Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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126

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読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   話しかけるタイミングの悪い人が増えた。彼らは呼吸が上手(うま)くつかめないのである。私は、これはネット社会の影響だろうと考えている。

   電子メールは便利である。メールのお(かげ)でビジネス関連の時間、特に伝達事項にかける時間が随分短縮(ずいぶんたんしゅく)された。こちらは、時間の余裕のある時にメールを書けばよい。相手も時間の余裕のあるときに読めばよい。自分の都合、相手の都合、双方(そうほう)に利益があるのである。

   これを繰り返しているぶんには、相手の都合を考えなくてもよいのである。自分の都合のいい時に「伝達」が済んでしまう。ということは、相手の様子を読むトレーニングを()まなくなる。相手の呼吸に合わせるという感覚がなくなっていくのである。

(竹内一郎「人は見た目が9割 」新潮社)

1.

筆者の考えとして正しいものはどれか。

   もう40年以上も前のことだ。イタリアに行ってとてもびっくりした。フィレンツェからローマまで乗った電車が5時間以上も遅れたのだが、それに対してお詫びの放送もなければ、怒り出す乗客もいなかったのだ。そして、ローマを発つ時、駅の時計を見てもっと驚いた。向こうのホームの時計とこちらのホームの時計とが1時間近くも違っていたのである。その時の電車も時間どおりには出発しなかった。電車は時間どおりに動くものと思い込み、いつも時間に追われる生活をしていた私は、イタリア人のおおらかさに打たれた。これぐらいの余裕のある人生を、私も心がけたいものだ。

2.

上の文章によると、筆者のイタリアに対する感情はどれか。

   外向的、内向的という言葉がある。顔からもある程度それがわかる。その印象は、顔のどこから感じられるのであろうか。

   まず、顔の全体が、特に目と(まゆ)が内側に寄っていると内向的に見える。内向的という言葉のもともとの意味は、気持ちが自分の内側ばかりに向かっていることである。顔の目や眉などのパーツが内側に寄っていることとは、何ら関係ないはずである。

   ところが、考えごとをするときは、自然と顔が内側に寄る。()(かん)にもシワが寄る。それは、顔を内側に寄せて自分の環境をせばめ、そのなかで深く物ごとを考えようとする姿勢である。

3.

どうして顔から性格を判断することができるのか。

情報技術(IT)の進歩に伴い、ITを使いこなせる人とそうでない人の間で得られる情報量の違い、いわゆる「情報格差」が生まれている。この情報格差は、IT化とは別の側面からも生じ得る。そのつが、外国人などが言語の問題で情報にアクセスできないことだ。その対応策とし、多は言語によろ情報提供が進められている。例えば東日本大震災の際にもインターネットやラジオを通してさまざまな多言語情報が発信されたが、現在の課題は、その「伝達方法」である。いくら情報を発信しても相手に届かなければ意味がない。情報が屈くには、発信メディアが日頃から外国人民に広く認知され信糈されるものになっていなければならない。

4.

この文章によると、多言語による情報提供の現在の昆題は何か。

お知らせ

   東西市では大災害発生時の緊急避難場所の地図を作成致しました。避難場所は各小学校・中学校を中心としております。地域の方がどの学校に避難すればいいかわかりやすいように色分けされています。避難場所には水及び保存用食料、宿泊用テントなどの準備があります。災害時には医療サービス・炊き出しサービスなども行われます。また、ご家族の安否確認も行われます。尚、各ご家庭への配布は8月末の予定です。①これを機会に地図を元に災害時にどうするかをご家族で話し合ってください。

5.

これを機会にとはどんな機会か。

   会話や文章の中に外来語や外国語を多用すると円滑なコミュニケーションが妨げられる、という指摘がされることがしばしばある。「あの人の話は横文字が多くてわかりにくい」などという話もよく耳にする。「わかりにくい」が個人的な問題で終わる分には害が少ないが、公共施設の掲示や官庁の広報紙、新聞放送などに多くの人が理解できない外来語や外国語が並ぶとなると話は別である。

6.

筆者の言いたいことは何か。

   今年も中学合唱コンクールの模様が放映される時期となった。若い出場者たちのひたむきで気持ちのこもった歌声は、聴く者の心を素直に感動させる。合唱には、オーケストラやバンドなどの演奏とは違った魅力がある。まず合唱では、自分の声が楽器になる。同じ音色のものは二つとしてない楽器だ。そんな個性豊かな楽器たちは、ともすればバラバラになりがちだが、それが一つになった時に生まれるハーモニーには、何物にも代えがたい美しさがある。中学生という多感な年頃に、多様な個性を持つ生徒たちが力を合わせ、時にぶつかり合いながら、練習に励んでき。そこにはどんなドラマがあっただろう。そして、今年はどんなハーモニーを私たちに聞かせてくれるのだろ、今から期待に胸が膨らむのである。

7.

