Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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184

読解
内容理解(短文)
統合理解

Hoàn thành
読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   欧米人が「個」として確立された自我をもつのに対して、日本人の自我-それは西洋流にいえば「自我」とも呼べないだろうーは、常に自他との相互的関連のなかに存在し、「個」として確立されたものではない、ということであった。

   西洋人からは、この点に関して日本人の無責任性とか、他人志向(しこう)性などと言って非難されることもある。

           (河合隼雄『日本人とアイデンティティーー心理療法家の着想-』講談社)

1.

この点」は何を指しているか。

   話しかけるタイミングの悪い人が増えた。彼らは呼吸が上手(うま)くつかめないのである。私は、これはネット社会の影響だろうと考えている。

   電子メールは便利である。メールのお(かげ)でビジネス関連の時間、特に伝達事項にかける時間が随分短縮(ずいぶんたんしゅく)された。こちらは、時間の余裕のある時にメールを書けばよい。相手も時間の余裕のあるときに読めばよい。自分の都合、相手の都合、双方(そうほう)に利益があるのである。

   これを繰り返しているぶんには、相手の都合を考えなくてもよいのである。自分の都合のいい時に「伝達」が済んでしまう。ということは、相手の様子を読むトレーニングを()まなくなる。相手の呼吸に合わせるという感覚がなくなっていくのである。

(竹内一郎「人は見た目が9割 」新潮社)

   価値の多様性(たようせい)ということが、最近よく言われるようになった。生き方が多様になっただけ、価値観の方も多様になってきた、というのであるが、()たしてそうだろうか。

   教育の「実状(じつじょう)(注1)」を考えてみると、日本人すべてが、「勉強のできる子はえらい」という、一様(いちよう)な価値観に()まってしまっている、と言えないだろうか。親は子どもの点数のみ序列(じょれつ)のみを評価の対象にする。少しでもよい点をとってきて、すこしでも上位に(くらい)(注2)する子は「よい子」なのである。教師も親ほどではないにしても、それに近いであろう。

                                                                     (河合隼雄『子どもと学校 』岩波書店)

(注1) 実状(じつじょう):実際の状況

(注2) (くらい)する:その位置にいる

3.

筆者の考えとして正しいものはどれか。

   日本人は「()て前」と「本音(ほんね)」を使い分けると、よく言われる。しかし、国際社会の中で日本がそれをうまく活用しているかといえば、そうではない。自らの本音をきちんと意識できず、それを通すための政治力も発揮できず、ただアメリカ追随(ついずい)大勢(おおぜい)で日本の国益(こくえき)にかなうと思っている方向)に動いているのが実情だ。だから、アメリカの顔色を見て右往左往(うおうさおう)している。国際社会の場では、日本は自らの論理力のなさを露呈(ろてい)(注)していると言える。

国際関係の場合、「国際平和」などという道徳、倫理にかなう建て前以上に、各国の国益という本音が複雑に(から)(ごう)、国力による発言力の強さが大きくものを言うだけに、外交の場は単純に論理力だけで通用するわけではない。

   とはいえ、多くの国々を納得させるためには、論理力が大きな力を発揮するのは確かだ。日本の国際的な地位が、経済力に比べてあまりに低いのは、論理力の弱さにあるといっても、あながち間違いではないだろう。

                                         (樋口裕一 『頭の整理がヘタな人、うまい人』大和書房)

(注)露呈(ろてい):隠れているものが表れること

4.

どうして「日本は自らの論理力のなさを露呈(ろてい)していると言えるのか。

「負けたい」と思う人間はいない。

   ビジネスで競争相手を制してうれしくないわけがなく、議論に勝てば、気分が悪かろうはずがない。

   だが、勝ちにこだわりすぎて、負けを恐れるのはどうか。

   たとえば仕事でも、勝ちにこだわりすぎると態度を明らかにできなくなる。自分が出した提案が却下(きゃっか)されれば(注1)、負けになるため沈黙(ちんもく)するしかないのだ。

   勝ったり、負けたりしながら、よりいい仕事ができるのだし、人間関係も深まるのである。

   自分の提案が、反対意見をすり合わされることによって、すぐれた方針(ほうしん)として結実(けつじつ)する(注2)といったことはいくらでもある。反対意見が噴出したからといって、負けではないのだ。

   提案が最終的に決まった方針の土台(どだい)(にな)ったのなら、これは「ほどほど」の勝ちというべきだろう。

                                      (斉藤茂太「心をリセットしたいときに読む本 』ぶんか社)

(注1) 却下(きゃっか)する:取り上げない

(注2)  結実(けつじつ)する:結果が出る

5.

筆者の考えとして正しいものはどれか。

   ()の打ちどころのない人間は、いません。誰でも、どこか欠けています。欠けているところだけみつめると、自分はダメ人間だと思えてきます。劣等感(れっとうかん)とも言います。

   劣等感を忘れるときがあります。それは強いものの仲間に入って、「劣った人間」をばかにするときです。ほんとうは強くないのに、生まれつき強いものの仲間であるような気になって、劣等感から解放されます。

   差別されるものに、劣ったところがあるのでなく、差別するほうに、どこか劣ったところがあるのです。劣ったところを忘れるために、自分たちは強い仲間だという、つくり話をかんがえだします。自分たちは正常の人間だが、相手はきずものだときめつけることもあります。

(松田道雄『私は女性にしか期待しない』可岩波書店)

6.

文章の内容と最も合っているものはどれか。

   近代化された西洋風のマンションの中に一室だけ残された畳の間。ふつうその畳の間だけを和の空間と呼ぶのだが、本来の和は別のものである。むしろ西洋化された住宅の中に畳の間が何の違和感もなく存在していること、これこそ本来の和の姿である。

(中略)

   畳の間や和服そのものが和なのではなく、こうした異質のもののなごやかな共存ことが、この国で古くから和と呼ばれてきたものなのである。少し見方を変えるだけで、この国の生活や文化の中で今も活発に働く本来の和が次々にみえてくる。

7.

