Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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186


Hoàn thành
読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   2009 年東京の明治大学が漫画中心の図書館を開設しました。漫画本は主に漫画評論家が寄付したものだそうです。今後、漫画だけではなく大規模なサブカルチャー図書館を設立する計画もあるそうです。図書館には 1 日 50 人ほどが訪問しているそうです。明治大学の関係者は無料で利用できます。また一般の人にも開放されていますが、こちらは18歳以上の人であれば会費 6000円(1 年間)または 2000円を支払うことで利用可能となっております。開館は月曜と金曜の午後2時から8時までと土曜、日曜、祝日の昼12時から6時までです。今後海外の漫画ファンが大勢訪れることは間違いないです。

1.

マンガ図書館を利用できる人は誰か。

   病気というものはいずれにしろ不愉快なものであるが、最近流行の「健康病」というのは、定義どおり、本人は病気と思っていないので、それによる被害が潜行(注)するところが恐ろしい。健康病とは、簡単に言ってしまうと、ともかく「健康第一」で、そのことにひたすらかかずらわり、他のことは無視してしまう。それから生じる近所迷惑などお構いなし、という点で、「ほとんど病気」の状態であるが、本人はそれに無自覚である場合のことを言う。

                                                                 (河合隼雄「こころの処方箋」新潮社)

(注)潜行(せんこう):気づかれないまま進むこと

2.

恐ろしい」とあるが、なぜか。

   今のわたしの生活は豊かだ!

   だが、 そう言い切って何が落ち着かない気持ちになるのは何故(なぜ)か。 生まれた時代と国が違えば、 あるいは為政者(いせいしゃ)の指導が悪ければ、 今も戦禍(せんか)のうちにあり、 明日の食べ物を心配しなければならなかったかもしれない。 そうなれば豊かさとは程遠い暮らしを余儀(よぎ)なくされる。生まれた家庭についても同じことが言えるだろう。 つまり、 今のわたしの豊かさはわたし自身の努力で獲得(かくとく)したものではなく、 ①「 下駄を他に預けたーかさなのである。 ① 下駄(げた)を他に(あず)けた」 豊かさなのである。

3.

①下駄(げた)を他に(あず)けた」 豊かさとはどんなことか。

4.

筆者は、弱者をどのようにとらえているか。

   欧米人が「個」として確立された自我をもつのに対して、日本人の自我-それは西洋流にいえば「自我」とも呼べないだろうーは、常に自他との相互的関連のなかに存在し、「個」として確立されたものではない、ということであった。

   西洋人からは、この点に関して日本人の無責任性とか、他人志向(しこう)性などと言って非難されることもある。

           (河合隼雄『日本人とアイデンティティーー心理療法家の着想-』講談社)

5.

この点」は何を指しているか。

「俺は料理が得意なんだ」

   と自慢げに語る男性の頭に、素材の値段やかかる時間、そして誰が後片付けをするか、などという問題は存在しません。あくまで趣味なのですから、高価な肉や滅多に使わない香辛料を駆使し、無駄をいっぱい出しながら料理をするのです。そして使い散らかされた道具を洗うのは、奥さんだったりする。

6.

筆者は男性の料理をどう思っているか。

   脳とコンピューターが似ているのは、いずれも計算や記憶ができるからだ、と思っている人がいます。しかし、計算や記憶をするのはあくまでも脳であって、コンピューターはパソコンやメモ用紙のような道具に過ぎないのです。両者が似ているのは、その基本的な仕組みです。

   脳の主役は神経細胞ですが、その細胞からは細くて長い神経線維という糸が出ています。そして、その神経細胞の先端は別の神経細胞に接触するという形で、次々とつながってゆきます。その接触するところをしナップスとよんでいます。つまり、脳は神経細胞またはシナップスを結び目とした巨大な神経網ということができます。その点が、多数の素子が配線で結ばれているコンピューターと似ているのです。

7.

脳とコンピューターの似ているところはどこか。

   才能というのは誰でも同じようにあるわけではないし、勉強の才能がない人がそれ以外の才能を持っているという保証もない。それでも、様々な才能があり得るわけだし、自分の才能を探して、そこで頑張って心楽しくなれる人もきっと大勢いると思う。もちろん、何をやってもダメだということもあり得るわけだし、それは仕方がないことである。重要なことは、自分で自分のやり方を決定し、余り後悔しないことである。才能があってもなくなっても、自分なりの規範を見つけ、その中で自足することができれば、人は善く生きられると私は思う。

8.

筆者がここで最も言いたいことは何か。

   勉強をするにあたって意外に大事な要素は動機である。昨今、子どもや大学生の学力低下や勉強時間の減少が問題にされているが、この背景には、勉強に対する動機の低下という単純な問題があると私は考えている。マスコミも文部省も、一丸(いちがん)となって「勉強ばかりしていると人間性が(ゆが)む」という意味のキャンペーンを続けている。勉強ができても、ルックスのいい人やスポーツや音楽ができる人ほどは異性にもてず、その上に、将来の地位や収入も保証されないというのであれば、何を動機に勉強すればいいのかは、精神科医でなくても疑問に感じるところだ。そして、貧しさを知らない今の子どもたちは、昔の子どもたちのように、勉強しなければ生き()びていけないというほどの強迫観念(きょうはくかんねん)を持ち合わせていない。

(和田秀樹「大人のための勉強法」PHP研究所)

9.