筆者は合唱の魅力をどのように考えているか。

   議論は漫画やテレビと違い、接してさえいれば自然にその面白さに浸れるというモノではない。読むほう、聞くほうも積極的に関わらなければ面白くない。逆に言うと、一定のテクニックを持つ者しかァクセスできないが、それがわかれば一挙に広大な世界が開ける。この入り口に立てない人はこの豊穣な土地から閉め出されているに等しい。

8.

この文章で筆者の言いたいことは何か。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   人間の肉体は、 ①自然の環境変化に対しては、 かなり高度の適応を示す。しかし、 ②人工的な環境変化に対しては、 適応力が格段(かくだん)に落ちる たとえば、 鉄分は血液中のヘモグロビンの生成(せいせい)のために不可欠の物質である。 鉄分の摂取(せっしゅ)が足りないと貧血(ひんけつ)になる。この鉄分が過剰(かじょう)に摂取されると、 不必要な分は自動的に体外に排出(はいしゅつ)されてしまう。 人体の鉄分の吸収能力を調査してみると、 個人によって、 また、 同一人物でも日によって、 吸収能力が変化することが分かった。つまり、 体内の鉄分の量が増加すれば吸収能力は減り、 鉄分が減れば吸収能力が増すというシステムになっているのだ。

   もし、 水銀(すいぎん)やカドミウムについても、 これと同じような過剰摂取に対する適応システムが人体に(そな)わっていれば、 これらの人体に有害な物質によって発生した水俣(みなまた)病やイタイイタイ病などの公害問題は起こらずに済んだだろう。

なぜ、 人間の肉体は、 鉄分の過剰摂取に対しては自己を防衛することができても、 水銀やカドミウムに対しては防衛できないのか?

   それは、 鉄分がほとんどあらゆる食物に含まれていて、 つねに人体に入ってくることが予想されているのに対して、 水銀やカドミウムは、 自然状態の人間には入ってくるはずがないものだからである。 責められるべきなの は、 (  A ) ではなく、 (  B ) なのである。

( 立花隆「 文明の逆説」 講談社による)

1.

①「 自然の環境変化に対しては、 かなり高度の適応を示す」 例として正しいものはどれか。

2.

②「 人工的な環境変化に対しては、 適応力が格段に落ちる」 例として正しいものはどれか。

3.

(  A ) と(  B ) に入る最も適当な言葉はどれか。

   大きなものから小さなものまで、 東京には数え切れないほど公園がある。 私はもともと草や()が好きだったので、 公園で時間を過ごすのも楽しかった。

   ところが、 いつからか、 公園の中をのんびりと歩けなくなっていた。 まるでラッシュアワーの駅のプラットホームのように、 せかせかと歩く自分に気付き、 もっとゆっくり過ごしてもいいんじゃないかと自分自身に言い聞かせてみるのだが、 それができない。 なぜか? と考えても理由はわからなかった。周囲を(なが)めると、 花壇(かだん)を囲んだブロック、 丸く()り込まれた 樹木(じゅもく)歩道(ほどう)を固めたコンクリート、街灯(がいとう)(ほうき)で掃除した(あと)…… 、 人の手が入ったところばかり、 やたらに目についてしかたがなかった。 無理に緑の木々を眺めていようとすると何だか白けてしまって、 5分も続かない。これが公園嫌(こうえんぎら)いの始まりだった。

   公園は、目的など持たずに時を過ごす場所として、 木々や草原(くさはら)(さく)で囲っている。 私にはそれが庶民(しょみん)配給(はいきゅう)されたもののように思えてならなかった。必要な意味のある建物を作った残りの部分をほんの少しだけ分け与えられた土地、 そこでゆったりとした時間を過ごして元気になったら、 さあ、 次は街の中へ戻って働くなり勉強するなりしなさいと、 だれかに命じられている気がした。

   そう思うと、 今度は、 自分の ①暮らしが、 ばらばらに分断(ぶんだん)され人工化されていることに気付いた。 自分の部屋、 毎日利用する食堂やレストラン、 喫茶店、 図書館、 映画館など、 私はそれらを行ったり来たりして生活している。 「 いいじゃないか、 電車を使うほど広い家に住んでいると思えば。 」 という考えは、 私には、 気休(きやす)めにしかならなかった。

   私の公園嫌(こうえんぎら)いは、 (      )。

( 中沢けい『 往きがけの空』 河出書房新社による)

1.