筆者の言う本来の和と合っていないものはどれか。

   われわれ人間から見れば、カッコウの卵は、親らしからぬ、非常に愛情に欠けた行為に映ります。他種の鳥の巣に卵を置き、ひなに他の卵を蹴落すことまでさせて、まんまと仮親に自分の子を育てさせるのですから、どうしても、怠け者、ひきょう者といったイメージで見てしまいます。

   一方、托卵行為は、カッコウと托卵される側との長い攻防戦の産物でもあります。托卵先となった鳥たちは卵を見分けるなどの知恵を数十年かけて身につけます。カッコウもそれに応じて技術を磨いてきたのであり、ただ子育てを放棄し、あぐらをかいてきたというわけではないのです。

8.

筆者の説明と合っているものはどれか。 

   ある小学校の運動会で、競技は順位をつけないようにしよう、みんなで手をつないで走るようにしようという試みがありました。足の遅い子や運動能力の低い子を人格的に否定するおそれがある。それがひいては差別やいじめにつながるおそれがある。というのがその理由のようです。でも、何でもいっしょのなかよしクラブが本当の平等なのでしょうか。

(太田典生「人生をうるおすいい話」 PHP研究所)

9.

それ」は何を指しているか。

   子供の成長のために、母親の愛はかけがえのないものである。身近に自分を保護してくれるもの(母親)がいるという安心感にささえられていてこそ、子供は、正常な成長をとげることができる。

   母親が、何らかの事故でいなくなってしまったサルの場合、子ザルはかなり大きくなっても、ほとんど動こうとせず、仲間にもうちとけていくことができない。したがって、母ザルの愛を欠いた子ザルは、群れ(社刽)の正常なメンバーとなることは難しい。

10.

母ザルの愛を欠いた子ザルは、どうして群れの正常なメンバーになることができないのか。

   先月、 中国で(めずら)しいチョウが採集(さいしゅう)された、 という新聞記事が出た。チョウは昆虫(こんちゅう)の中では、 人に好かれるものの代表で、 「チョウよ花よ、 とかわいがる」 という言い方もあるくらいだから、(ちん)チョウの発見が新聞紙上をにざわせても不思議なわけではない。

   これがゴキブリであれば。 ①こうはいかない。 人に嫌われる代表のような昆虫であるゴキブリはチョウよりもはるかに種類が少なく、したがって(めずら)しいゴキブリが発見されればやはり事件となるであろうが、 「 (ちん)ゴキプリ発見」 という記事では、 よほどうまく書かれていないと採用されないに違いない。

( 養老孟司「 ヒトの見方』 筑摩書房による)

11.

①「こうはいかない」とあるが、 どういうことか。

                                                                                          平成24年7月30日

株式会社〇〇商事

総務部人事課 山田太郎様 

拝啓 貴社ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

さて私は、△△大学 文学部英文学科の鈴木陽子と申します。この度は、平成24年7月25日付け貴信により面接のご連絡をいただきまして、誠にありがとうございました。8月10日(金)午後2時より面接のお時間をいただいておりましたが、誠に勝手ながら辞退させていただきたく、ご連絡申し上げました。第一志望の会社より内定をいただいたことが理由でございます。

ご多忙のところ日程を設定していただいたにも関わらず、誠に申し訳なく、心よりお詫び申し上げる次第です。何卒ご了承いただきたく、お願い申し上げます。

敬具 

鈴木暘子

12.

この文書によって筆者が伝えたいことはどれか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   アイデアを生む発想力というのは、遍在する膨大な記憶を徹底的に「検索」し、適したものを意識の表面に浮かび上がらせる力ではないかと思う。その力は①筋肉と同じで鍛え続け退化する。そして発想力を鍛え、維持するためには、他の誰よりも「長い時間集中して考え抜く」という、ミもフタもないやり方しかない。だがおそらく考えている間はアイデアは生まれてこない。脳が悲鳴を上げるまで考え抜いて、ふっとその課題から離れたときに、湖底から小さな泡が上がってくるように、アイデアの核が浮き上がってくる。

   つまりアイデアというものは常に直感的に浮かび上がる。しかし直感は、「長い間集中して考え抜くこと」、すなわち果てしない思考の延長上でしか②機能してくれない

1.

筋肉と同じと筆者が考える理由は何か。

2.

筆者はアイデアはどのようにして生まれてくると考えているか。

3.

機能してくれないとは、この場合どういうことか。

   住居を買おうとするときは、その資産的な価値に重点を置いて考える人が多い。普通の人にとっては、一生に一度の買い物とでもいうべきもので、多額の金を費やさなくてはならないので、当然のことだ、買った後で、何らかの事情で売らなくてはならない羽目になったときに、価値が減少していたのは、大損害を被る。

   だが、住居にとってより重要なのは、その有用性(注1) である。住みやすさが必要なのはもちろんだが、自分のライフスタイルに合った構造になっているとが、生活のしやすい環境にあって利便性(注2) に富んでいるとかの点も、重要な要素である。それらは必ずしも世間一般の価値基準とは一致しない。したがって、自分たちの考えからや行動様式に従い、それに照らし合わせて判断する必要がある。

   特に、(つい)住処(すみか)(注3) として考えるときは、自分たちの生き方をはっきりと見極め、その視点に立ったうええ、洗濯し決めていかなくてはならない。年を取ってくれば、当然のことながら、行動する能力は衰えてきて、動き回る範囲は狭まっていくる。

   自分たちの余生がどのようなものになるかについて、計画をたてたうえに想像力を働かせて、確実性の高い予測を組み立ててみる。その未来図に従って、住むべき場所の見当をつけ、住居の大きさや構造などを決めていく。もちろん、将来の経済情勢の大きな変化に備えて、予算を大きく下回る出費に抑えておくことも必要であることは、いうまでもない。

(注1)有用性:役に立つこと

(注2)利便性:便利さ

(注3)(つい)住処(すみか):人生を終えるまで住む家

1.

世間一般の価値基準として筆者が本文であげているのは何か。

2.

筆者の考えでは、年を取ってから住む家として住居を選ぶときに最も大切なことは何か。

3.