筆者の考えとして正しいものはどれか。

   議論は漫画やテレビと違い、接してさえいれば自然にその面白さに浸れるというモノではない。読むほう、聞くほうも積極的に関わらなければ面白くない。逆に言うと、一定のテクニックを持つ者しかァクセスできないが、それがわかれば一挙に広大な世界が開ける。この入り口に立てない人はこの豊穣な土地から閉め出されているに等しい。

10.

この文章で筆者の言いたいことは何か。

   仏教の教えの中に、自分自身の根拠(こんきょ)の発見というものがある。しかし、自分の存在を現世(げんせ)(注1)的なものの中から見つけるのは非常に難しい。現世に生きながら、現世に自分自身の根拠がないことについては誰もが無意識のうちに不安を覚えるであろう。それは(とら)えようのないものであり、非常に愁傷(しゅうしょう)(注2)で、漠然(ばくぜん)としたものである。それらを科学的に解明するにも無理があるだろう。現世における自我(じが)の存在は、自身の意志とは全く無関係なところから始まっているのだ。

   現実に見えないことを求めていくことは勇気のいる決心であるし、到達(とうたつ)しがたい境地(きょうち)(注3)である。仏教にある「無我(むが)」というのはその境地を指す言葉であろう。しかし、結果的に自分の根拠が現世にないという不安定な自我を支えるために信仰(しんこう)心が厚くなることも事実である。

(注1)   現世:現在の世の中

(注2)   憖傷的:悲しさや寂しさを持った

(注3)   境地:最終的な到達目標である心の状態

11.

非常に難しい」とあるが、どうしてか。

   会話や文章の中に外来語や外国語を多用すると円滑なコミュニケーションが妨げられる、という指摘がされることがしばしばある。「あの人の話は横文字が多くてわかりにくい」などという話もよく耳にする。「わかりにくい」が個人的な問題で終わる分には害が少ないが、公共施設の掲示や官庁の広報紙、新聞放送などに多くの人が理解できない外来語や外国語が並ぶとなると話は別である。

12.

筆者の言いたいことは何か。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   日本では休暇が一時期に集中しているので、旅行業界にとって繁忙期は約 100 日間しかない。宿泊や日帰り旅行の費用年間約 23 兆円のうち、 繁忙期に 20 兆円が使われているそうだ。繁忙期は旅行行者が一斉に移動するので渋滞するし、予約も取りにくい。行楽地に行っても人込みで却って疲れてしまうほどだ。宿泊代やツアー代などの費用も通常期に比べ2倍以上になることも珍しくない。だから休暇の平均化が可能なら旅行者にとっても喜ばしいし、旅行者の増加に結びつき受け入れ側に利益をもたらす。また、飲食・旅行業界は時期の偏りがありすぎるので正社員率が30 % に満たないが、これが上向く可能性もある。分散による経済的効果は計り知れないので、現在政府内で検討中だ。

   フランスは 1964 年から国内を 3 分割して学校の冬と春の休暇を1週間ずつずらした。それが交通渋滞の解消と観光施設経営の安定化に役立っているそうだ。日本では旅行繁忙期はほとんどが国民の祝日と重なっていて、親子一緒に休める貴重な長めの休日となっている。しかし、国民の祝日は記念日なのでこれを地域ごとに変えることに異議がある。また、子ども達の休暇を移行した場合も年休が取りにくい日本では休暇の分散にそれほど効果は上がらないだろう。どのように休日の平均化を進めるか今知恵が試されている。

1.

通常期と繁忙期の差がないのはどれか。 

2.

休日分散による経済効果とあまり関係ないのはどれか。

3.

日本とフランスの休暇について述べているのはどれか。

   国内の優れた農業従事者が、その取り組みを発表する第61回全国農業コンクール全国大会(毎日新聞社、島根県主催)が、同県出雲(いずも)市で開かれた。(中略)

   最優秀の毎日農業大賞を獲得した「やさか共同農場」は、同県浜田市の山あいにある。コメや大豆などの有機栽培とみそなどの食品製造を組み合わせ、ブランド化に成功した。通信販売などの販路も開拓し、年間2億円以上を売り上げる。

   40年前に4人で始めた農場は法人化し、現在は35人が働く。農業研修生も受け入れ、若者の就農も支援している(中略)

   政府が、昨秋まとめた農業を再生・強化するための基本方針は、第1次産業の農業に、第2次、第3次産業である製造・販売業を組み合わせた「6次産業化」の推進、営業規模の拡大、若い世代の参入促進を柱にしている。

「やさか」の取り組みは、そうした強化策を先取りした好例だ。山あいの過疎地、冬には降雪で農作業もままならない。そんな悪条件、創意工夫で、乗り越えられることを実績で示した。

   大会では、多くの発表者が6次産業化の取り組みに触れた。生産者が、民間企業とも連携しながら加工・製造、販売まで一貫して手がけることで、「安全・安心」といったメッセージを伝え、消費者の支持を獲得したケースが目立った。

(毎日新聞2012年7月30日付朝刊による)

1.