筆者が公園嫌(こうえんぎら)いになったのはなぜか。

2.

②「 暮らしが、ばらばらに分断(ぶんだん)され人工化されている とあるが、 どういうことか。

3.

(      ) に入る言葉として最も適当なものはどれか。

   私は、世界初、日本初、業界初、市場初などとついた商品が出るとワクワクするというミーハー(注)だ。電卓が小型化、薄型化を競いはじめたころ、名刺サイズで厚さが5ミリメートルくらいのが初めて発売されたときには、結構な値段にもかかわらず飛びついてしまった。

   数字に弱いにもかかわらず、仕事で電卓を使うことが多かった私にとって、電卓をいつも身につけることができる名刺サイズは、①大きな福音に思えだ。しかも、出はじめの商品であるだけに、同僚たちに自慢ができるというミーハー心もくすぐられたからでもある。

   しかし、買ってしばらくは定期入れと一緒に持ち歩いていたが、1カ月もしないうちに元の電卓を使うようになり、カード電卓は机の引き出しで(ほこり)をかぶってしまうようになった。②それは、名刺サイズにするためにキーを小さくており、しかもその操作感も頼りないために使いにくかったからである。また、胸ポケットなどに入れると、本体がねじれるため接触不良をおこし、故障したりもした。そういったことがあったため、その後、電卓が薄型化を競い合い、キーの突起がないフラットなものまで出てきたが、さすがにミーハーの私でも飛びつくことはなかった。もちろん、名刺入れに入るというカード電卓のよさはあるが、ある意味では非常用であり、指の大きさや器用さから言えば、ものには「適度な」大きさがあることを学んでのである。

(注)ミーハー: 程度の低いことに熱中しやすく、流行に左右されやすい人

1.

筆者には、なぜ①大きな福音だと思えたのか。

2.

それは何を指しているか。

3.

名刺サイズのカード電卓を使ったことで、筆者がわかったことは何か。

   現代はインターネットの時代だ。世界中の多くの人々が恩恵を享受している。しかし少前までは、世界中に 10 億人いると言われている文字が読めない人や目に障害がある人は①その世界から除外されていた。 しかし、日本の全盲の女性研究者浅川智恵子が世界で初めてホームページの「読み上げソフト」を開発することでその壁を打ち破った。指定ポタンを押すだけでホームページが上から順に読み上げられていく。斜め読みや飛ばし読みもできる。おかげで多くの文字が読めない人が様々な情報を入手できるようなった。彼らにとって新しい世界が開かれたのである。このソフトが世界中にセンセーションを巻き起こしたのもうなずける。とはいえこのソフトも完璧ではない。インターネットの世界は日々変化を遂げ、画像などマウスを画面上の特定の箇所に持って行かなければ動かないタイプのホームページなどがあるが、そういうホームページにはまだ適応できていない。彼女はその解決策としてユーザーとボランティアが協力してホームページを改善する仕組みを立ち上げたり、ホームページを見て解析し、その内容を音声で教えてくれる「ささやきインターフェース」の研究を進めているらしい。大変困難な仕事であるが、決して諦めないだろうと思う。障害者でもある浅川は「誰もが能力を発揮できる社会」を目指しているからだ。

1.

その世界から除外されていたとはどういう意味か。

2.

ささやきインターフェースは何をしてくれるか。

3.

本文の内容とは違うのはどれか。

   科学や技術によって世の中が進歩すればするほど、人間も進歩し、人間は善くなり、悪人はいなくなるなどと考えることは、どうも幻想にすぎないのではないだろうか。①そんなことをもし学校で子供たちに教えているとしたら、それは()(まん)(注)にすぎない。文字どおり、子供だましである。

   愛すべき人間は多い。それは事実だ。しかし信用できない人間、かくれてだます人間、人を傷つけて知らぬふりをしている人間の数も、それに劣らず多い。それも事実だ。そして科学技術が進めば進むほど、②そのような人間も多くなってゆくだろうことを、学校教育は強力に子供たちに教えるべきである。「通常、人間は機会さえあれば、悪いことをするものである」とすでに古くアリストテレスは言っている。

   日本のような他者志向型の文化のなかでは、人びとの頭のなかには「人間はみな善人で信ずべき存在である。他人を疑ってはいけない」という甘い考え、あるいは根拠のない幻想がしみついている。だから学校でもそのように子供に教える。まるで子供に目をつぶらせて、狭い平均台のうえを渡らせるようなものだ。オモテばかりを教えて、ウラを教えない教育は片手落ちというべきである。疑うべきものはきちんと疑うように教えるぺきなのだ。

(注)()(まん):だますこと

1.