住居選びについて、筆者が最も言いたいことは何か。

アイデアを生む発想力というのは、遍在する膨大な記憶を徹底的に「検索」し、適したものを意識の表面に浮かび上がらせる力ではないかと思う。その力は①筋肉と同じで鍛え続けないと退化する。そして発想力を鍛え、維持するためには、他の誰よりも「長い時間集中して考え抜く」という、ミもフタもないやり方しかない。だが、おそらく考えている間はアイデアは生まれてこない。胸が悲鳴を上げるまで考え抜いて、ふっとその課題から離れたときに、湖底から小さな泡が上がってくるように、アイデアの核が浮き上がってくる。

つまり、アイデアというものは常に直観的に浮かび上がる。しかし、直観は、「長い間集中して考え抜くこと」。すなわち果てしない思考の延長上でしか機能してくれない。

(村上龍「無趣味のすすめ」幼冬舎)

1.

(1) 筋肉と同じと筆者が考える理由は何か。

2.

筆者はアイデアはどのようにして生まれてくると考えてくるか。

   生命とは動的平衡(注1)にある流れである。生命を構成するタンパク質は作られる(きわ)から壊される。それは生命がその秩序を維持するための唯一の方法であった。しかし、なぜ生命は絶え間なく壊され続けながらも、もとの平衡を維持することができるのだろうか。その答えはタンパク質のかたちが体現している(そう)()(せい)(注2)にある。生命は、その内部に張り巡らされたかたちの相補性によって支えられており、その相補性によって、絶え間のない流れの中で①動的な平衡状態を保ちえているのである。

   ②ジグソーパズルのピースは次々と捨てられる。それはパズルのあらゆる場所で起こるけれど、それはパズル全体から見ればごく微細な一部に過ぎない。だから全体の絵柄が大きく変化することはない。

   そして、新しいピースもまた次々と作り出される。重要なことは、新しく作られたピースは自らのかたちが規定する相補性によって、自分の納まるべき位置をあらかじめ決定されているという事実である。ピースはランダムな熱運動を繰り返し、欠落したピースの穴と自らの相性を試しているうちに、納まるべき場所に納まる。こうして不断の分解と合成に(さらし)されながらも、パズルは全体として平衡を保つことが可能となる。

(注1)平衡:バランスがとれて安定している状態そうほせい

(注2)(そう)()(せい):互いに補い合う性質

1.

生命はどのように①動的な平面を保ち得ているか。

2.

筆者は、②ジグゾーパズルのピースを何の例えとして使っているか。

3.

筆者は、生命をどのようなものだと主張しているか。

   最近はテレビのコマーシャルにクラシック音楽が盛んに登場して、 しかもそれが驚くほど新鮮な魅力を持っていたりする。しかし、 こうしたことがすぐに ①クラシック音楽の普及につながるなどと考えない方がいいだろう。

   クラシック音楽は難しいという人は結構多い。彼らが口をそろえて言うのは、 曲が長くて途中で退屈してしまう、 暗く()ざされたコンサート会場で長時間物音(ものおと)ひとつ立てずにじっと座っているのは苦痛だ、 ということだ。 このことは、 つまりクラシック音楽というのは、 長い曲を聴き通すこと、それも何かをしながらではなく集中して曲全体を聴き通すことであり、 旋律(せんりつ)やリズムや音響(おんきょう)といった現象的(げんしょうてき)な快楽にとどまらない、 総合的でドラマティックな体験であるということを示している。もちろん細部(さいぶ)が全体に劣るわけではないだが、 ②曲全体という世界の中に位置づけられることで、細部は、 それだけで存在する以上の意味を持つことができる

   しかし、 コマーシャルの15秒のクラシック音楽は、 そういう体験にはほど遠い。 それはたしかに作品の一部には違いないが、 その向こうに作品全体を暗示(あんじ)することのない、 むしろ作品という根から切り離された、 個別的()快楽(かいらく)的な現象である。 だから、 コマーシャルにクラシック音楽が続々と登場し、 それが感動を誘っているとしても、 かならずしもそれで人々が容易にクラシック音楽に(みちび)かれるとは考えないほうが良い。ともかく、 こうしたことは音楽の受け止め方が変質(へんしつ)しつつあることを示しているのではないだろうか。

( 岡田敦子「 永遠は瞬間のなかに」品社による)

1.

①「 クラシック音楽の普及につながるなどと考えない方がいい」 と筆者が考える理由は何か。

2.

②「 曲全体という世界の中に位置づけられることで、細部(さいぶ)は、 それだけで存在する以上意味を持つことができる とあるが、 どういうことか。

3.

クラシック音楽について、 筆者の考えに近いものはどれか。

   威張るのはよくないと思っている人が多い。しかし、威張るとは自分の役割に忠実になることである。そして役割に忠実になるとは、自分の権限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気をもつということである。たとえばスチュワーデスが「お客さま、お煙草はサインが消えるまでお待ちいただけないでしょうか」というのは自分の責任に忠実な瞬間である。出すぎたことでもないし、生意気をいっているわけでもない。教授が学生に「レポートは事務室に提出のこと。拙宅に郵送しても採点しない」というのは教師の①権限を発揮しているわけで、権威主義とか押しつけというわけではない。

   自分の役割を明確に打ち出さないから後で後悔したり、人に無視されたり、なめられたりするのである。組織とは役割の束である。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くのである。②遠慮は無用とはこのことである。ところが給料は役割に払われていることの自覚が足りない人がいる。いつもニコニコして人の和を保っている好人物であるという理由で給料をもらっているわけではない。権限と責任を発揮するという契約を果たすからこそ給料をもらっている。つまり給料をもらうには気合がかかっている必要がある。これを私は威張ることをためらうことなかれと少し極端に表現してみたのである。

1.

筆者が言う①権限を発揮している例としてふさわしいものはどれか。

2.

筆者は、何に対して②遠慮は無用だと言っているか。

3.