この農業コンクールについて、本文の説明と合っているものはどれか。

2.

創意工夫とあるが、「やさか」の場合は具体的にどのようなことか。

3.

今回のコンクールではどのような事例の発表が多かったと筆者は述べているか。

   戦前までは、健康ということは病気をしないことでした。腸チフス、赤痢などの急性伝染病や、肺結核、脚気など慢性疾患が多かった時代には、このような病気の治療と予防がまず大切で、そういう病気にかからないことで健康が意識されていました。しかし戦後、病気の様相も変り、人々の意識も変化して、健康の概念もより幅広く積極的な意味になってきました。

   今日もっとも多くの人々から支持されている「健康」の定義は、次のようなものです。すなわち国際連合の部局の一つに、世界保健機関(WHO、World Health Organization)という機関があります。WHOの「国際疾患分類」はわが国の行政にも採用され、日々の医療や医療統計に役立っています。このWHOは次のように「健康」を定義しています。

  「健康とは、単に病気が存在しないというだけではなくて、身体的・精神的ならびに社会的に充分に良好な状態をいう」。

   つまり健康を身体と精神、さらに社会的な面の三つに分けて、それぞれの要素を重視した概念を提唱しています。この定義は、人間が身体的のみでなく、精神的ならびに社会的存在であることをよく理解した、すぐれた表現であるといえるでしょう。

(吉川政己『老いと健康』岩波書店による)

1.

戦前における健康な状態とは、どのような状態を指すか。

2.

戦前と戦後で健康の定義が変化したのには、どんな背景があるか。

3.

筆者は、なぜWHOの「健康」の定義がすぐれた表現であると考えるか。

   夜道を照らす街灯や、庭などに置いてある電灯に明かりが灯ると、どこからともなくたくさんの()が集まってきます。都市部ではあまり見られませんが、台所や部屋の網戸などに張りついていることもあります。

   とくにえさがあるわけでもないのに、明かりに寄ってきてはくるくる舞い飛ぶ蛾。どうして蛾たちは①このような不思議な行動をするのでしょう。これには二つの説があります。

   夜に行動する夜行性の蛾たちには、コウモリというこわい敵がいます。自分たちを捕食するコウモリから逃れるためには、コウモリが嫌う明るい場所にいるのがもっとも安全だと考え、夜になると明かりに寄ってくるという説がひとつ。

   もうひとつは、それよりもちょっと有力です。

   夜、蛾たちは月や星の光を目安に飛んでいます。どちらかの光をつねに一方の側に見ていれば、まっすぐに飛べるからです。ところが、街灯などの明かりは月や星とちがってすぐ近くにあります。そのため、いったん明かりのそばに寄ってしまうと、( ② )。光を片側に見ながら飛ぼうとすれば、くるくると光源の周りを舞うことになってしまうというわけです。

1.

このような不思議な行動とあるが、それはどのような行動か。

2.

(  ② ) に入れるのに適当な誄はどれか。

3.

蛾が街灯や電灯に集まってくる理由として、筆者が述べている二つの説とはどれか。

   中卒の 7 割、高卒の 5 割、大卒の3割の人が、就職後 3 年以内に会社を辞めてしまうそうだ。いわゆる「七五三問題」である。最近は就職氷河期が読いており、転職も難しく、今後もなかなか景気の回復は望めないからこの数値は少し下がる可龍性があるが、予断を許さない。なぜ若者は簡単に会社を辞めるのか。企業から言わせると最近の若音は我慢が足りない、若耆から言うとつまらなくて希望のない仕事は早ㄑ見切りをつけたほうがいいと言うことになる。昔から新入社員は我慢を強いれるつまらない仕事を(あて)がわれていた。それでも辞めなかったのは、今はつまらない仕事ばかリで給料も低いけれど、将来は責任がある仕事を任せて貰えるし給料が上がる希望があったからだ。今は先が見えないので、つまらない仕事を読けた果てにリストラでもされたらと考えるのかもしれない。しかしこの転職、余程実力があったりキャリアアップのためなら別だが、単に仕事が面白くないという理由なら反対だ。何度転職しても同じ結果に陥るからだ。また企業にとっても新卒の採用には費用がかかるので簡単に辞められては大損失だ。お互いのためにならない。宇生は自分身の価値観や志望動機を確立するペキだ。その上で特別な時以外3年間ぐらいは働きながら将来を考えてみるべきだと思う。

1.

就職氷河期が続くと、どうして数値が下がるのか。

2.

七五三問題」の原因でないのは何か。

3.

著者の短期の退職に対する考えはどれか。

   現在、活動を停止することは必ずしも休息を意味しない。活動を停止するためには、活動を停止するための活動が必要であり、それはしばしば、そのまま活動し続けるよりも、大いなる活動となる可能性があるからである。今日では、いったん停止された活動が、そのままの状態で持続されることは、ほぼ①考えられないのだ。停止を持続するために、絶えざる働きかけが必要であり、しかもその働きに要するエネルギーは、停止期間が長びけば長びくほど増大する。従って多くの人々は、活動を持続している期間より、それを停止している期間に、より大いなる疲労を引き受けることになる。

   言うまでもなく、②かつてはそうではなかった。活動は活動として独自に保証され、その停止は停止として、これまた独自に保証されていたのである。活動がひとつの状態であれば、その停止もまたひとつの状態であるのはともかく、その停止は「非状態」としてしか確かめられなくなりつつあるのである。

   現在多くの人々が、他から強制された活動停止の時間―いわゆる「待ち時間」を、独自に体験することが出来なくなりつつあることにお気付きであろうか。

1.