そんなこととあるがどんなことを指しているか。

2.

そのような人間とは、どのようなものか。

3.

筆者は子供にどのようなことを教えることが必要だと言っているか。

   ハチドリという鳥を知っているだろうか。鳥のうちでいちばん小さく、体長わずか3センチという昆虫(こんちゅう)のような種類さえある。小さな巣を作って、 豆粒(まめつぶ)ぐらいの卵を産み、 花の(みつ)を食物にしている。 小さな(つばさ)をプーンと(ふる)わせ、 飛びながら花の(みつ)を吸うハチドリを初めて見た人は、 なにか童話(どうわ)の世界にいるような気がするに違いない。

   でも、 この鳥はこの現実の世界に生きている。①こんな小さな鳥が生きるということはそれ自体が不思議である。 なぜなら、 こんな小さな鳥は生きていられるはずがないからである。

   鳥は我々と同じく、 温血(おんけつ)動物つまり恒温(こうおん)動物である。 体温は外気(がいき)と関係なく一定に(たも)たれている。それが保てなくなったら、 人間が凍死(とうし)するのと同じように死んでしまう。 ところが、 体がこんなに小さいと、 体積にくらべて体の表面積(ひょうめんせき)(いちじる)しく大きくなる。つまり、 体温を保つのに必要な熱を発生する体の大きさの割に、 熱が逃げて行く表面積が大き過ぎるのである。 そこで、 ハチドリが生きていくのに込要な体温を保つには、 体の表面から逃げていく熱を絶えず(おぎな)っていなくてはならない。 そうでないと体温はたちまち下がってしまう。

   ハチドリは熱帯にいるから、 そんなことはないだろうと思う人もいるかもしれない。 しかし、 実際に ②ハチドリの「 経営状態」 、 つまり食べたもの( 収入) と体温維持のための熱発生( 支出) の関係を調べてみると、 入るそばから支出されて行き、 何とか収支が合うようにできていることがわかる。収入が断たれたら、 数時間のうちに倒産(とうさん)してしまう。つまり、 食べるのをやめたら、 たちまち熱発生も止まり、 体温が降下(こうか)して、 凍死してしまうのである。

   ハチドリも夜は木の枝にとまって眠らなければならない。 毎日12時間近く食べずに過ごすわけである。 本来なら、 この間にエネルギーの(たくわ)えが()き、 体温降下と凍死を招くはずである。 にもかかわらずハチドリは、 何万年もの間ちゃんと生きている。 なぜか。

   それは、 彼らが毎晩、 冬眠(とうみん)するからである。 熱帯の夜はけっして暑くない。気温は20度を割ることさえある。 ハチドリは夜が来ると、 温血(おんけつ)動物であることをやめる。 体温調節をやめて、 爬虫類(はちゅうるい)のような冷血(れいけつ)動物になってしまうのだ。体温は一気に気温のレベルにまで下がる。 呼吸もごくわずかになり、 筋肉も動かなくなる。 だから、 夜、 眠っているハチドリはかんたんに手で捕まえられるそうである。 そして、 朝が来て気温が上がると、 ハチドリの体温も上がる。 体温が一定の温度を超すと、 ハチドリは目覚め、 恒温(こうおん)動物となって、 花の(みつ)を求め、 飛び立つのである。

   ③そんなわけで、 この宝石のように美しいハチドリは、 一年中長雨(ながあめ)の降らない、 昼は一年中気温が高くしかも夜はかなり冷える土地、 主に中南米(ちゅうなんべい)の一部にしか住めないことになる。 もし、 中南米の気候が変わって、 雨が多くなるか、 冬ができるか、 夜も暑くなるかしたら、 そのどの一つの変化はろによってもハチドリは(ほろ)びるだろう。 その誕生とともに持って生まれた遺伝(いでん)仕組(しく)みと環境とが矛盾するからである。

( 日高敏隆「 人間についての寓話」 平凡杜による)

1.

