Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

Thời gian còn lại:

184

読解
内容理解(短文)
統合理解

Hoàn thành
読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   最近、地域内の複数個所に自転車の貸し出しをする専用ステーションを設けて、自転車シェアリングのサービスを行う自治体が増えている。環境保護や地域おこしをねらいとした事業だ。最寄りの駅から目的地までの移動などに公共の自転車が利用できれば、さぞかし便利だろう。ところが、まだ成功といえる事例は少ない。背景には、どの自治体も、町にあふれかえる個人の自転車の管理に頭を抱えていることがある、人々の駐輪マナーの低下は、駐輪場の不足によってさらにエスカレートしている。まずは目の前の問題をどう解決するか、そっちのほうが先のようだ。

1.

筆者は、自転車シェアリングのサービスを実施することについて、どう考えているか。

   話しかけるタイミングの悪い人が増えた。彼らは呼吸が上手(うま)くつかめないのである。私は、これはネット社会の影響だろうと考えている。

   電子メールは便利である。メールのお(かげ)でビジネス関連の時間、特に伝達事項にかける時間が随分短縮(ずいぶんたんしゅく)された。こちらは、時間の余裕のある時にメールを書けばよい。相手も時間の余裕のあるときに読めばよい。自分の都合、相手の都合、双方(そうほう)に利益があるのである。

   これを繰り返しているぶんには、相手の都合を考えなくてもよいのである。自分の都合のいい時に「伝達」が済んでしまう。ということは、相手の様子を読むトレーニングを()まなくなる。相手の呼吸に合わせるという感覚がなくなっていくのである。

(竹内一郎「人は見た目が9割 」新潮社)

   女性の誇りはいかに質の高い愛をもらったか、いかにたくさん愛をもらったか、ということです女性はいつの時代も愛されることに命をかけています。世界中の女性がそう思って生きているのです。ほとんど例外はありません。キレイになりたい、という女心は、愛されたいがゆえの願望です。キレイになりたくない、などと思う女性は、百人に一人いるかいないかという確率です。かわいい自分になってたくさんの男性を引き寄せ、その中から質の高い男性を選ぼうとするのが女性というものです。それが女性の戦略です。

(岩月謙司「女は男のどこを見ているか」筑摩書房)

3.

それ」は何を指しているか。

   われわれ人間から見れば、カッコウの卵は、親らしからぬ、非常に愛情に欠けた行為に映ります。他種の鳥の巣に卵を置き、ひなに他の卵を蹴落すことまでさせて、まんまと仮親に自分の子を育てさせるのですから、どうしても、怠け者、ひきょう者といったイメージで見てしまいます。

   一方、托卵行為は、カッコウと托卵される側との長い攻防戦の産物でもあります。托卵先となった鳥たちは卵を見分けるなどの知恵を数十年かけて身につけます。カッコウもそれに応じて技術を磨いてきたのであり、ただ子育てを放棄し、あぐらをかいてきたというわけではないのです。

4.

筆者の説明と合っているものはどれか。 

   会話や文章の中に外来語や外国語を多用すると円滑なコミュニケーションが妨げられる、という指摘がされることがしばしばある。「あの人の話は横文字が多くてわかりにくい」などという話もよく耳にする。「わかりにくい」が個人的な問題で終わる分には害が少ないが、公共施設の掲示や官庁の広報紙、新聞放送などに多くの人が理解できない外来語や外国語が並ぶとなると話は別である。

5.

筆者の言いたいことは何か。

   日本人は「()て前」と「本音(ほんね)」を使い分けると、よく言われる。しかし、国際社会の中で日本がそれをうまく活用しているかといえば、そうではない。自らの本音をきちんと意識できず、それを通すための政治力も発揮できず、ただアメリカ追随(ついずい)大勢(おおぜい)で日本の国益(こくえき)にかなうと思っている方向)に動いているのが実情だ。だから、アメリカの顔色を見て右往左往(うおうさおう)している。国際社会の場では、日本は自らの論理力のなさを露呈(ろてい)(注)していると言える。

国際関係の場合、「国際平和」などという道徳、倫理にかなう建て前以上に、各国の国益という本音が複雑に(から)(ごう)、国力による発言力の強さが大きくものを言うだけに、外交の場は単純に論理力だけで通用するわけではない。

   とはいえ、多くの国々を納得させるためには、論理力が大きな力を発揮するのは確かだ。日本の国際的な地位が、経済力に比べてあまりに低いのは、論理力の弱さにあるといっても、あながち間違いではないだろう。

                                         (樋口裕一 『頭の整理がヘタな人、うまい人』大和書房)

(注)露呈(ろてい):隠れているものが表れること

6.

どうして「日本は自らの論理力のなさを露呈(ろてい)していると言えるのか。

   日本は今、空前のジョギングブームで、美容のために始める若い女性が急増中である。では、ジョギングはどんな状態で行うのがよいのか。医師によると、あまり空腹の状態で走るのはよくないということだ。血糖値が低い状態で運動すると、脂肪がうまく燃焼せず、ダイエットの効果が上がらない。それどころか、命にかかわることさえある。ジョギング中、急に力が抜けたような感じになったり、冷や汗が出たり、胸がドキドキしてきたら、ただちに走るのをやめ何か食べると回復する場合があるとのことだ。

7.

筆者は、空腹の状態でジョギングをするのはなぜよくないと言っているか。

   価値観が多様化し、常識と言われるものまでもが個人レベルで異なるような現代社会で、それぞれがそれぞれの価値観や常識を押し付けてもトラブルが起きるばかりである。

   とはいえ、トラブルが起きないように相手に合わせているだけでは、真に互いを理解し合うことはできまい。考えを伝え合い、そのそれぞれを認めつつ、新しい価値体系を構築する。つまり、コミュニケーションを通じて互いに納得できる妥協点を見いだすことが、求められてくるのである。

8.