筆者は、どんなことが①考えられないと言っているのか。

2.

かつてはそうではなかったとあるが、以前はどうだったのか。

3.

本文の内容と合うものはどれか。

   結婚しない人が増えているというが、先日、 ある調査で 独身男女の結婚観に開きがあることが分かった。

   一昔前までは、 「 男は外で働き、女は家を守る」 という考えが男女ともに主流であったが、 最近の男性は結婚相手が自分より年収が高くてもいい、女性にもある程度は(かせ)いでもらいたいと考えている人が7割を超えるという。 不況の今、 自分の収入だけで妻子(さいし)を養う自信はない。だから女性にも 稼いでほしいという本音(ほんね)がうかがえる。

   一方、女性はというと、「自分が働かなくても()(けい)が成り立つ人と結婚したい」 と考えている人がほとんどだった。女性の社会進出が進んだ今でも、高収入の男性と結婚し出産後は専業主婦(せんぎょうしゅふ)に、という価値観はまだまだ支配的なようだ。

   こういう独身男女を「わがままだ」 と非難(ひなん)するのはたやすいが、 貧富(ひんぷ)の差が広がる、 いわゆる「 格差(かくさ)社会」 という現実に直面(ちょくめん)している彼らにしてみれ場、‚しかたのないことなのだろ。経済的不安を抱える男女が結婚相手に高収入を期待するのは無理もない。

   ここで、 新たな可能性がうかがえるのは、 高収入の女性と低収入の男性のカフプルだ。だが、これにも条件がある。女性は、「男が家族を養うものだ」 という従来(じゅうらい)の価値観を捨てること。 男性は「家事は女性が」 と言わずに、 しつかり家事をこなす力を身につけることだ。③そこからは、きっと明るい未来が見えてくる。ともかく、 男女双方(そうほう)、お互いに努力しなければ 、今以上に独身男女が世にあふれることになるだろう。

1.

「独身男女の結婚観に開きがある」 が、どういうことか。

2.

しかたのないことなのだろ」と筆者が考える理由は何か。

3.

そこからは、 きっと明るい未来が見えてくる』とあるが、筆者の考えに近いものはどれか。

   私は、世界初、日本初、業界初、市場初などとついた商品が出るとワクワクするというミーハー(注)だ。電卓が小型化、薄型化を競いはじめたころ、名刺サイズで厚さが5ミリメートルくらいのが初めて発売されたときには、結構な値段にもかかわらず飛びついてしまった。

   数字に弱いにもかかわらず、仕事で電卓を使うことが多かった私にとって、電卓をいつも身につけることができる名刺サイズは、①大きな福音に思えだ。しかも、出はじめの商品であるだけに、同僚たちに自慢ができるというミーハー心もくすぐられたからでもある。

   しかし、買ってしばらくは定期入れと一緒に持ち歩いていたが、1カ月もしないうちに元の電卓を使うようになり、カード電卓は机の引き出しで(ほこり)をかぶってしまうようになった。②それは、名刺サイズにするためにキーを小さくており、しかもその操作感も頼りないために使いにくかったからである。また、胸ポケットなどに入れると、本体がねじれるため接触不良をおこし、故障したりもした。そういったことがあったため、その後、電卓が薄型化を競い合い、キーの突起がないフラットなものまで出てきたが、さすがにミーハーの私でも飛びつくことはなかった。もちろん、名刺入れに入るというカード電卓のよさはあるが、ある意味では非常用であり、指の大きさや器用さから言えば、ものには「適度な」大きさがあることを学んでのである。

(注)ミーハー: 程度の低いことに熱中しやすく、流行に左右されやすい人

1.

筆者には、なぜ①大きな福音だと思えたのか。

2.

それは何を指しているか。

3.

名刺サイズのカード電卓を使ったことで、筆者がわかったことは何か。

   威張るのはよくないと思っている人が多い。しかし、威張るとは自分の役割に忠実になることである。そして役割に忠実になるとは、自分の権限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気をもつということである。たとえばスチュワーデスが「お客さま、お煙草はサインが消えるまでお待ちいただけないでしょうか」というのは自分の責任に忠実な瞬間である。出すぎたことでもないし、生意気をいっているわけでもない。教授が学生に「レポートは事務室に提出のこと。拙宅に郵送しても採点しない」というのは教師の①権限を発揮しているわけで、権威主義とか押しつけというわけではない。

   自分の役割を明確に打ち出さないから後で後悔したり、人に無視されたり、なめられたりするのである。組織とは役割の束である。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くのである。②遠慮は無用とはこのことである。ところが給料は役割に払われていることの自覚が足りない人がいる。いつもニコニコして人の和を保っている好人物であるという理由で給料をもらっているわけではない。権限と責任を発揮するという契約を果たすからこそ給料をもらっている。つまり給料をもらうには気合がかかっている必要がある。これを私は威張ることをためらうことなかれと少し極端に表現してみたのである。

1.