筆者の考えと合っているものはどれか。

   新石器時代に家が出現した。家の出現は、人々の日々の暮らしに安らぎといこいをもたらす。冬は暖かく、夏は(すず)しく、()が落ちて暗くなっても炉には火が燃えている。家のなかには風も雨も雪も入ってこないし、腹のへったクマやトラやライオンに襲われる心配もない。家族のもさぞ強まったことだろう。でも、家の効果はそうした日常的なことや実際的なことだけではなかった。人の心や精神にとって、きわめて重要な役割を果した。(中略)自分が修学旅行や夏休みの休暇(きゅうか)で長期に家を空けた時のことを思い出してください。

   “懐しい "(注)と思う。どうしてそう思うのか。もし自分がいない間に作り替えられていたら、ガッカリしこそすれ懐しさはない。逆にわけのわからない怒りがこみ上げるかもしれない。家が変わっていなかったからこそ懐しいという気持ちが()いてきたのだった。懐しいという心の働きは、喜怒哀楽(きどあいらく)の感情とはちがう不思議な感情で、人間にしかない犬は占い犬小屋を振り返ってシミジミするようなことはしない。人間が、昔のものが変わらずにあるシーンに出会った時に、この感情が湧いてくる。

   その時、自分の心のなかでは何が起きているんだろう。おそらくこうなのだ。久しぶりに見た家が昔と同じだったことで、今の自分が昔の自分と同じことを、昔の自分が今の自分まで続いていることを、確認したのではあるまいか。自分はずっと自分であ。

   人間は自分というものの時間的な連続性を、建物や集落の光景で無意護のうちに確認しいているのではないか。

   新石器時代の安定した家の出現は、人間の自己確認作業を強化する働きをした。このことが家というものの一番大事な役割なのかもしれない。

(藤森照信 『人類と建築の歴史』筑摩書房による)

(注)懐しい:一般的な表記は「懐かしい」

1.

家の出現が人々にもたらした変化として、本文の内容に合うものはどれか 。 

2.

自分というものの時間的な連続性とは、どのような意味か。

3.

筆者の考えによると、家が果たした最も重要な役割は何か。

   ハチドリという鳥を知っているだろうか。鳥のうちでいちばん小さく、体長わずか3センチという昆虫(こんちゅう)のような種類さえある。小さな巣を作って、 豆粒(まめつぶ)ぐらいの卵を産み、 花の(みつ)を食物にしている。 小さな(つばさ)をプーンと(ふる)わせ、 飛びながら花の(みつ)を吸うハチドリを初めて見た人は、 なにか童話(どうわ)の世界にいるような気がするに違いない。

   でも、 この鳥はこの現実の世界に生きている。①こんな小さな鳥が生きるということはそれ自体が不思議である。 なぜなら、 こんな小さな鳥は生きていられるはずがないからである。

   鳥は我々と同じく、 温血(おんけつ)動物つまり恒温(こうおん)動物である。 体温は外気(がいき)と関係なく一定に(たも)たれている。それが保てなくなったら、 人間が凍死(とうし)するのと同じように死んでしまう。 ところが、 体がこんなに小さいと、 体積にくらべて体の表面積(ひょうめんせき)(いちじる)しく大きくなる。つまり、 体温を保つのに必要な熱を発生する体の大きさの割に、 熱が逃げて行く表面積が大き過ぎるのである。 そこで、 ハチドリが生きていくのに込要な体温を保つには、 体の表面から逃げていく熱を絶えず(おぎな)っていなくてはならない。 そうでないと体温はたちまち下がってしまう。

   ハチドリは熱帯にいるから、 そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。 しかし、 実際に ②ハチドリの「 経営状態」 、 つまり食べたもの( 収入) と体温維持のための熱発生( 支出) の関係を調べてみると、 入るそばから支出されて行き、 何とか収支が合うようにできていることがわかる。収入が断たれたら、 数時間のうちに倒産(とうさん)してしまう。つまり、 食べるのをやめたら、 たちまち熱発生も止まり、 体温が降下(こうか)して、 凍死してしまうのである。

   ハチドリも夜は木の枝にとまって眠らなければならない。 毎日12時間近く食べずに過ごすわけである。 本来なら、 この間にエネルギーの(たくわ)えが()き、 体温降下と凍死を招くはずである。 にもかかわらずハチドリは、 何万年もの間ちゃんと生きている。 なぜか。

   それは、 彼らが毎晩、 冬眠(とうみん)するからである。 熱帯の夜はけっして暑くない。気温は20度を割ることさえある。 ハチドリは夜が来ると、 温血(おんけつ)動物であることをやめる。 体温調節をやめて、 爬虫類(はちゅうるい)のような冷血(れいけつ)動物になってしまうのだ。体温は一気に気温のレベルにまで下がる。 呼吸もごくわずかになり、 筋肉も動かなくなる。 だから、 夜、 眠っているハチドリはかんたんに手で捕まえられるそうである。 そして、 朝が来て気温が上がると、 ハチドリの体温も上がる。 体温が一定の温度を超すと、 ハチドリは目覚め、 恒温(こうおん)動物となって、 花の(みつ)を求め、 飛び立つのである。

   ③そんなわけで、 この宝石のように美しいハチドリは、 一年中長雨(ながあめ)の降らない、 昼は一年中気温が高くしかも夜はかなり冷える土地、 主に中南米(ちゅうなんべい)の一部にしか住めないことになる。 もし、 中南米の気候が変わって、 雨が多くなるか、 冬ができるか、 夜も暑くなるかしたら、 そのどの一つの変化はろによってもハチドリは(ほろ)びるだろう。 その誕生とともに持って生まれた遺伝(いでん)仕組(しく)みと環境とが矛盾するからである。

( 日高敏隆「 人間についての寓話」 平凡杜による)

1.

①「こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である」 のは、 なぜか。

2.

ハチドリの「 経営状態」 とは、 どういう状態か。

3.

③「そんなわけ」 とは、 どういうことか。

4.