筆者の考えに合うものはどれか。

   欧米人が「個」として確立された自我をもつのに対して、日本人の自我-それは西洋流にいえば「自我」とも呼べないだろうーは、常に自他との相互的関連のなかに存在し、「個」として確立されたものではない、ということであった。

   西洋人からは、この点に関して日本人の無責任性とか、他人志向(しこう)性などと言って非難されることもある。

           (河合隼雄『日本人とアイデンティティーー心理療法家の着想-』講談社)

9.

この点」は何を指しているか。

   ある山の中の古びた宿場町(しゅくばまち)、ここは江戸時代、交通の要所で多くの旅人が行き()った所である。ここでは電線をはじめ、今を思わせるものは一切私たちの目に入ってこない。本当に狭く、あっという間に歩ききってしまうほどの場所だが、ここの人たちの「古い街並みを保存しよう」という強い気持ちがひしひしと感じられる。生活の便利さを求めてしまったら、できないことだ。歴史的に重要な場所を無計画な町づくりで台無しにして(注)しまっている所があまりにも多いと感じるのは、私だけだろうか。

(注)台無しにする:めちゃくちゃにすること

10.

本文の内容に合っているのはどれか。

   もう40年以上も前のことだ。イタリアに行ってとてもびっくりした。フィレンツェからローマまで乗った電車が5時間以上も遅れたのだが、それに対してお詫びの放送もなければ、怒り出す乗客もいなかったのだ。そして、ローマを発つ時、駅の時計を見てもっと驚いた。向こうのホームの時計とこちらのホームの時計とが1時間近くも違っていたのである。その時の電車も時間どおりには出発しなかった。電車は時間どおりに動くものと思い込み、いつも時間に追われる生活をしていた私は、イタリア人のおおらかさに打たれた。これぐらいの余裕のある人生を、私も心がけたいものだ。

11.

上の文章によると、筆者のイタリアに対する感情はどれか。

   仏教の教えの中に、自分自身の根拠(こんきょ)の発見というものがある。しかし、自分の存在を現世(げんせ)(注1)的なものの中から見つけるのは非常に難しい。現世に生きながら、現世に自分自身の根拠がないことについては誰もが無意識のうちに不安を覚えるであろう。それは(とら)えようのないものであり、非常に愁傷(しゅうしょう)(注2)で、漠然(ばくぜん)としたものである。それらを科学的に解明するにも無理があるだろう。現世における自我(じが)の存在は、自身の意志とは全く無関係なところから始まっているのだ。

   現実に見えないことを求めていくことは勇気のいる決心であるし、到達(とうたつ)しがたい境地(きょうち)(注3)である。仏教にある「無我(むが)」というのはその境地を指す言葉であろう。しかし、結果的に自分の根拠が現世にないという不安定な自我を支えるために信仰(しんこう)心が厚くなることも事実である。

(注1)   現世:現在の世の中

(注2)   憖傷的:悲しさや寂しさを持った

(注3)   境地:最終的な到達目標である心の状態

12.

非常に難しい」とあるが、どうしてか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   結婚しない人が増えているというが、先日、 ある調査で 独身男女の結婚観に開きがあることが分かった。

   一昔前までは、 「 男は外で働き、女は家を守る」 という考えが男女ともに主流であったが、 最近の男性は結婚相手が自分より年収が高くてもいい、女性にもある程度は(かせ)いでもらいたいと考えている人が7割を超えるという。 不況の今、 自分の収入だけで妻子(さいし)を養う自信はない。だから女性にも 稼いでほしいという本音(ほんね)がうかがえる。

   一方、女性はというと、「自分が働かなくても()(けい)が成り立つ人と結婚したい」 と考えている人がほとんどだった。女性の社会進出が進んだ今でも、高収入の男性と結婚し出産後は専業主婦(せんぎょうしゅふ)に、という価値観はまだまだ支配的なようだ。

   こういう独身男女を「わがままだ」 と非難(ひなん)するのはたやすいが、 貧富(ひんぷ)の差が広がる、 いわゆる「 格差(かくさ)社会」 という現実に直面(ちょくめん)している彼らにしてみれ場、‚しかたのないことなのだろ。経済的不安を抱える男女が結婚相手に高収入を期待するのは無理もない。

   ここで、 新たな可能性がうかがえるのは、 高収入の女性と低収入の男性のカフプルだ。だが、これにも条件がある。女性は、「男が家族を養うものだ」 という従来(じゅうらい)の価値観を捨てること。 男性は「家事は女性が」 と言わずに、 しつかり家事をこなす力を身につけることだ。③そこからは、きっと明るい未来が見えてくる。ともかく、 男女双方(そうほう)、お互いに努力しなければ 、今以上に独身男女が世にあふれることになるだろう。

1.

「独身男女の結婚観に開きがある」 が、どういうことか。

2.

しかたのないことなのだろ」と筆者が考える理由は何か。

3.