筆者が言う①権限を発揮している例としてふさわしいものはどれか。

2.

筆者は、何に対して②遠慮は無用だと言っているか。

3.

筆者の考えと合っているものはどれか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   生老病死をなぜかみな嫌がります。できれば考えたくない。そこでどうするかというと、たとえば人間が生まれるのも特別なことだから、病院へ行ってくれというのです。そうして、お産は現在ほとんど病院で行われている。(中略)

   生老病死の最後の死ぬところですが、これも都会ではもう90% 、いや99% の人が病院で亡くなります。私の母は、95年の3月、自宅で死にましたが、いつの間にか死んでいました。しかし大半の人々は病院で死にます。このように死ぬ場所が病院に移ったのはここ25年の傾向で、急速にそうなりました。以前は半分以上が自宅で亡くなっていました。では、自宅で亡くなることと、病院で亡くなることの違いは何かーーー。 これは、我々が普通に暮らしている[  A ]の中に、[ B ]がなくなってしまったということなのです。だから、死が特別なことになった。そして特別なことは特別な場所で起こることになったのです。

   そんな現代は、 よくよく考えてみると、大変な異常事態なのです。生老病死というのは、人の本来の姿です。こっちが先で、何千年何万年も続いてきた間違いのないことなのです。都市よりも文明よりも何よりも先に生老病死があった。だから私はこれを「①自然」と呼ぶのです。人の一生は好きも嫌いもなく時期経過とともに変化していく。それが自然の姿なのだと私は思う。なのにいまは自然つまり本来の姿であるほうが異常になってしまった。

   かけがえのない未来を大切にしていない典型的な例をあげてみます。私は95年の3月に東大(注)をやめました。正式には94年の9月の教授会でやめることが決まりました。教授会のあと同僚の病院の先生が来られて、「先生、4月からどうなさいますかと話されるのです。「3月でおやめになるそうですね」「やめます」「4月からどうされるのですか」。これは、勤めはどうするのですかという質問です。私は「私は学生のときから東大の医学部しか行ったことがないので、やめたら自分がどんな気分になるかわかりません」と申し上げました。「やめてから先のことはやめてから考えます」と。するといきなり「そんなことで、よく不安になりませんな」と言うのです。思わず「先生も何かの病気でいつかお亡くなりになるはずですが、いつ何の病気でお亡くなりになるか教えてください」と言い返してしまいました。「そんなこと、わかるわけないでしょう」と言うなら、「それでよく不安になりませんな」と申し上げました。

   ここで②はっきりわかることがあります。特に東大のお医者さんです。大学病院ではしょっちゅう患者さんが亡くなるので、人が死ぬということが、自分の仕事の中にきちっと入っています。ところがそういうお医者さんが、自分が死ぬということに現実感を持っていない。自分が病気になって死ぬことよりは、勤めをやめたりやめなかったりする、そのことのほうがよほど重要なことだと思っているのです。

(注)東大:東京大学

1.

[ A ]  と [ B ] に入る言葉の組み合わせはどれか。

2.

筆者が①自然と考えるものはどれか。

3.

筆者は、どんなことが②はっきりわかると言っているのか。

4.

筆者の考えに最も近いものはどれか。

   私は芸術の存在理由を、一般に考えられているように個人の内面の表現のためにあるより、人間理解あるいは①人間関係の創造のためにあると思っています。われわれが何かを表現し、それを公にする場合、他者あるいは第三者というものを前提としない活動の持続も、専門的な行為の成立もないからです。

   ではこの人間関係の創造とは、何であるのか。それはある人間がどういう関係や状況に置かれているのか、どういう可能性をもっているのか、あるいはどういう感受性(注1をもっているのかをまず明らかにすることです。そしてそこからさらに発展して、いったいこの人間といわれるものは何なのか、そういうレベルでの問いかけを多くの人々と共有することです。つまり、ある表現行為を契機にして他人と共に人間について考え、想像することです。そういう目的で芸術行為の存在は貴重だと私は考えています。

   たとえばベートーヴェンの音楽を聴いて、われわれは②人間を想像し、人間を理解しようとすることができます。これは絵画にも同様に言えます。しかし、人によっては「音楽とは音ではないか」「絵画とは色ではないか」「演劇のように生身(なまみ)(注2)の人間が出てこない」という人がいるかもしれません。そして「なぜそれが人間について想像させるのか」と疑問をもつ人もいるでしょう。

   私が言いたいことは、それが創られた音であり色であるということです。われわれが日常では感じられない音であり色なのです。にもかかわらず、というよりそれだからこそと言うペきでしょうが、われわれは思わずそれに注意を集中させられてしまうことがあります。これはいったい何なのかと。また、そうした音や色を創りだすために自分自身の全エネルギーを捧げる人間とはいったい何なのかと。

音楽でも絵画でも文学でも、さらには演劇でも、すべて人間が創りだしたものです。そうした③人間が創造したものを通して、われわれは日常で慣れ親しんだ考え方や見方とはちがったように人間を想像し、またそのことによって人間関係について考えることがあるのです。(中略)

   いままで多くの人々に励ましを与えてきた価値ある芸術作品は、多様な人間関係や社会を成り立たせている〈コミュニケーション・システム〉がわれわれに与える感受性や考え方を変更しうる力をもっています。そのためにわれわれは芸術家という人間の存在に、われわれの想像力を誘われたのであり、人間というものがそれに所属しないでは生きていけないような社会の在り方について考えさせられたのです。

(鈴木忠志『演劇とは何か』岩波書店による)

(注1)感受性:外からの刺激を深く感じ取り、心に受けとめる能力

(注2)生身:実際の体

1.