この文章から、 ハチドリについてわかることはどんなことか。

   国内の優れた農業従事者が、その取り組みを発表する第61回全国農業コンクール全国大会(毎日新聞社、島根県主催)が、同県出雲(いずも)市で開かれた。(中略)

   最優秀の毎日農業大賞を獲得した「やさか共同農場」は、同県浜田市の山あいにある。コメや大豆などの有機栽培とみそなどの食品製造を組み合わせ、ブランド化に成功した。通信販売などの販路も開拓し、年間2億円以上を売り上げる。

   40年前に4人で始めた農場は法人化し、現在は35人が働く。農業研修生も受け入れ、若者の就農も支援している(中略)

   政府が、昨秋まとめた農業を再生・強化するための基本方針は、第1次産業の農業に、第2次、第3次産業である製造・販売業を組み合わせた「6次産業化」の推進、営業規模の拡大、若い世代の参入促進を柱にしている。

「やさか」の取り組みは、そうした強化策を先取りした好例だ。山あいの過疎地、冬には降雪で農作業もままならない。そんな悪条件、創意工夫で、乗り越えられることを実績で示した。

   大会では、多くの発表者が6次産業化の取り組みに触れた。生産者が、民間企業とも連携しながら加工・製造、販売まで一貫して手がけることで、「安全・安心」といったメッセージを伝え、消費者の支持を獲得したケースが目立った。

(毎日新聞2012年7月30日付朝刊による)

1.

この農業コンクールについて、本文の説明と合っているものはどれか。

2.

創意工夫とあるが、「やさか」の場合は具体的にどのようなことか。

3.

今回のコンクールではどのような事例の発表が多かったと筆者は述べているか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。


   世界の産業用ロボットの 3 分の 2 が日本で作られ、3 分の 1 が日本で稼働している。 他の国に比べてロボットが多いのは、ヨーロッパのようにロボットを仕事を奪う物だと敵視せず、むしろ手伝ってくれるいい物だとの意識が強かったからかもしれない。

   日本人は昔から珍しい物が好きで、江戸時代(1603 年~ l867 年)には世界最初のロボットと言われている茶運び人形を始め様々なからくり人形が作られた。人形が逆立ちしたり、文字を書いたり、弓を射ったり、小鳥がおみくじを運んできたり、その技術力の高さには驚かされる。それらは今でも残っていて日本各地の祭りで人々の目を楽しませている。楽器を演奏するエンターテイメントロボットの①ルーツがそこに窺われる。 また漫画家手塚治虫(てづかおさむ)の「鉄腕アトム」 の影響もある。アトムは常に人間の味方であり人間を助けてくれる存在だからだ。アトムのようなロボットを作りたいというのは研究者たちの夢だと思う。

   残念ながら、自分で判断して何でもできるロボットはまだ開発されていない。しかし、 判断という点では掃除ロボットや介護ロボットは優秀だ。掃除ロボットは人が前に立ったりぶつかったりすると状況を判断して一時停止する。介護ロボットもセンサーで安全が保たれるように作られている。業務用あるいは家庭用ロボットは人件費が高い日本では強力な(すけ)()として益々需要が増えるだろう。多くの掃除ロボットは最近まで高額だったので一般家庭では使われていなかった。しかし、格安掃除ロボットが売り出されその人気に火がついた。性能もよかったので1日に何億円と売れたこともあるそうだ。何年もしないうちにほとんどの家で使われるようになるだろう。日本の家庭用や業務上使用される介護用ロボットの市場は 2008 年には約 34億円だったそうだが、数年で 4~5 倍に拡大するという予想もある。特に家庭用ロボットは低価格になれば急速に普及するに間違いない。だから何でもできる多機能ロボットより単機能でも低価格のロボットの開発が望まれる。必要な部分だけロボットに助けてもらえばいいからだ。高齢化社会を迎えて介護ロボットの開発は今一番期待されている。介護の手助けロポットが開発されれば介護する人にも介護される人にとってもありがたいことだ。人間に役立つ様々なロボットの開発が望まれる。

1.

最後にどの文を入れたらいいか。

2.

からくり人形がどうして①ルーツになるのか。

3.

家事ロボットの普及に最も関係が深いことは何か。

4.

著者のロボットに対する意見はどれか。

    2007 年、あらゆる組織や臓器に変化する可能性を持つ人工多能性幹細胞、いわゆるiPS細胞の培養に日本人の山中伸弥(しんや)教授が成功しました。この画期的なニュースが世界中を駆け巡ったとき、多くの患者たちに希望の灯がともされたことでしょう。この技術が確立されれば目分の体から新しい臓器を作ることが可能になります。他人の臓器移値を侍っている間に亡くなる患者を救うことができるばかりでなく、移植後の驪器との不適合から引き起こされる様々な障害をー掃することもできます。現在の医学では治療不可能なALS(注1)(筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう))なども治療できるでしょう。 そして誰もが再生医療を受けられれば、人類は健康を維持でき、更に寿命を伸ばすことさえできるてしょう。まさに夢の医療なのてす。


   この研究はまだ緒に就いてさほど経っていません。熾烈な開発競争が世界中の研究で行われているとはいえ、実現にはまだまだ乗り越えなければならないことがたくさんあります。中でも一番の問題は安全性です。 iPS細胞は癌化しやすいという欠点を持っているのです。

   最新のニュースによると、日本の慶応大学のグループが猿を使った実験に世界で初めて成功したそうです。せき髄が傷ついて首から下全体が麻痺した猿に人間の皮膚を基に作り上げた。iPS細胞を移植して歩けるように回復させたのです。また、この実験では約3ヶ月の経過観察の間、iPS 細胞の癌化が起こらなかったそうです。この実験が注目されているのは人間と同じ霊長類である猿を使ったことと癌化が起きなかったことです。これで人間への応用に一歩近づいたと言えます。

   再生医療の面では希望となるiPS細胞ですが、倫理面での問題も(はら)んでいます。2010年、アメリカで 2 匹の父親マウスから子供を誕生させることに成功したそうです。どんな組職にも変化可能ですから、精子と卵子を生成することもできるわけです。この技術を応用すれば女同士あるいは男同士から子供を作ることも理論的には可能になります。抆術的面からすぐに①どうこうというわけではありませんが、将来危惧されることになるでしょう。

   また、特許の問題もあります。もし誰かに基本技術の特許が与えられたら、この分野での研究は止まってしまう恐れがあります。ノーベル化学賞受賞者の編み出したクロスカップリング(注2)という抆術は特許を申請しなかったからこそ、その後多くの研究者があとに続き、人類のために多くの新薬を作り出すことができたと言われています。iPS細胞基礎技術もそうあるべきだと考えます。研究を進ませ人類のために役立てて欲しいと思うからです。

( 注1)  ALS(筋萎縮性側索硬化症(きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)): 全身の筋肉が衰えていく病気

( 注2) クロスカップリング: 異なる二つのものを結合させる化学反応

1.