そこからは、 きっと明るい未来が見えてくる』とあるが、筆者の考えに近いものはどれか。

佐藤さんは英語が下手だ
花子さんも英語が下手だ
・・・・
ということから

   だから日本人は英語が下手だという一般化をしてしまいやすい。まして自分の知っている中国や韓国からの人たちがみんな英語が上手であると言う経験を持っている人は、とくに強く「日本人は英語が下手だ」と確信する。

   これは帰納的(注1)推論に属するものであるが、本来の帰納的推論は、私たちが経験するすべての事象(注2)について成り立つのを( ① )、将来経験するであろうことについてもそれが成立するだとうと予測するものである。これに対して、ここで述べているようなことは、いくらでも例外を見つける事ができる事象についての結論であり、どこまで信用してよいか、はなはだ怪しいものである。しかし、世の中の多くの議論は、これに類するものである。一方では今日の日本の学生・生徒の学力は以前に比べて低下したという主張があるかと思えば、教育の当局者(注3)はそれを立証(注4)する客観的データはない

   そういえる学校もあるかもしれないが、一般的にそうとは言えない。といった弁明をする。とくに前者の表現は、論理的に考えればけっして学力の低下を否定しているものではないにもかかわらず、ぼんやり聞いていると、学力は低下していないと主張しているかのように受け取られるのは不思議である。
(長尾真「わかる」)

(注1) 帰納的:個々の具体的なことがらから一般的な法則を導く考え方
(注2) 事象:できごと
(注3) 教育の当事者:教育機関の人
(注4) 立証する:証拠を示す

1.

( ① ) に入る最も適切なものはどれか。

2.

ここで述べているようなこととは何を指しているか。

3.

それを立証する客観的データはないという表現は、本来はどんな意味だと、筆者は言っているか。

  60年ほど前、児童心理学者シャーロット・ビューラーは、子どもが自分にできるようになった力を用いることに喜びを見出し、その力によって様々なことを発見し、育つことの重要性を指摘しました。彼女はこれを「機能の喜び」と名づけていますが、自分の力(機能)を使うこと自体が子どもにとって喜びであり、それによって学び、育つという、人間の発達の本質をいい(注)得て妙だと思います。

   代は、この「機能の喜び」がとかく無視されているのではないでしょうか。親は「良育」にせっかちなあまり、子どもが熱中していることに我慢できないようです。遠回りにも時間の無駄にもみえるのでしょう。そのため、自分の考える①「よかれ」の計画路線に子どもを歩ませようとします。(中略)

 「機能の喜び」を味わう機会の減少は、自分が学ぶ力をもっていることについて知る体験を子どもから奪うことでもあります。同時に、子どもの自己効力感を育てる機会を奪っています。日本の子どもたちは、ある程度の能力をもっていても自信をもてない傾向が強いのですが。自力達成の機会の少なさも一因でしょ、親の過剰な教育熱がかえって、子どもが自ら育つことを疎外してしまっているのです。その意味でも、子どもの発達権」の保障は急務です。

(注)いい得て妙:実にうまく言い表している

1.

①「よかれ」の計画路線とはどういう意味か。

2.

筆者は、現代の親にはどのような特徴があると述べているか。

3.

ここで言う、②子どもの「発達権」の保障とはどういうことか。

   日本料理に欠かせないのが出汁(だし)だ。和風の出汁の取り方は難しくはないが、料理のたびに出汁を作るのはかなり面倒だ。出汁の取り方も種々あるが、最もよく使う昆布と鰹節を使った出汁の取り方は以下の通りだ。(1)水 4 カップに昆布 8g を鍋に入れ、蓋をしないで火にかける。(2) お湯が沸騰する直前に昆布を取り出す。(3) 沸騰したら、鰹節 20g を入れて、すぐに火を消す。(4)鰹節が沈んだら、布巾を使って、 出汁をこす。一回ごとに作るのは面倒なので 2、3 日分作って冷蔵庫で保存する人もいる。それも面倒だとあって多くの人が今ではインスタントの出汁を使っている。インスタントの出汁はそのまま食材に混ぜて使うのが一般的だ。最近では出汁に醤油やみりん、 酒などを混ぜた液体のつゆの素が便利だと人気が高い。つゆなら醤油やみりんなどの分量を考える必要もない。誰もが失敗なく煮物などの日本料理ができる。

   ところで、海外で日本料理を作りたいと思っても調味料がなくてできない場合がある。出汁についてだけなら西洋料理でよく使われる調味料で代用することができるそうだ。驚いたことにケチャップで代用できるらしい。ケチャップをほんの少し使うことで日本の味ができる。ちょっと試してみたらどうだろうか。

1.

正しい出汁の取り方を述べているのはどれか。

2.

著者はどうして驚いたのか。

3.

最近の人は和風の調味料をどう使っているか。

   人的資源としての国民の健康管理をめざす国家にとっては悪であろうが、個人にとっては現世的快楽に身をゆだねることもひとつの生きかたである。「生きるために食べる」という立場ではなく、かつての手段とされていたものが目的化して、「食べるために生きる」人間も出現しているのである。

   快楽を肯定して早死にするか、節制して長生きをするかは個人の哲学の問題である、医学や栄養学のおよばぬ領域であるかもしれない。そのさい、自分の生きかたをきめる個人が無知あってはならないであろう。(中略)

わが国の栄養士は国家のさだめた栄養指導者である。そのおもな役割は、学校や病院など集団給食の場における栄養管理にある。集団を対象としているので平均値としての栄養管理であり、食物にたいする個人的な差異は無視されがちである。しかし、それを食べる個人は、身体的差異をもち、文化的に形成された食物にたいする独自の価値観 - たとえば嗜好など-を別2)にする人びとである。

ながいあいだ、近隣の家族のかかりつけの医師として活動してきたホームドクターは、患者の職業、家族構成、体質、病歴、経済状態などを熟知したうえで、疾患の処置をしたり、健康維持のためのアドバイスをおこなう。それとおなじように、これからの栄養学にもとめられるのは、集団ではなく、個人を対象としたコンサルタントである。

(注1) 現世: 今、生きている世界

(注2) 嗜好: 飲食べ物について好み

1.

筆者は、「食べるために生きる」人間の生きかたはどのようなものだと述べているか。

2.

無知であってはならないであろうとは、どういう意味か。

3.