人間関係の創造とは、どういうことか。

2.

人間を想像し、人間を理解しようとするのはなぜか。

3.

人間が創造したものに当てはまるものはどれか。

4.

筆者は優れた芸術作品とはどのようなものだと考えているか。

   ことばがこうして、いいとか、悪いとか価値づけされて受けとめられている、ということは、ことばが、人間の道具として使いこなされているのではなく、逆に、何らかの意味で、ことばが人間を支配している、ということを示している、 と考える。「近代」 が「混乱」であり「地獄」 であると思い込む者は、「近代」と名のつくものを、考えるよりも前に、まず憎むであろう。他方「非常に偉い」ように感じている者は、冷静に見てみるよりも、まずあこがれるであろう。①人がことばを憎んだり、あこがれたりしているとき、人はそのことばを機能として使いこなしてはいない。 逆に、そのことばによって、人は支配され、人がことばに使われている。価値づけして見ている分だけ、人はことばに引きまわされている。

   このような事情は、「近代」に限らない。これは私たちの国における翻訳語の基本的特徴なのである。 ②翻訳語の成立の歴史について考えるとき、これを単にことばの問題として、辞書的な意味だけを追うというやり方を、私はとらない。ことばを、人間との係わりにおいて、文化的な事件の要素という側面から見ていきたいと思う。とりわけ、ことばが人間を動かしている、というような視点を重視したい。

   たとえば、「近代」 は modern などの西欧語の翻訳語として、1 世紀前頃から使われるようになったことばであるが、modern を中心に見れば、 ③このことばは、「近世」とか、その他いろいろなことばに翻訳されている。しかし、とくに私が、「近世」その他ではなく、「近代」という翻訳語に注目し、ここでとりあげる理由は何か。それは、とくに「近代」 が、人々を惑わせることばになりがちだからである。

   ことばが憎まれたり、あこがれられたりするような事情は、ことばの通常の意味、辞書的な意味からは、どうしても出てこない。それだけに、従来ことばについて専門的に考察する人々に、ほとんど無視されてきた。だが、見過ごされてきたにもかかわらず、ことばの問題としても、また学問・思想、広く文化の問題としても、とても重要なこと、と私は考えるのである。

   私は、翻訳語の成立の事情を考察するとき、以上のような視点を重視している。つまり、ことばの、価値づけられた意味である。そしてそのことは、ことばの乱用、流行現象、ことばの表面上の意味の矛盾、あるいは異常な多義性、というような面からとらえていくことができる。逆に見れば、「近代」などの翻訳語は、こうして乱用され、流行することによって、翻訳語として定着し、成立してきた、と言うことができると思う。

1.

人がことばを憎んだり、あこがれたりしているとは、どういうことか。

2.

筆者が考えている②翻訳語の成立の歴史とは、具体的にどのようなことか。

3.

このことばとは、何を指しているのか。

4.

この文章で、 筆者が最も言いたいことは何か。

   かつてアラビア半島の奥地、サウジアラビアのサバクに、ベドウィン遊牧民の生活を取材するため住み込んだことがある。サバクの生活を切りあげて首都リヤド市に帰り、ホテルに泊まっていたとき、わたしの部屋は314号室だった。ある日のこと、受付で自分の番号を言ってカギをもらい、部屋の前まで行ったとき、カギは別室(316号)のものであることに気づいた。受付に戻ってカギの番号を見せながら、「部屋に入れませんでしたよ」と、相手を責めないための心づかいで、わたしは微笑しながら言った。全く予期しなかった答えが返ってきた。一「あなたが間違った番号を言ったのです」

   わたしが予期していたのは「や、これは失礼しました」というひとことなのだ。このとき、もしわたしが初めてアラブと接したのだったら、「あるいは自分が違った番号を言ったのかもしれない」と思っただろう。しかし既に彼らのものの考え方をサバクで学んでいたわたしは、「まさにベドウィン的だ」と思っただけであった。①ベドウィン的な考え方によれば、自分の失敗を認めることは無条件降伏(こうふく)を意味する。例えば皿洗いの仕事をしている人が百円の皿を割って、もし自分の過失を認めたら、相手がベドウィンなら弁償金を千円要求するかもしれない。だから皿を割ったアラブは言う。「この皿は今日割れる運命にあった。おれの意志と関係ない」

これが日本ならどうだろう。普通の日本人だったらこの場合(ただ)ちに言うにちがいない。「まことにすみません」丁寧(ていねい)な人はさらに、「わたしの責任です」などと追加するだろう。それが美徳なのだ。しかしこの美徳は、世界に流用する美徳ではない。まずアラブは正反対。インド人もアラブに近いだろう。フランス人だ「イタリアの皿ならもっと丈夫だ」というようなことを言うだろう。