どうこうとは何を指すか。

2.

最新のiPS細胞技術について述べているのはどれか。

3.

iPS細胞研究に障害があるとすればそれは何か。

4.

iPS細胞研究に対する著者の考えはどれか。 

   さて①現代を生きる人間が立ち向かうべきは、いったいどんな「自然」なのだろう。人間を生み、育てた原風景は間違いなくあの懐かしい生物的自然だ。この自然に人間は何百万年も生きてきた。けれどもその生物的自然は、残念ながらこの地球にはもう存在しない。その再生も不可能だ(ただし人間という生物がこの地上からいなくなれば、まもなく(ほう)(じょう)な生物的自然は再生してくるだろうが)。とすれば②人間的自然しかない。好むと好まざるとにかかわらず、人間は自分自身が創り上げた自然の中でしか生きていけない。けれどもそれは、人を現実から逃避させる情報的自然でも、限りある化石燃料に依存した工業的自然でもない。僕たちの相手は、結局農業的自然しかなぃと覚悟すべきだ。

   人間は自然(環境)の刺激により育つ。与えられる刺激は多様な程良い。何しろ人間のカラダには、何十億年という時間をかけて培われた莫大な潜在能力があるのだから。それを引き出すには、それだけたくさんの刺激が必要なはずだ。

   僕は人間が育つには、周りに色々な人間がいて、色々な事物が渦巻いていることが大切だと思っている。特定の人しかいず、特定の物しかなく、特定の事しか起きない世界は、③人間にとって貧しい

   でも今のこの国ではどこに行っても、④町や村はある特定の機能を押し付けられている。例えば僕の住む東京都下は、都心で働く人間のねぐらを提供するよう押し付けられている。

   農村部でも同じだ。そこでは大都市向けの農作物を作ることがまず要求される。しかもカボチャしか、大根しか作らないというようにはっきりと分業し合っている。そういう所で育つ子供たちは、白菜しか見たことがない、豚の鳴き声しか聞いたことがないという具合に、学ぶことが少ししかない。

   地域に与えられた特定の役割を打破することこそ、「地方分権」だと僕は思う。分権とは政治的権限が中央から地方に委譲されることだが、そのことは同時に、これまで中央や国家を支えるためだけだった地方が、何はともあれ自分自身を支えるためのものとして脱皮する、そんなものでなければ意味がない。ともあれ、「混在型の世界」でこそ人はよく育つと、僕は言いたいのである。

1.

同筆者は、①現代を生きる人間が立ち向かうべきは、いったいどんな「自然」だと考えているか。

2.

人間的自然とは、ここではどういうことか。

3.

筆者が考える③人間にとって貧しいとは、どういう意味か。

4.

町や村はある牲定の機熊を押し付けられているとあるが、それはなぜか。

   子どものときから、 忘れてはいけない、 忘れてはいけない、 と教えられ、 忘れたと言っては(しか)られてきた。 そのせいもあって、 忘れることに恐怖心を抱き続けている。 忘れることは悪いことと決めてしまっている。

   学校が忘れるな、 よく覚えろ、と命じるのはそれなりの理由がある。教室では知識を与える。知識を増やすのを目標にする。せっかく与えたものを片端(かたはし)から捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。 覚えているかどうか時々試験をして調べる。 覚えていなければ減点(げんてん)して警告(けいこく)する。点はいいほうがいいに決まっているから、 みんな知らず知らずのうちに、 忘れるのをこわがるようになる。

   教育程度が高くなればなるほど、 そして、頭がいいと言われれば言われるほど知識をたくさん持っている。つまり、 忘れないでいるものが多い。頭の優秀さは、 記憶力の優秀さとしばしば同じ意味を持っている。

   ここで、われわれの頭をどう考えるかが問題である。

   ①これまでの教育では、 人間の頭脳を倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん蓄積(ちくせき)する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさん詰まっていればいるほど結構だということになる。

   ②倉庫としての頭にとっては、 忘却(ぼうきゃく)は敵である。 ところが、 こういう人間の頭脳にとっておそるべき敵が現れた。 コンピューターである。 これが倉庫としてはすばらしい能力を持っている。 いったん入れたものは決して失わない。 必要な時には、 さっと引きだすことができる。 整理も完全である。

   コンピューターの出現(しゅつげん)、 普及にともなって、 人間の頭を倉庫として使うことに疑問がわいてきた。 コンピューター人間を育てていたのでは、 本物のコンピューターにかなうわけがない。

   そこで、 ようやく人間の創造性(そうぞうせい)が問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、 というのである。

   人間の頭はこれからも、 一部は倉庫の役を続けなければならないだろうが、 それだけではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。 倉庫なら、 入れたものを紛失(ふんしつ)しないようにしておけばいいが、 ものを作り出すには、そういう保存保管(ほぞんほかん)の能力だけでは仕方ない。

   第一、 工場に余計なものが入っていては作業能率が悪い。 余計(よけい)なものは処分(しょぶん)して広々としたスペースをとる必要がある。 そうかと言って、全てのものを捨ててしまっては仕事にならない。③整理が大事になる

   倉庫にも整理は欠かせないが、 それはものを順序よく並べる整理である。それに対して、 工場内の整理は、 作業のじゃまになるものを取り除く整理である。 この工場の整理に相当するのが忘却(ぼうきゃく)である。 人間の頭を倉庫としてみれば、 危険視(きけんし)される忘却だが、 工場として能率(のうりつ)を良くしようと考えれば、 どんどん忘れてやらなくてはいけない。

   そのことが今の人間にはわかっていない。 それで、 工場の中を倉庫のようにして喜んでいる人が現れる。 それでは、 工場としても倉庫としても、 両方ともうまく機能しない頭になりかねない。 コンピューターには、 こういう忘却ができないのである。 だから、 コンピューターには倉庫として機能させ、 人間の頭は、 知的工場として働かせることに重点を置くのが、 これからの方向でなくてはならない。

( 外山滋比古「『思考の整理学』 筑摩書房による)

1.