①「こんな小さな鳥が生きているということはそれ自体が不思議である」 のは、 なぜか。

2.

ハチドリの「 経営状態」 とは、 どういう状態か。

3.

③「そんなわけ」 とは、 どういうことか。

4.

この文章から、 ハチドリについてわかることはどんなことか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   かつてアラビア半島の奥地、サウジアラビアのサバクに、ベドウィン遊牧民の生活を取材するため住み込んだことがある。サバクの生活を切りあげて首都リヤド市に帰り、ホテルに泊まっていたとき、わたしの部屋は314号室だった。ある日のこと、受付で自分の番号を言ってカギをもらい、部屋の前まで行ったとき、カギは別室(316号)のものであることに気づいた。受付に戻ってカギの番号を見せながら、「部屋に入れませんでしたよ」と、相手を責めないための心づかいで、わたしは微笑しながら言った。全く予期しなかった答えが返ってきた。一「あなたが間違った番号を言ったのです」

   わたしが予期していたのは「や、これは失礼しました」というひとことなのだ。このとき、もしわたしが初めてアラブと接したのだったら、「あるいは自分が違った番号を言ったのかもしれない」と思っただろう。しかし既に彼らのものの考え方をサバクで学んでいたわたしは、「まさにベドウィン的だ」と思っただけであった。①ベドウィン的な考え方によれば、自分の失敗を認めることは無条件降伏(こうふく)を意味する。例えば皿洗いの仕事をしている人が百円の皿を割って、もし自分の過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を千円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブは言う。「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意志と関係ない」

これが日本ならどうだろう。普通の日本人だったらこの場合(ただ)ちに言うにちがいない。「まことにすみません」丁寧(ていねい)な人はさらに、「わたしの責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかしこの美徳は、世界に流用する美徳ではない。まずアラブは正反対。インド人もアラブに近いだろう。フランス人だ「イタリアの皿ならもっと丈夫だ」というようなことを言うだろう。

   わたし自身の体験では狭すぎるので、多くの知人・友人または本から、このような「②過失に対する反応」の例を採集した結果、どうも③大変なことになった。世界の主な国で、皿洗いの人が皿を割って直ちに謝る習性があるところは実に少ない。「わたしの責任です」などとまで言ってしまうお人よしは、まずほとんどない。日本人とアラブとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもずっとアラブ寄りである。中国やベトナムもしかり。ただしヨーロッパでは、自分が弁償するほどの事件にはなりそうにもないささいなこと(体に触った、ゲップをした、など)であるかぎり、「すみません」を日本人よりも軽く言う。この謝罪は、「謝罪」というよりもむしろ一種の慣習である。慣習だからこそ、社会をスムーズに動かす潤滑油として大切なのだ。

   だが、日本人と確実に近い例をわたしは知っている。それは、かつて訪れたことのあるニューギニアのモニ族や北極地方のエスキモーである。モニ族は、わたしのノートをあやまって破損したときでも、カメラのレンズに土を付けたときでも、直ちに「アマカネ(すみません)」と言って恐縮した。そして、さまざまな国の歴史を比較検討してみると、おざっぱにいってこんな傾向のあることがわかる。「異民族の蹂躙(じゅうりん)(注)による悲惨な体験をもった民族ほど、自分の過失を認めたがらない」

   日本人やエスキモーやモニ族は、異民族による蹂躙の恐ろしい体験を、一部を例外として、歴史上あまりもたなかったようだ。

   基本的なものの見方について考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。わたしたちの民族的性格は、アラブ諸国やヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえ思われる。探検歴の最も豊富な日本人の一人、中尾佐助(なかおさすけ)教授にこの話をすると、教授は言った。—-「④日本こそ世界の最後の秘境かもしれないね

(本多勝一「民族と文化」「国語3」光村図書による)

(注)蹂躙(じゅうりん):暴力や権力によって他の権利を侵したり、社会秩序を乱したりすること

1.

①「ペドゥィン的」とはどういうことか。

2.

③「大黕こと」とは何か。

3.

④「日本こそ世界の最後の秘獎かもしれないね」とはどういうことか。

4.