ホームドクターの例をあげることによって、筆者はどんな意見を述べているか。

   科学や技術によって世の中が進歩すればするほど、人間も進歩し、人間は善くなり、悪人はいなくなるなどと考えることは、どうも幻想にすぎないのではないだろうか。①そんなことをもし学校で子供たちに教えているとしたら、それは()(まん)(注)にすぎない。文字どおり、子供だましである。

   愛すべき人間は多い。それは事実だ。しかし信用できない人間、かくれてだます人間、人を傷つけて知らぬふりをしている人間の数も、それに劣らず多い。それも事実だ。そして科学技術が進めば進むほど、②そのような人間も多くなってゆくだろうことを、学校教育は強力に子供たちに教えるべきである。「通常、人間は機会さえあれば、悪いことをするものである」とすでに古くアリストテレスは言っている。

   日本のような他者志向型の文化のなかでは、人びとの頭のなかには「人間はみな善人で信ずべき存在である。他人を疑ってはいけない」という甘い考え、あるいは根拠のない幻想がしみついている。だから学校でもそのように子供に教える。まるで子供に目をつぶらせて、狭い平均台のうえを渡らせるようなものだ。オモテばかりを教えて、ウラを教えない教育は片手落ちというべきである。疑うべきものはきちんと疑うように教えるぺきなのだ。

(注)()(まん):だますこと

1.

そんなこととあるがどんなことを指しているか。

2.

そのような人間とは、どのようなものか。

3.

筆者は子供にどのようなことを教えることが必要だと言っているか。

   会話を進めるうえで、男女間では①対照的な特徴があった。

   たとえば、お互いの発話への支持作業のちがいだ。女性は男性の発話に対して、「ん」「そうー」「へえー」「すっご〜い」などの「あいづち」や「うなずき」を(ひん)(ぱん)に行っていた。これは、明らかに相手の語りを評価し、さらに話を進めていくことを支持する営みだ。

   対照的に、男性は女性の発話に対し、こうした支持作業をそれほど積極的に行っていなかった。

   また、同性間の会話に比べ、男性が女性の発話に割り込んでいく割合が多かった。

   会話における割り込み。これは単に相手の話をさえぎることではない。発話する権利の配分という点から考えれば、②ゆゆしき権力行使と言える。つまり、それは相手がしゃべることができる場でしゃべりきることを制止する権力行為であり、また、しゃべり終えたあと、会話において次の行為を決めることができる権利をも奪っていくのである。

   詳しくは、先にあげた論文を読んでほしいのだが、ここで言いたいのは以下のことだ。

   性差別という現象を考えるとき、歴史的な経緯や社会構造的な背景から、その原因を説得的に論じることもできるだろう。しかし、他方で③まさに日々、性差別はつくられ続けているのである。

1.

対照的な特徴とはどのような傾向のことか。

2.

作者が割り込みを②ゆゆしき権力行使と考える理由は何か。

3.

まさに日々、性差別はつくられ続けているとあるが、筆者の考えに近いものはどれか。

   日本では休暇が一時期に集中しているので、旅行業界にとって繁忙期は約 100 日間しかない。宿泊や日帰り旅行の費用年間約 23 兆円のうち、 繁忙期に 20 兆円が使われているそうだ。繁忙期は旅行行者が一斉に移動するので渋滞するし、予約も取りにくい。行楽地に行っても人込みで却って疲れてしまうほどだ。宿泊代やツアー代などの費用も通常期に比べ2倍以上になることも珍しくない。だから休暇の平均化が可能なら旅行者にとっても喜ばしいし、旅行者の増加に結びつき受け入れ側に利益をもたらす。また、飲食・旅行業界は時期の偏りがありすぎるので正社員率が30 % に満たないが、これが上向く可能性もある。分散による経済的効果は計り知れないので、現在政府内で検討中だ。

   フランスは 1964 年から国内を 3 分割して学校の冬と春の休暇を1週間ずつずらした。それが交通渋滞の解消と観光施設経営の安定化に役立っているそうだ。日本では旅行繁忙期はほとんどが国民の祝日と重なっていて、親子一緒に休める貴重な長めの休日となっている。しかし、国民の祝日は記念日なのでこれを地域ごとに変えることに異議がある。また、子ども達の休暇を移行した場合も年休が取りにくい日本では休暇の分散にそれほど効果は上がらないだろう。どのように休日の平均化を進めるか今知恵が試されている。

1.

通常期と繁忙期の差がないのはどれか。 

2.

休日分散による経済効果とあまり関係ないのはどれか。

3.

日本とフランスの休暇について述べているのはどれか。

   大きなものから小さなものまで、 東京には数え切れないほど公園がある。 私はもともと草や()が好きだったので、 公園で時間を過ごすのも楽しかった。

   ところが、 いつからか、 公園の中をのんびりと歩けなくなっていた。 まるでラッシュアワーの駅のプラットホームのように、 せかせかと歩く自分に気付き、 もっとゆっくり過ごしてもいいんじゃないかと自分自身に言い聞かせてみるのだが、 それができない。 なぜか? と考えても理由はわからなかった。周囲を(なが)めると、 花壇(かだん)を囲んだブロック、 丸く()り込まれた 樹木(じゅもく)歩道(ほどう)を固めたコンクリート、街灯(がいとう)(ほうき)で掃除した(あと)…… 、 人の手が入ったところばかり、 やたらに目についてしかたがなかった。 無理に緑の木々を眺めていようとすると何だか白けてしまって、 5分も続かない。これが公園嫌(こうえんぎら)いの始まりだった。

   公園は、目的など持たずに時を過ごす場所として、 木々や草原(くさはら)(さく)で囲っている。 私にはそれが庶民(しょみん)配給(はいきゅう)されたもののように思えてならなかった。必要な意味のある建物を作った残りの部分をほんの少しだけ分け与えられた土地、 そこでゆったりとした時間を過ごして元気になったら、 さあ、 次は街の中へ戻って働くなり勉強するなりしなさいと、 だれかに命じられている気がした。

   そう思うと、 今度は、 自分の ①暮らしが、 ばらばらに分断(ぶんだん)され人工化されていることに気付いた。 自分の部屋、 毎日利用する食堂やレストラン、 喫茶店、 図書館、 映画館など、 私はそれらを行ったり来たりして生活している。 「 いいじゃないか、 電車を使うほど広い家に住んでいると思えば。 」 という考えは、 私には、 気休(きやす)めにしかならなかった。

   私の公園嫌(こうえんぎら)いは、 (      )。

( 中沢けい『 往きがけの空』 河出書房新社による)

1.