①「 これまでの教育」 とあるが、 どのような教育か。

2.

②「 倉庫としての頭」 とあるが、 どういうことか。  

3.

③「 整理が大事になる」 とあるが、 どういうことか。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

 日本人には①テクニックという言葉に抵抗を感じる人が多いらしい。

「小手先のテクニックではなく、心が大事だ」

「表面的なテクニックではなく、ほんものの内容を身につけるべきだ」

   などと言われる。 テクニックという言葉は常に否定的に扱われる。テクニックは本質と関わりのない小手先の表面的な技術とれる。

   しかし、言うまでもないことだが、テクニックがあるから、物事を実践できる。理念だけ、理論だけでは何もできない。理念を実践するためには、それなりのテクニックが必要だ。いくら理想を高くてもテクニックがなければ、物事を実行できない。テクニックがあってはじめて、理念を現実のものにできる。

   私は、人生のほとんどがテクニックだと考えている。恋愛もテクニック、勉強もテクニック、人付き合いもテクニックだ。

   モーツァルトは②天才だったと言われる。その通りだと思う。 だが、摩訶(まか)不思議な能力がモーツァルトに備わって、音楽が次々と自動的に流れたわけではないだろう。モーツァルトは幼いころから父親に音楽の英才教育を受けた。そうしてさまざまなテクニックを身につけた。天才というのは、たくさんのテクニックを知り、それを適切に用いる能力を持った人間、ということにほかならない。

   人付き合いも、テクニックが必要だ。人に好かれるのも、実はテクニックにほかならない。人付き合いの上手な人は、意識的にテクニックを習得する必要がある。テクニックと割り切ることによって、練習ができる。テクニック自体を練り上げ、上達することができる。そのための修練を積むことができる。コミュニケーション術も、テクニックと考えて習得に努めてほしい。③この心構えがあってこそ、自分のものとして使いこなすことができるようになるはずだ。

   ただし、もちろん、人付き合いのテクニックというのは、人と人が理解し合えるようになるための道具でしかない。テクニックだけを身につけて、本当に理解し合うことを求めなければ、そのテクニックは意味がない。相手を本当に尊敬してもいないのに、テクニックだけで尊敬したふりをしても見破られる。すべてテクニックだということは、テクニックさえあれば心の交流は不要という意味ではない。自分の気持ちをきちんとわかってもらい、心の交流をなしとげる目的のために、テクニックがすべてを決する、という意味にほかならない。それについては誤解しないでいただきたい。

1.

日本人は①テクニックとはどんなものだと感じていると、筆者は言っているか。

2.

筆者は、 ②天才とは、どんな人だと述べているか。

3.

この心構えとは何か。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

   診察室でときどき、「この先、生きていても、これ以上いいことはなそうな気がする」「やりたいことはだいたいやってしまったので、ここで人生が終わってもまあまあ満足」という言葉を聞くことがある。それも、七十代、八十代の人の口からではなく、二十代や三十代の若い層からだ。(中略)

   おそらく彼らは、「何と何をやったから、もう自分の人生に悔いはない」と具体的な決意を述たいのではなく、「なんとなく楽しい時期はもうすぎてしまった」という気分を表現したいだけなのだろう。(中略)

   では、この「終わった」という感覚はどこからやって来るのか。おそらく原因には個人的な要素が強いものと社会的な要素が強いもの、ふたつが考えられるだろ、まず個人的なほうだが、いまの若い人たちには「楽しいのは十代のうちだけ」という価値娊が広がっているように思える。最近、フィギュアスケートやゴルフなどで注目を集めた選手は十代。繁華街にあるファッションビルでいちばん元気がいいのも、十代をターゲットにした商品が扱われているショップだ。逆に「おとなにならなければできないこと」は減り、お金さえあれば、十代が高級な寿司屋やレストランに出入りしても、誰にも文句は言われない。そういう状況にあって、「ハタチを過ぎれば、もう楽しいことはない」と考えろ人が増えてもおかしくない。

   しかし、若い人の「終わった」という感覚の背景には、もっと社会的な要因もあるのではないだるうか。すなわち、高度経済成長期や文化の爛熟助などを過ぎて、バブル崩壊後の長期不況を軽た現在、日本全体に「楽しい時期は終わった」という感覚が広まっているのではないか。冷蔵庫やクーラーもまだなく、誰もが物質的な豊かさが心の豊かさに通じる、と信じて疑わなかった昭和の時代を懐かしむ映画やドラマが盛んに作られていることからも、多くの人が「昔のほうが今より楽しかった」と思っているという雰囲気が伝わってくる。リアルタイムで昭和の時代を経験していない今の十代でさえ、「どうやら元気のいい時代は終わったらしい」と感じているのではないだろうか。

   あえて言えば、「もういいことはない」と言っている人が年をとったのではなく、その人がいる社会自体が年をとった、ということなのかもしれない。社会や国にも年齢があるのかどうか。についてはいろいろな議論もあるだろうが、「途上国」から「成長国」、そして「安定国」へ、という国の歩んできたプロセスは、人間のライフコースになぞらえることができる。(中略)いまさら経済力を高め、他国との競争に勝ってさらなる豊かさを追求するよりも、”よい若いか”を模索して実行し、後に続く国の手本になる方が得策だと思うのだが、そういう声もなかなか大きくならない。「美しい国へ」が「美しく老いる国へ」と方向転換できれば、「もう楽しいことはないから希望もない」という若者の虚無感もむしろ軽くなるのではないだろうか。 

(香山リカ「悩み」の正体 』岩波書店よる)

1.

若い人たちが「終わった」という感覚を持つ個人的要因として、本文の内容と合うのどれか。

2.

若い人たちが「終わった」という感覚を持つ社会的要因として、本文の内容と合うのはどれか。

3.

社会自体が年をとったとあるが、それはどのような状態か。

4.