   わたし自身の体験では狭すぎるので、多くの知人・友人または本から、このような「②過失に対する反応」の例を採集した結果、どうも③大変なことになった。世界の主な国で、皿洗いの人が皿を割って直ちに謝る習性があるところは実に少ない。「わたしの責任です」などとまで言ってしまうお人よしは、まずほとんどない。日本人とアラブとを正反対の両極とすると、ヨーロッパ諸国は真ん中よりもずっとアラブ寄りである。中国やベトナムもしかり。ただしヨーロッパでは、自分が弁償するほどの事件にはなりそうにもないささいなこと(体に触った、ゲップをした、など)であるかぎり、「すみません」を日本人よりも軽く言う。この謝罪は、「謝罪」というよりもむしろ一種の慣習である。慣習だからこそ、社会をスムーズに動かす潤滑油として大切なのだ。

   だが、日本人と確実に近い例をわたしは知っている。それは、かつて訪れたことのあるニューギニアのモニ族や北極地方のエスキモーである。モニ族は、わたしのノートをあやまって破損したときでも、カメラのレンズに土を付けたときでも、直ちに「アマカネ(すみません)」と言って恐縮した。そして、さまざまな国の歴史を比較検討してみると、おざっぱにいってこんな傾向のあることがわかる。「異民族の蹂躙(じゅうりん)(注)による悲惨な体験をもった民族ほど、自分の過失を認めたがらない」

   日本人やエスキモーやモニ族は、異民族による蹂躙の恐ろしい体験を、一部を例外として、歴史上あまりもたなかったようだ。

   基本的なものの見方について考えると、ベドウィンの特徴、ひいてはアラブの特徴は、日本の特殊性よりもずっと普遍的なのだ。わたしたちの民族的性格は、アラブ諸国やヨーロッパや中国よりも、ニューギニアにより近いとさえ思われる。探検歴の最も豊富な日本人の一人、中尾佐助(なかおさすけ)教授にこの話をすると、教授は言った。—-「④日本こそ世界の最後の秘境かもしれないね

(本多勝一「民族と文化」「国語3」光村図書による)

(注)蹂躙(じゅうりん):暴力や権力によって他の権利を侵したり、社会秩序を乱したりすること

1.

①「ペドゥィン的」とはどういうことか。

2.

③「大黕こと」とは何か。

3.

④「日本こそ世界の最後の秘獎かもしれないね」とはどういうことか。

4.

②「過失に対する反応」がだいたい同じと考えられる組み合わせはどれか。

   ある有名なインタビューアーが、「いろんな人に会わなくちゃならなくて、たいへんですね。いい人、好きな人だけじゃなくて、いやな人、きらいな人もいるでしょうに」と言われて、「いいえ、はじめから好きな人、きらいな人、ということはありません。はじめは虚心(きょしん)(注1)でその人に会うようにしています。最低限、その人に好意と関心をもつようにして」と言っていたのが①印象的である

   私たちは、人づてに聞いたことや、会ったときの印象で、ある程度、相手の人がらを決めてしまいがちである。

   その人の容貌(ようぼう)や服装やからだの特徴や、ことばづかいや動作や姿勢、さらにまた、職業や年齢や出身、経験、社会的地位などといったものからでも、どんな人か、何らかの先入主(注2)を抱く。出会ったときの、自分側の条件や、その場面にもよるわけだが、そういうことを割り引いて、冷静に考える人はまれで、たいていは、自分のこれまでの体験から、あれはこういう人だ、というイメージをつくり上げる。過去の経験で似た人がいれば、その人の印象が重なってくる。意識的に払いのけようとしても、この第一印象は、強い影響をあとに残す。

(中略)

   結婚のための見合いのような場合、内心強い劣等感を持っていて、きらわれるのではないかという恐れを抱いていると、相手に対する見方にも、バイアス(かたより)が生ずる。畏怖(いふ)(注3)して、相手が実物以上によく見えたり、逆に、反動的に、なにかにつけて、わるく、低く見ようとしたりする。

   人生、はじめての出会いは、すべて、見合いみたいなものだが、②身がまえてコチコチになっていると、相手の姿が正確に見えない。特に利害がからむと、バイアスがかかりやすく、かたよった先入主を抱きがちである。ずるそう、おっかなそう、きつそう……など。それは、多分に、③自分側の気持ちを、相手のイメージに投影しているのである。

   身がまえることなく、フランクに、相手を受けいれることが、いかに難しいか。自己防衛的な身がまえは、相手に対して、ドアを閉じようとしている姿勢である。ある有名なインタビューアーが言ったように、虚心坦懐(きょしんたんかい)(注1)、自分の心のドアを開け、人に接しようとする心がけが必要である。パッと見た瞬間の印象にとらわれたり、こだわったりすると、人間関係は玄関先でギクシャクする。

(本明寛「自分を豊かにする心理学」による)

(注1)虚心 虚心坦懐:先入観なく相手をありのままに受け入れる心

(注2)先入主:先入観

(注3)畏怖:おそれ

1.

①「印象的である」とあるが、何が印象的だったのか。

2.

②「身がまえてコチコチになっている」というのは、どういうことか。

3.

③「自分側の気持ちを、相手のイメージに投影している」例として適当なものはどれか。

4.