筆者が公園嫌(こうえんぎら)いになったのはなぜか。

2.

②「 暮らしが、ばらばらに分断(ぶんだん)され人工化されている とあるが、 どういうことか。

3.

(      ) に入る言葉として最も適当なものはどれか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

  「 希望」 とか「 絶望(ぜつぼう)」 とか、 あるいは「 後悔(こうかい)」 とか、 そういう言葉を心理学辞典で引いてみたことがあるだろうか。 そんな日常的な言葉などわざわざ引くまでもあるまいと思うかもしれないが、 実際、 心理学辞典をいろいろ見てみたら、 そもそもそういった項目がのっていないのである。 そんな言葉は国語辞典の領分(りょうぶん)であって、 心理学の辞典にのっていなくても当たり前だということだろうか。しかし、①それは空ではないか。私たちの日常の心理現象の中で希望や絶望、 未練(みれん)や後悔は大事なもので、だれにとっても非常に大きな問題であるはずだ。 それが心理学の辞典にのっていない。つまり、心理学の対象にされていないのである。それは、なぜか。

   ―つは、 人を外側から(とら)えようとする ②視点(してん)の問題がある。つまり、 現代心理学は、いわば「 他者の心理学」 に(てつ)しているかんたんに言えば、 子どもの発達を研究するとき、 子どもの外に視点を置き、 そこから子どもに「 生後何歳何カ月」 といった時計的な時間の物差しを当てて、 その育つ過程を観察する。 しかし、 そうした見方からは、 子どもが昨日の体験を抱え、明日に向かって、今を生きるという、子ども自身の主体(しゅたい)の世界は見えてこないのではないか。

   だれもが生まれてから死ぬまで、 時の流れの中を生きている。その時の流れの中に身を置いた視点からしか見えてこない主体の世界がある。 それを研究の(わく)から外しておいて、 人間の心をとらえることはできないのではないか。私はそう思う。だが、 主観(しゅかん)の世界などというあいまいなものは相手にしないという立場をとる現代の心理学は、結局、 外から客観的(きゃっかんてき)に観察することの可能な「 他者の心理学」 に(てつ)して、 そこから出ようとはしない。とすれば、 そこでは希望とか絶望とか、 そういう概念(がいねん)が問題にならないのは当然だろう。

   もう一つは、科学そのものの問題である。自然科学は現在の「 現象=結果」 を過去の原因に結び付け法則化する学問である。心理学も科学である以上、 この「 原因 => 結果」 の枠組(わくぐ)みから(のが)れられない現在の心理をすべて過去によって説明しようとする。しかし、そうなると、 私たちの心的世界の多くを()めている「 明日」 とはいったい何なのだろうか。人間を外から観察して未来を予測するだけならそれでいいかもしれない。しかし、その人間を内側から見たとき「 明日」 は単なる予測の対象などではない。明日は、私の中で希望として、絶望として、あるいは不安として、 期待として現象するのだ。

   こうしてみれば、 ③心理学辞典に「 希望」 がないわけははっきりする。 今の心理学が「 希望」 を語る枠組みを持っていないからにほかならない。生物学辞典のどこを見ても「 希望」 がないのと同じなのである。

( 浜田寿美男『意味から言葉へ』 ミネルヴァ書房による)

1.

①「 それは空ではないか」 とあるが、 筆者は何が変だと言っているか。

2.

②「視点(してん)の問題とあるが、どういうことか。

3.

筆者は、 ③「 心理学辞典に「 希望」 がないわけ」 は何だと言っているか。

4.

この文章で筆者が言いたいことはどれか。

   ある有名なインタビューアーが、「いろんな人に会わなくちゃならなくて、たいへんですね。いい人、好きな人だけじゃなくて、いやな人、きらいな人もいるでしょうに」と言われて、「いいえ、はじめから好きな人、きらいな人、ということはありません。はじめは虚心(きょしん)(注1)でその人に会うようにしています。最低限、その人に好意と関心をもつようにして」と言っていたのが①印象的である

   私たちは、人づてに聞いたことや、会ったときの印象で、ある程度、相手の人がらを決めてしまいがちである。

   その人の容貌(ようぼう)や服装やからだの特徴や、ことばづかいや動作や姿勢、さらにまた、職業や年齢や出身、経験、社会的地位などといったものからでも、どんな人か、何らかの先入主(注2)を抱く。出会ったときの、自分側の条件や、その場面にもよるわけだが、そういうことを割り引いて、冷静に考える人はまれで、たいていは、自分のこれまでの体験から、あれはこういう人だ、というイメージをつくり上げる。過去の経験で似た人がいれば、その人の印象が重なってくる。意識的に払いのけようとしても、この第一印象は、強い影響をあとに残す。

(中略)

   結婚のための見合いのような場合、内心強い劣等感を持っていて、きらわれるのではないかという恐れを抱いていると、相手に対する見方にも、バイアス(かたより)が生ずる。畏怖(いふ)(注3)して、相手が実物以上によく見えたり、逆に、反動的に、なにかにつけて、わるく、低く見ようとしたりする。