②「過失に対する反応」がだいたい同じと考えられる組み合わせはどれか。


   世界の産業用ロボットの 3 分の 2 が日本で作られ、3 分の 1 が日本で稼働している。 他の国に比べてロボットが多いのは、ヨーロッパのようにロボットを仕事を奪う物だと敵視せず、むしろ手伝ってくれるいい物だとの意識が強かったからかもしれない。

   日本人は昔から珍しい物が好きで、江戸時代(1603 年~ l867 年)には世界最初のロボットと言われている茶運び人形を始め様々なからくり人形が作られた。人形が逆立ちしたり、文字を書いたり、弓を射ったり、小鳥がおみくじを運んできたり、その技術力の高さには驚かされる。それらは今でも残っていて日本各地の祭りで人々の目を楽しませている。楽器を演奏するエンターテイメントロボットの①ルーツがそこに窺われる。 また漫画家手塚治虫(てづかおさむ)の「鉄腕アトム」 の影響もある。アトムは常に人間の味方であり人間を助けてくれる存在だからだ。アトムのようなロボットを作りたいというのは研究者たちの夢だと思う。

   残念ながら、自分で判断して何でもできるロボットはまだ開発されていない。しかし、 判断という点では掃除ロボットや介護ロボットは優秀だ。掃除ロボットは人が前に立ったりぶつかったりすると状況を判断して一時停止する。介護ロボットもセンサーで安全が保たれるように作られている。業務用あるいは家庭用ロボットは人件費が高い日本では強力な(すけ)()として益々需要が増えるだろう。多くの掃除ロボットは最近まで高額だったので一般家庭では使われていなかった。しかし、格安掃除ロボットが売り出されその人気に火がついた。性能もよかったので1日に何億円と売れたこともあるそうだ。何年もしないうちにほとんどの家で使われるようになるだろう。日本の家庭用や業務上使用される介護用ロボットの市場は 2008 年には約 34億円だったそうだが、数年で 4~5 倍に拡大するという予想もある。特に家庭用ロボットは低価格になれば急速に普及するに間違いない。だから何でもできる多機能ロボットより単機能でも低価格のロボットの開発が望まれる。必要な部分だけロボットに助けてもらえばいいからだ。高齢化社会を迎えて介護ロボットの開発は今一番期待されている。介護の手助けロポットが開発されれば介護する人にも介護される人にとってもありがたいことだ。人間に役立つ様々なロボットの開発が望まれる。

1.

最後にどの文を入れたらいいか。

2.

からくり人形がどうして①ルーツになるのか。

3.

家事ロボットの普及に最も関係が深いことは何か。

4.

著者のロボットに対する意見はどれか。

   生老病死をなぜかみな嫌がります。できれば考えたくない。そこでどうするかというと、たとえば人間が生まれるのも特別なことだから、病院へ行ってくれというのです。そうして、お産は現在ほとんど病院で行われている。(中略)

   生老病死の最後の死ぬところですが、これも都会ではもう90% 、いや99% の人が病院で亡くなります。私の母は、95年の3月、自宅で死にましたが、いつの間にか死んでいました。しかし大半の人々は病院で死にます。このように死ぬ場所が病院に移ったのはここ25年の傾向で、急速にそうなりました。以前は半分以上が自宅で亡くなっていました。では、自宅で亡くなることと、病院で亡くなることの違いは何かーーー。 これは、我々が普通に暮らしている[  A ]の中に、[ B ]がなくなってしまったということなのです。だから、死が特別なことになった。そして特別なことは特別な場所で起こることになったのです。

   そんな現代は、 よくよく考えてみると、大変な異常事態なのです。生老病死というのは、人の本来の姿です。こっちが先で、何千年何万年も続いてきた間違いのないことなのです。都市よりも文明よりも何よりも先に生老病死があった。だから私はこれを「①自然」と呼ぶのです。人の一生は好きも嫌いもなく時期経過とともに変化していく。それが自然の姿なのだと私は思う。なのにいまは自然つまり本来の姿であるほうが異常になってしまった。

   かけがえのない未来を大切にしていない典型的な例をあげてみます。私は95年の3月に東大(注)をやめました。正式には94年の9月の教授会でやめることが決まりました。教授会のあと同僚の病院の先生が来られて、「先生、4月からどうなさいますかと話されるのです。「3月でおやめになるそうですね」「やめます」「4月からどうされるのですか」。これは、勤めはどうするのですかという質問です。私は「私は学生のときから東大の医学部しか行ったことがないので、やめたら自分がどんな気分になるかわかりません」と申し上げました。「やめてから先のことはやめてから考えます」と。するといきなり「そんなことで、よく不安になりませんな」と言うのです。思わず「先生も何かの病気でいつかお亡くなりになるはずですが、いつ何の病気でお亡くなりになるか教えてください」と言い返してしまいました。「そんなこと、わかるわけないでしょう」と言うなら、「それでよく不安になりませんな」と申し上げました。

   ここで②はっきりわかることがあります。特に東大のお医者さんです。大学病院ではしょっちゅう患者さんが亡くなるので、人が死ぬということが、自分の仕事の中にきちっと入っています。ところがそういうお医者さんが、自分が死ぬということに現実感を持っていない。自分が病気になって死ぬことよりは、勤めをやめたりやめなかったりする、そのことのほうがよほど重要なことだと思っているのです。

(注)東大:東京大学

1.