筆者は、日本がこれからどうあるべきだと述べているか。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。
A

   生き方って、本当にむずかしい。考えれば考えるほどわからなくなる。これは(いつわ)らざる(注1私の実感だ。しかし、最近、私はそうは思わなくなった。

   なぜなら私は、ある重要なことに気がついたからである。それは、とっても単純なこと。あまりに単純だから気がつかなかったことでもある。

   私は長い間、どこかで自分の手本になる生き方を探していた。いいかえれば、自分に一番あった生き方の教科書を探していたのである。(中略)

   私の生き方の手本はどこにあるの?自分だけが(つえ)なしで山道を歩いているような不安感を、私は長い間、ぬぐいさる(注2)ことができなかった。

   しかし、最近、私は開照(ひらきしょう)(注3)した。(中略)

   そうだ、生き方に手本なんかない。人が百人いれば、みんな顔や性格がちがうように、生き方は百人百様。つまり、私はこの地球上で唯一無二(ゆいいつむに)(注4)の存在なのだから、私は私の生き方をすればいいのだ。

                 (松原惇子『いい女は「生き方」なんかこだわらない」PHP研究所)

(注1)(いつわ)らざる:本心や真実を隠さない

(注2)ぬぐいさる:汚点、不信感などをきれいに取り去る。

(注3)開眼(かいがん):物事の道理や真理がはっきわかるようになること。

(注4)唯一無二(ゆいいつむに):ただ一つだけあって二つとないこと

B

知り合いの女性に赤ちゃんができた。三十五歳の彼女は、仕事を辞めてただ今、育児の真っ最中。

ところが先日、彼女が浮かない顔(注5)でこう言った。「子供ができたことは、うれしいけれど、どうやって育てたらいいのか、わからなくて。本には、なるべく、子供を抱くように、と書いてあったからそうはしているけど」

それを聞いて、私はつい言ってしまった。

  • [本を読むから、迷うのよ]

今、世の中には、信じられないぐらいの数の育児関係の本や雑誌が出ている。(中略)

いろいろと手をかけることが愛情ではないのに、そう信じて疑わないお母さんが、相変わらず多いのにはびっくりする。子供なんか、ほっておけば育つし、子供にとり、一番大事なのは、母の愛という安心感しかないはずなのに。

子育ては、元来とてもシンプル(注6)なのに、今のお母さんたちは、勝手に難しくしているような気がしてならない。

(松原惇子 『いい女は「生き方」なんかこだわらない」PHP研究所)

(注5)浮かない顔:心配そうな顔。(うれ)しそうではない顔

(注6)シンプル:単純。簡単

1.

AとBの文章の内容と違うものはどれか。

2.

①[本を読むから、迷うのよ]とは、どういう意味か。

3.

筆者は、Aの「生き方」とBの「育児」に対して、どのような意見を持っているか。

A

   女性の育児休業取得率が90.6%とこれまでの最高を記録したことが、厚生労働省の調査でわかった。育児休業後の支援でも、約1年間の短時間勤務制度を導入している事業所の割合や、小学校就学時までの短時間勤務を続けることができる事業所の割合は、いずれも増加しており、育児休業に対する世の中の理解が広まってきたことがわかる。

   一方、男性の取得率は1.23%である。男女で育児休業取得率に大きな差が見られることについて専門家は、「女性はこれまで出産退職が多かったが、厳しい経済状況下、家計のために仕事を辞められない人が増えており、男性では育児休業取得によるリストラを不安に感じる人が増えているのだろう」と分析している。

B

   厚生労働省の雇用均等基本調査によると、男性の育児休業取得率は1.23%にとどまり、女性の取得率90.6%との差が広がっていることがわかった。また、取得期間についても、女性では「10〜12カ月未満」が最も多かったが、男性では「1カ月未満」が過半数であった。        

   男性が育児休業を取得しないのは、制度の利用によって受ける不利益を心配してのことだといわれる。実際、制度取得後の労働条件は「明示しない」など、過半数の事業所で規定が()(めい)(りょう)であった。

   厚生労働省は8年後までに男性の育児休業取得率を10%にするという目標を掲げてる。しかし、調査結果を見ると、制度取得後の労働条件についての法整備なくして、この達成はかなり難しいと言わざるを得ない。

1.

AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。

2.

男性の育児休業取得率の目標値の達成について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

男女の育児休業取得率に差が広がった理由は何か。

A

LCCは今や航空業界を席巻する成長ぶりである。先日も、LCCを利用し東南アジアへ旅をする機会があった。今回は7時間というフライトで、食事や飲み物のサービスが一切ないため、サンドイッチを購入することにした。しかし、何にせよ、選択肢があることは良いことだ。時間が来たら起こされ、食べたくもない食事を無理やりほおばる従来の機内サービスに比べたら、自分で選べることのほうがありがたいと言えばありがたい。

もちろん、安かろう、悪かろうという面も多々ある。予約の際、インターネットを利用するが、手続きが少々複雑な上、キャンセルや変更もきかないといった落とし穴もある。また、便の遅延や欠航は日常茶飯事である。しかし、これらもすべて、料金を抑えるための方策によるものである。費用が安くなる分、気軽に旅を楽しめるようになったのは歓迎すべきことであろう。

B

近年、日本市場に本格参入したLCCにみられるあの手この手のコスト削減の方法には、新鮮な驚きを覚えた。LCCでは、食事や飲み物をはじめ、映画の視聴や毛布などのアメニティーといった、これまで機内サービスの標準だったものが、基本的になくなったのだ。もちろん、必要ならばどれも有料でサービスを受けられる。この点が何とも合理的で好ましい。今後ますます浸透していってくれることを期待している。一方で、チケットの販売方法には課題を感じる。現在、インターネットでの購入が中心となっているが、利用方法が非常に複雑で、このままでは決まった層だけが利用できるサービスになりかねない。また、旅行代理店を通さない方法は、旅行業界にとってプラスにならないのではないかという懸念を抱く。いずれにせよ、業界全体の利益と発展に十分配慮がされることが望まれる。 

 

1.

AとBのいずれか一方のみで書かれていることはどれか。

2.

LCCの予約方法についてAとBはどのように考えているか。

3.

LCCに対するAとBの考えはどのようなものか。