   人生、はじめての出会いは、すべて、見合いみたいなものだが、②身がまえてコチコチになっていると、相手の姿が正確に見えない。特に利害がからむと、バイアスがかかりやすく、かたよった先入主を抱きがちである。ずるそう、おっかなそう、きつそう……など。それは、多分に、③自分側の気持ちを、相手のイメージに投影しているのである。

   身がまえることなく、フランクに、相手を受けいれることが、いかに難しいか。自己防衛的な身がまえは、相手に対して、ドアを閉じようとしている姿勢である。ある有名なインタビューアーが言ったように、虚心坦懐(きょしんたんかい)(注1)、自分の心のドアを開け、人に接しようとする心がけが必要である。パッと見た瞬間の印象にとらわれたり、こだわったりすると、人間関係は玄関先でギクシャクする。

(本明寛「自分を豊かにする心理学」による)

(注1)虚心 虚心坦懐:先入観なく相手をありのままに受け入れる心

(注2)先入主:先入観

(注3)畏怖:おそれ

1.

①「印象的である」とあるが、何が印象的だったのか。

2.

②「身がまえてコチコチになっている」というのは、どういうことか。

3.

③「自分側の気持ちを、相手のイメージに投影している」例として適当なものはどれか。

4.

この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

   日本人に個性がないということはよく言われていることだけれど、今世界的に、1週間、或いは年間にどれだけ働くか、ということについて、常識的な申し合わせが行われていることには、私はいつも①違和感を覚えている

   私は毎年、身体障害者の方たちとイスラエルやイタリアなどに巡礼の旅をしているが、一昨年はシナイ山に上った。盲人も 6 人、ボランティアの助力を得て頂上を究めた。普段、数十歩しか歩けない車椅子の人にも、頂上への道を少しでも歩いてもらった。②障害者にとっての山頂は、決して現実の山の頂きではない。もし普段100歩しか歩けない障害者が、頑張ってその日に限り、山道を200歩歩いて力尽きたら、そここそがその人にとっての光栄ある山頂なのである。

   人間が週に何時間働くべきか、ということにも、ひとりひとりの適切な時間があると思う。労働時間を一律に決めなければならない、とするのは専門職ではない、未熟練労働に対する基準としてのみ有効である。未熟練労働者の場合は、時間あたりの労働賃金をできるだけ高くし、それによって労働時間を短縮しようとして当然である。

   しかし、専門職と呼ばれる仕事に従事する人は、労働報酬の時間あたりの金額などほとんど問題外だ。私は小説家だが、小説家の仕事も専門職に属するから、ひとつの作品のためにどれだけ時間をかけようと勝手である。短編をほんの2、3時間で書いてしまうこともあるし、10 年、20 年と資料を集め調べ続けてやっと完成するものもある。ひとつの作品に私がどれだけの時間や労力や調査費をかけようが、昼夜何時間ずつ働こうが、それは私がプロである以上、自由である。

   日本の社会の中には、職場の同僚がお互いに牽制(けんせい)する(注1) ので、取ってもいいはずの休みも取れない人が確かにかなりいる。小さな会社の社長に頼みこまれると、したくもない残業をしなければならなくなる社員もいる。そうしないと会社が(つぶ)れて失業をすることが目にみえているからである。その結果「過労死」などということも(まれ)には起きることになる。

   しかし日本人のなかには、仕事が興味という人も実に多い。プル―カラーと呼ばれている人たちの中にさえ、どうしたら仕事の能率が上がるか考えている人はざらである(注2)。趣味になりかけているものが、たまたま会社の仕事だから、時間が来たら帰らねばならない、というのもおかしなことだ。それは③プロの楽しみを妨げることであって、一種の個人の自由の束縛というものである。

   ただそれほど働きたくない人は仕事をしない自由を完全に守れるように、社会は体制を作り変えるべきである。しかし同時に、一律に休みを取れ、というような社会主義的発想は、いくら世界の流行だとはいえ、自由を手にしている人間に対しては、個人へ干渉であり、非礼である。

(注1)牽制する:相手に注目して、自由な行動をじゃまする

(注2)皿である:よくある

1.

違和感を覚えているのはなぜか。

2.

筆者は、 ②障碍者にとっての山頂とはどこだと言っているか。

3.

筆者は、③プロの楽しみとは何だと言っているか。

4.

筆者の考えに合っているものはどれか。


   世界の産業用ロボットの 3 分の 2 が日本で作られ、3 分の 1 が日本で稼働している。 他の国に比べてロボットが多いのは、ヨーロッパのようにロボットを仕事を奪う物だと敵視せず、むしろ手伝ってくれるいい物だとの意識が強かったからかもしれない。

   日本人は昔から珍しい物が好きで、江戸時代(1603 年~ l867 年)には世界最初のロボットと言われている茶運び人形を始め様々なからくり人形が作られた。人形が逆立ちしたり、文字を書いたり、弓を射ったり、小鳥がおみくじを運んできたり、その技術力の高さには驚かされる。それらは今でも残っていて日本各地の祭りで人々の目を楽しませている。楽器を演奏するエンターテイメントロボットの①ルーツがそこに窺われる。 また漫画家手塚治虫(てづかおさむ)の「鉄腕アトム」 の影響もある。アトムは常に人間の味方であり人間を助けてくれる存在だからだ。アトムのようなロボットを作りたいというのは研究者たちの夢だと思う。