[ A ]  と [ B ] に入る言葉の組み合わせはどれか。

2.

筆者が①自然と考えるものはどれか。

3.

筆者は、どんなことが②はっきりわかると言っているのか。

4.

筆者の考えに最も近いものはどれか。

   子どものときから、 忘れてはいけない、 忘れてはいけない、 と教えられ、 忘れたと言っては(しか)られてきた。 そのせいもあって、 忘れることに恐怖心を抱き続けている。 忘れることは悪いことと決めてしまっている。

   学校が忘れるな、 よく覚えろ、と命じるのはそれなりの理由がある。教室では知識を与える。知識を増やすのを目標にする。せっかく与えたものを片端(かたはし)から捨ててしまっては困る。よく覚えておけ。 覚えているかどうか時々試験をして調べる。 覚えていなければ減点(げんてん)して警告(けいこく)する。点はいいほうがいいに決まっているから、 みんな知らず知らずのうちに、 忘れるのをこわがるようになる。

   教育程度が高くなればなるほど、 そして、頭がいいと言われれば言われるほど知識をたくさん持っている。つまり、 忘れないでいるものが多い。頭の優秀さは、 記憶力の優秀さとしばしば同じ意味を持っている。

   ここで、われわれの頭をどう考えるかが問題である。

   ①これまでの教育では、 人間の頭脳を倉庫のようなものだと見てきた。知識をどんどん蓄積(ちくせき)する。倉庫は大きければ大きいほどよろしい。中にたくさん詰まっていればいるほど結構だということになる。

   ②倉庫としての頭にとっては、 忘却(ぼうきゃく)は敵である。 ところが、 こういう人間の頭脳にとっておそるべき敵が現れた。 コンピューターである。 これが倉庫としてはすばらしい能力を持っている。 いったん入れたものは決して失わない。 必要な時には、 さっと引きだすことができる。 整理も完全である。

   コンピューターの出現(しゅつげん)、 普及にともなって、 人間の頭を倉庫として使うことに疑問がわいてきた。 コンピューター人間を育てていたのでは、 本物のコンピューターにかなうわけがない。

   そこで、 ようやく人間の創造性(そうぞうせい)が問題になってきた。コンピューターのできないことをしなくては、 というのである。

   人間の頭はこれからも、 一部は倉庫の役を続けなければならないだろうが、 それだけではいけない。新しいことを考え出す工場でなくてはならない。 倉庫なら、 入れたものを紛失(ふんしつ)しないようにしておけばいいが、 ものを作り出すには、そういう保存保管(ほぞんほかん)の能力だけでは仕方ない。

   第一、 工場に余計なものが入っていては作業能率が悪い。 余計(よけい)なものは処分(しょぶん)して広々としたスペースをとる必要がある。 そうかと言って、全てのものを捨ててしまっては仕事にならない。③整理が大事になる

   倉庫にも整理は欠かせないが、 それはものを順序よく並べる整理である。それに対して、 工場内の整理は、 作業のじゃまになるものを取り除く整理である。 この工場の整理に相当するのが忘却(ぼうきゃく)である。 人間の頭を倉庫としてみれば、 危険視(きけんし)される忘却だが、 工場として能率(のうりつ)を良くしようと考えれば、 どんどん忘れてやらなくてはいけない。

   そのことが今の人間にはわかっていない。 それで、 工場の中を倉庫のようにして喜んでいる人が現れる。 それでは、 工場としても倉庫としても、 両方ともうまく機能しない頭になりかねない。 コンピューターには、 こういう忘却ができないのである。 だから、 コンピューターには倉庫として機能させ、 人間の頭は、 知的工場として働かせることに重点を置くのが、 これからの方向でなくてはならない。

( 外山滋比古「『思考の整理学』 筑摩書房による)

1.

①「 これまでの教育」 とあるが、 どのような教育か。

2.

