメリカのアニメ学校を誘致して優秀な技術者を育成し、世界のアニメ制作を引き受けようとしています。

   漫画・アニメは単にそれだけに留まらず、総合ビジネスとして大きな魅力があります。 例えば世界的人気漫画「ポケモン」の成功にそれが伺われます。ポケットモンスターは 1996 年の発売以来、ゲームソフトや関連商品を合わせて累計で約 3 兆円の市場規模になりました。特にトレーディングカードと呼ばれる交換・対戦し合って遊ぶカードの売れ行きは未だに衰えていません。

ですから日本はこの産業で、②後塵を拝するわけにはいきません。しかしながら現在のブームを支えている作品の全ては個人のカによる物ばかりです。多くの才能ある作家・監督の存在が今の状況を作り上げたのです。いわば個人のカです。これで国を挙げて取り組む国々と競争できるか疑問を持たざるを得ません。今手を、打たなければ日本アニメブームは一過性に留まり、10 年もすれば③日本は埋没してしまうでしょう。

国の財政が悪化している現在、莫大な補助金を出すことは無理でしょう。しかし、 少ないお金でもアニメ産業振興に役立てる有効な方策があるはずです。お金は国が出し、 知恵は民間が出せば未来も明るいと思います。

 

1.

なぜ①指をくわえて見ているわけがないのか。

2.

なぜ②後塵を拝するわけにいかないのか。

3.

なぜこのままでは③日本は埋没してしまうのか。

4.

著者は日本の漫画アニメ産業の未来をどう考えているか。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   高速道路というのは、何のためにあるのだろうか。全国どこへでもより早く、便利に行けるようになることで、都市にも地方にも豊かさをもたらす。そういう存在であるベきだ。

   現在のように高額な通行料金が課されるのでは、便利さを求めて企業は都市に集中する。地方にいては条件のいい就職先が見つからないと、若者は都市に向かい、ますます都市に人口が集中する。交通の便がよくなることで地方が活性化し、このアンバランスが解消されれば、都市に集中していた人口が地方に分散し、日本全体の発展が期待できる。

   もちろん高速道路の無料化だけでこれらすべてが実現するわけではない。しかし、地方の活性化のための第一歩になるものだと思う。

B

   最近、高速道路を無料化しろという議論をよく目にするが、ここでちょっと考えてみたい。

   現在、高速道路は有料であることで交通量がある程度抑えられ、その結果、高速走行が可能になっている。しかし、無料化によって交通量が増えれば、走行速度が落ちる恐れがある。現在、高速道路を使って5時間で行ける所が5時間半かかるようになったとしても、大した違いはないと思うかもしれない。ちょっと早く出ればいいのだと。しかし、大量の輸送を必要とする企業にとっては、人件費、ガソリン代などの増大が、高速道路料金を上回るという試算もある。

   金を出さずに時間をかけるが、金を出しても速さを求めるか。選択肢を残してほしいものだ。

1.

高速道路の無料化によって起こると予想されることで、AとBの両方が触れている内容はどれか。

2.

高速道路の無料化について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

Aの筆者とBの筆者は、それぞれ何を重視しているか。