   残念ながら、自分で判断して何でもできるロボットはまだ開発されていない。しかし、 判断という点では掃除ロボットや介護ロボットは優秀だ。掃除ロボットは人が前に立ったりぶつかったりすると状況を判断して一時停止する。介護ロボットもセンサーで安全が保たれるように作られている。業務用あるいは家庭用ロボットは人件費が高い日本では強力な(すけ)()として益々需要が増えるだろう。多くの掃除ロボットは最近まで高額だったので一般家庭では使われていなかった。しかし、格安掃除ロボットが売り出されその人気に火がついた。性能もよかったので1日に何億円と売れたこともあるそうだ。何年もしないうちにほとんどの家で使われるようになるだろう。日本の家庭用や業務上使用される介護用ロボットの市場は 2008 年には約 34億円だったそうだが、数年で 4~5 倍に拡大するという予想もある。特に家庭用ロボットは低価格になれば急速に普及するに間違いない。だから何でもできる多機能ロボットより単機能でも低価格のロボットの開発が望まれる。必要な部分だけロボットに助けてもらえばいいからだ。高齢化社会を迎えて介護ロボットの開発は今一番期待されている。介護の手助けロポットが開発されれば介護する人にも介護される人にとってもありがたいことだ。人間に役立つ様々なロボットの開発が望まれる。

1.

最後にどの文を入れたらいいか。

2.

からくり人形がどうして①ルーツになるのか。

3.

家事ロボットの普及に最も関係が深いことは何か。

4.

著者のロボットに対する意見はどれか。

   私は芸術の存在理由を、一般に考えられているように個人の内面の表現のためにあるより、人間理解あるいは①人間関係の創造のためにあると思っています。われわれが何かを表現し、それを公にする場合、他者あるいは第三者というものを前提としない活動の持続も、専門的な行為の成立もないからです。

   ではこの人間関係の創造とは、何であるのか。それはある人間がどういう関係や状況に置かれているのか、どういう可能性をもっているのか、あるいはどういう感受性(注1をもっているのかをまず明らかにすることです。そしてそこからさらに発展して、いったいこの人間といわれるものは何なのか、そういうレベルでの問いかけを多くの人々と共有することです。つまり、ある表現行為を契機にして他人と共に人間について考え、想像することです。そういう目的で芸術行為の存在は貴重だと私は考えています。

   たとえばベートーヴェンの音楽を聴いて、われわれは②人間を想像し、人間を理解しようとすることができます。これは絵画にも同様に言えます。しかし、人によっては「音楽とは音ではないか」「絵画とは色ではないか」「演劇のように生身(なまみ)(注2)の人間が出てこない」という人がいるかもしれません。そして「なぜそれが人間について想像させるのか」と疑問をもつ人もいるでしょう。

   私が言いたいことは、それが創られた音であり色であるということです。われわれが日常では感じられない音であり色なのです。にもかかわらず、というよりそれだからこそと言うペきでしょうが、われわれは思わずそれに注意を集中させられてしまうことがあります。これはいったい何なのかと。また、そうした音や色を創りだすために自分自身の全エネルギーを捧げる人間とはいったい何なのかと。

音楽でも絵画でも文学でも、さらには演劇でも、すべて人間が創りだしたものです。そうした③人間が創造したものを通して、われわれは日常で慣れ親しんだ考え方や見方とはちがったように人間を想像し、またそのことによって人間関係について考えることがあるのです。(中略)

   いままで多くの人々に励ましを与えてきた価値ある芸術作品は、多様な人間関係や社会を成り立たせている〈コミュニケーション・システム〉がわれわれに与える感受性や考え方を変更しうる力をもっています。そのためにわれわれは芸術家という人間の存在に、われわれの想像力を誘われたのであり、人間というものがそれに所属しないでは生きていけないような社会の在り方について考えさせられたのです。

(鈴木忠志『演劇とは何か』岩波書店による)

(注1)感受性:外からの刺激を深く感じ取り、心に受けとめる能力

(注2)生身:実際の体

1.

人間関係の創造とは、どういうことか。

2.

人間を想像し、人間を理解しようとするのはなぜか。

3.

人間が創造したものに当てはまるものはどれか。

4.

筆者は優れた芸術作品とはどのようなものだと考えているか。

   高速化した現在においては、様々な情報が入り、移動も高速化されたことにより、①遭在的に宝現町能な事柄の数は増えたに違いない。やりたいことの中には、「どうしても実現したい」というものもあれば、「やらないよりはやったほうがまし」というレベルの事柄も多く含まれていることだろう。

   しかし、人間が一つのことをやり遂げるにはどうしても一定の時間がかかる。その時間が技術革新や経験、学習によって、増えた欲望を満たすのに必要な時間以上に短縮されないとしたらどうなるだろうか。当然、潜在的な可能性に基づいて肥大する欲望のうち、実際に満たされるものは一部のみということになる。この場合、やりたいこと、やれるはずのことは数多くあるのに、なかなかそれが実現できないジレンマが生じる。

   そうなると、むしろ、できる事柄が少なかったころよりも時間が足りず、忙しく、②やりたいことができないという感覚が強くなっているかもしれない。

   同様の問題は、会社などにおける仕事についても指摘できる。「やらないよりはやったほうがよい」作業や会議などが増えたとしても、1日の長さが変わるわけではない。また、どんなに単純な作業であっても、その遂行にはある程度の時間が必要だ。

   やらないよりはやったほうがよい仕事の数が少ないうちは何とか対応できるだろうが、その数がどんどん増えていくと、本当になすべき仕事にかけたい時間も削られることになってしまう。③結果として、組織としての生産性は低下する。誰にとっても時間は有限であること、どんなに簡単な作業も一定の時間を必要とすることを考慮し、作業の優先順位に従って、効率的に時間という資源を使用することを心がけることが望ましい。

1.

潜在的に実現可能な事柄の数は増えたとはどのような意味か。

2.

やりたいことができないという感覚が強くなっているのはなぜか。

3.