②「 倉庫としての頭」 とあるが、 どういうことか。  

3.

③「 整理が大事になる」 とあるが、 どういうことか。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   選挙権は一人一票。平等に与えられているはずだが、実際は人口の少ない地域の候補者が少ない票数で当選するのに対して、人口が多ければその倍以上取っても落選する。2008 年の選挙では人口の多い神奈川県(かながわけん)と少ない鳥取県(とっとりけん)では 4.868 倍もの格差があった。私の票も衆議院で 0.46 票、参議院て 0.23 票の価値しかない。このままでは私の意見はこの比率しか反映されない。早く格差を無くしてほしい。議員は地位が脅かされる選挙制度改革をしたくない。しかし最高裁判所で格差は憲法違反だという判決が出れば改革せざるを得ない。そこで、最高裁判所の裁判官の国民審査で格差を憲法違反ではないと考える裁判官を信任しない、つまり x をつけるという運動が生まれた。これを広めて世論を喚起し一票の格差を解消したいと思っている。

 

B

   国民は法の下に平等だから一票の格差は解消すべきものだろう。しかし、完全に平等になったら都会の人たちの意見を代表する議員ばかりになり、私たち人口が少ない地域に住んでいる者の意見は国政に反映されなくなってしまう。地方の疲弊が言われている。私の住む地域は子どもの学力テストで日本一と言われ持て(はや)されているが、成長した優秀な子ども達のほとんどが都会に行って帰ってこなない。沢山の税金や家計費を使って都会の繁栄のために子育てしているようなものだ。あげくの果てに国政でも隅に追いやられては、地方は益々活カを失ってしまう。選挙制度の改革は当然だが、格差解消だけでは真の平等は実現しない。地方の意見も吸い上げる新しい制度が必要だと思う。

1.

どうして選挙制度が変わると地位が脅かされるのか。

2.

両者の立場を表しているのはどれか。

3.

日本の現状を述べているのはどれか。

A

   ウサイン・ポルトが100メートルを何秒で走ってもわれわれの生活が変わるわけではない。急に収んが増えるわけでも、 夏休みの宿題が片付くわけでもない。

   それなのになぜだろう。ジャマイカ出身の、 この傷気な二十三歳の青年の記録への挑戦(ちょうせん)が、これほど人の感動させるのは。

   ベルリンでの世界陸上選手権(りくじょうせんしゅけん)で、100メートルに続き、200メートルでも世界新記録を打ち立てた。後半100メトルのタイムは、実に9秒27! 先の100メートルでは自己(じこ)の持つ世界記録9秒69を一度に0秒11も縮めた。テレビの解説者によれば、一本来は0秒01縮まっても興奮する世界だ」 そうだ。確かに過去の更新(こうしん)も0秒05ぐらいの短縮(たんしゅく)がせいぜいであった。文字通り「けた違い」の記録だ。

   どんなに「 超人(ちょうじん)」 に見えても、 この長身(ちょうしん)の青年も、 われわれ六十何意人かの一人にすぎない。その1人の青年がわれわれに人類の可能性を示してくれたのだ。

( 「筆洗」 2009 月22日付け東京訢新聞朝刊による)

B

   ベルリンで開催(かいさい)されている世界陸上選手権で、 100メートルの世界新記録が生まれたと思ったら、すぐに、 200メートルでも新記録が樹立(じゅりつ)された。もちろん、 ジャマイカ出身のウサイン・ボルトである。

   100メートルのタイムは9北京(ぺきん)オリンピックで自ら出した世界記録を0秒11も縮めた9秒58、 200メートルは19秒19だ。

   確かに、 これはおどろくべき記録なのだろう。 今までになかったことなのだろう。 新聞やテレビが大騒ぎするのもわからないでもない。日本の選手はいまだに10秒の壁も破れないでいるのだから。

   しかし、 どうだろうか。 疑問に思うのは、 その報道(ほうどう)の仕方であるジャマイカの選手が新記録を出したら、 日本人選手もという気になって、 根拠(こんきょ)もないのに期待をふくらませ、 特にテレビの報道が過熱する。そして、 選手はプレッシャーに負けて惨敗(ざんぱい)する。 そのくり返しである。

   いつになったら、 なぜ日本選手は100メートル走で勝てないのか、 その科学的分析ができるようになるのだろうか。

1.

AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。

2.

新記録誕生のマスコミ報道(ほうどう)について、 Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

今回の世界新記録が今までの記録と違うのはどんな点か。