結果として、組織としての生産性は低下するとあるが、それはなぜか。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A
   西新聞:日本で 98 番目の茨城(いばらき)空港が開港し、第1便となったスカイマークの記念フライトが到着した。茨城空港は航空自衛隊との共用だから安く造れたが、東京都心から 80 キロ離れ、無料駐車場はあっても鉄道はない。JR常磐線(じょうばんせん)石岡駅からバスで35 分もかかる。現在定期便は韓国のアシアナ航空のソウル便(週7往復)だけである。1 ヶ月後にはスカイマークの神戸への定期便が飛ぶ予定だが運営は楽ではない。当初年間利用者は 81 万人の予想だったが、現状では 20 万人程度の見込みだ。このため空港ビルも初年度から約 2 千万円の赤字となる恐れがある。定期便が見込めない以上 チャーター便に依存せざるを得ない。今日は、台湾、ハワイへのチャーター便を含めて計 9 便が発着した。これがどれだけ伸びるか、早くも疑問の声があがっている。


B
   北新聞: 本日、茨城空港が国内 98 カ所目の空港としてスタートした。韓国・アシアナ航空の定期便に加え、記念便やチャーター便など計 9 便が発着して、お祝いムードに包まれた。地元出身の女性が同僚から航空券をプレゼントされ、韓国での結婚準備のために「祝・茨城空港開港初飛行・茨城娘韓国嫁入り」という横断幕と共に見送られた。 初日の乗客は約 1600 人、見学者や見送りの市民は約 6400 人に上った。茨城空港は成田、 羽田に次ぐ第 3 の首都圏空港として建設された。当初予想されていた年間利用客 81 万人は 20 万人に減員されたが、建設費用も安く、また運営経費もかなり低く抑えられるそうだ。とはいえ現状では 2 千万円ほどの赤字が見込まれる。空港関係者は今後も新定期便の就航に向けて努力したいと話している。

 

1.

どちらの新聞にも取り上げられていることは何か。

2.

2つの新聞の立場について合っているのはどれか。

3.

茨城空港の一番の問題点は何か。

A

   女性の育児休業取得率が90.6%とこれまでの最高を記録したことが、厚生労働省の調査でわかった。育児休業後の支援でも、約1年間の短時間勤務制度を導入している事業所の割合や、小学校就学時までの短時間勤務を続けることができる事業所の割合は、いずれも増加しており、育児休業に対する世の中の理解が広まってきたことがわかる。

   一方、男性の取得率は1.23%である。男女で育児休業取得率に大きな差が見られることについて専門家は、「女性はこれまで出産退職が多かったが、厳しい経済状況下、家計のために仕事を辞められない人が増えており、男性では育児休業取得によるリストラを不安に感じる人が増えているのだろう」と分析している。

B

   厚生労働省の雇用均等基本調査によると、男性の育児休業取得率は1.23%にとどまり、女性の取得率90.6%との差が広がっていることがわかった。また、取得期間についても、女性では「10〜12カ月未満」が最も多かったが、男性では「1カ月未満」が過半数であった。        

   男性が育児休業を取得しないのは、制度の利用によって受ける不利益を心配してのことだといわれる。実際、制度取得後の労働条件は「明示しない」など、過半数の事業所で規定が()(めい)(りょう)であった。

   厚生労働省は8年後までに男性の育児休業取得率を10%にするという目標を掲げてる。しかし、調査結果を見ると、制度取得後の労働条件についての法整備なくして、この達成はかなり難しいと言わざるを得ない。

1.

AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。

2.

男性の育児休業取得率の目標値の達成について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

男女の育児休業取得率に差が広がった理由は何か。

A

日本では、 (せい)は一つの家族のまとまりを示すものである。 だから家族が皆同じ姓を名乗ることで、 連帯感(れんたいかん)を感じることができる。 結婚して、 好きな人と同じ姓になることはうれしいことだし、 結婚したという実感がわき、 共に新しい家族を作っていこうとする大事な契機(けいき)にもなる。夫婦の大半が男性の姓を名乗ることは差別ではないかという主張もあるが、 それは差別ではなく「 慣習(かんしゅう)」 である。 欧米のように、 ファーストネームで呼び合う文化とは異なり、 名字(みょうじ)で相手を呼ぶ習慣の日本では、 夫婦が同姓であることの社会的意義(いぎ)は、 はるかに大きいと思われる。 もし、 姓が変わることが女性の仕事に不都合となるなら、 仕事の時だけ旧姓(きゅうせい)を使うことを認めればよく、 多数が満足している現状を変える必要はないだろう。

B

夫婦が別々の姓になると「 家庭が崩壊(ほうかい)する」 という人もいるが、 家族を不幸にしようと思って別姓を選択する人などいない。 むしろ姓が違うからというだけで、 家族のつながりを感じられないことが問題ではないか。夫婦別姓となれば、 何らかの事情で母親や父親と名字が違う子供が差別されることも少なくなるだろう。 また、 現在は、女性は旧姓(きゅうせい)だと独身、 改姓(かいせい)すれば既婚(きこん)、 また旧姓に戻れば離婚したことも明白だ。 これは女性のプライバシー侵害(しんがい)につながりかねないが、 男性にはそういった心配が少ない。 さらに、 仕事を持つ女性が名字が変わったことを取引先などに知らせるには、 電話代や葉書(はがき)代、 本人の労働時間など、 多大なコストがかかる。夫婦同姓が日本の文化や習慣だという意見もあるが、 文化や習慣は時代と共に変化するものである。女性の選挙権や社会進出にしても、 その時の慣例(かんれい)を打ち破ってきたものであったはずだ。

1.

夫婦別姓(べっせい)について、 AとB はそれぞれどのような立場をとっているか。

2.

(せい)に関連して、 AもしくはBの一方でしか触れられていないことはどれか。

3.

夫婦同姓について、 Aの筆者とBの筆者に共通している意見はどれか。