この文章で筆者が最も言いたいことは何か。

   日本はエネルギーの80% 以上を海外に頼っている。今後世界でも資源不足になるので、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギーをもっと利用していく必要がある。

   2008 年の太陽光発電の新設導入量は1位スペイン 2511 MW、2 位ドイツ 1500 MW、3 位アメリカ 342 MW、4 位韓国、5 位イタリア、そしてやっと 6 位に日本が来るという状況だ。日本のメーカーは太陽光発電技術で常に世界をリードしていた。しかし、設置に対する補助金を停止したことで、それまで普及率世界一だった地位を簡単にドイツに明け渡してしまった。世界の流れに反する政策で技術力があるにも関わらず、日本メーカーの力は次第に落ちてきたのである。

   現在、巨大太陽光発電施設が世界各地で建設されている。スペインは 2009 年に稼働したし、アフリカでも同様の施設を建設中だ。バチカンでさえ太陽光発電ビジネスに投資する時代だ。また、太陽光発電で上位の国はほかの自然エネルギーも積極的に取り入れている。スペインでは既に風力発電が最大の電力源になっている。

   多くの国で自然エネルギーに舵を切っている。アメリカは「グリーン・ニューディール」政策で 2050 年に温室効果ガス 80% 削減、自然エネルギー電力を 2012 年に10%、  2025 年に 25% に引き上げ、自然エネルギーの開発に 1500 億ドルを投資し、500 万人の雇用を生み出す計画だ。EUも 2020 年までにエネルギーの 20% を自然エネルギーにし、電力については 30% 以上を目指している。自然エネルギーの雇用ではドイツは 2006 年に 26 万人、2020 年 50 万人、2030 年 71 万人を見込んでいる。また、スペインは風力と太陽光発電で2007年に 19 万人だったそうだ。中国も約 94 万人、そのうち太陽光発電で約 60 万人、ブラジルもバイオエタノールで約 50 万人の雇用を生み出している。

   自然エネルギーは全て国の政策ひとつで数字が変化する。日本では 2009 年に太陽光発電の補助金が復活し、電力の買い取り額が上がったために設置する人が急増してきた。 しかし、日本が停滞しているうちにカをつけてきた新興国が価格で日本市場を脅かすまでに成長していた。

   目然エネルギーは太陽光発電ばかりではない、風力、波力、地熱など様々である。まだどれを選んだらいいか明確な道はない。政府は太陽光発電以外の新エネルギー事業も促進されるような政策をとるべきである。

1.

日本が新エネルギーを利用しなければならないのはなぜか。

2.

世界の太陽光発電業はどうなっているか。

3.

自然エネルギー導入は何をもたらしたと言っているか。

4.

著者の自然エネルギーに対する意見でないのはどれか。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

日本では、 (せい)は一つの家族のまとまりを示すものである。 だから家族が皆同じ姓を名乗ることで、 連帯感(れんたいかん)を感じることができる。 結婚して、 好きな人と同じ姓になることはうれしいことだし、 結婚したという実感がわき、 共に新しい家族を作っていこうとする大事な契機(けいき)にもなる。夫婦の大半が男性の姓を名乗ることは差別ではないかという主張もあるが、 それは差別ではなく「 慣習(かんしゅう)」 である。 欧米のように、 ファーストネームで呼び合う文化とは異なり、 名字(みょうじ)で相手を呼ぶ習慣の日本では、 夫婦が同姓であることの社会的意義(いぎ)は、 はるかに大きいと思われる。 もし、 姓が変わることが女性の仕事に不都合となるなら、 仕事の時だけ旧姓(きゅうせい)を使うことを認めればよく、 多数が満足している現状を変える必要はないだろう。

B

夫婦が別々の姓になると「 家庭が崩壊(ほうかい)する」 という人もいるが、 家族を不幸にしようと思って別姓を選択する人などいない。 むしろ姓が違うからというだけで、 家族のつながりを感じられないことが問題ではないか。夫婦別姓となれば、 何らかの事情で母親や父親と名字が違う子供が差別されることも少なくなるだろう。 また、 現在は、女性は旧姓(きゅうせい)だと独身、 改姓(かいせい)すれば既婚(きこん)、 また旧姓に戻れば離婚したことも明白だ。 これは女性のプライバシー侵害(しんがい)につながりかねないが、 男性にはそういった心配が少ない。 さらに、 仕事を持つ女性が名字が変わったことを取引先などに知らせるには、 電話代や葉書(はがき)代、 本人の労働時間など、 多大なコストがかかる。夫婦同姓が日本の文化や習慣だという意見もあるが、 文化や習慣は時代と共に変化するものである。女性の選挙権や社会進出にしても、 その時の慣例(かんれい)を打ち破ってきたものであったはずだ。

1.

夫婦別姓(べっせい)について、 AとB はそれぞれどのような立場をとっているか。

2.

(せい)に関連して、 AもしくはBの一方でしか触れられていないことはどれか。

3.

夫婦同姓について、 Aの筆者とBの筆者に共通している意見はどれか。

A

   婚姻(こんいん)(注1届を出すには、姓を夫婦どちらかのものにそろえなければならない。いまの民法(みんぽう)はそう定めている。姓を変える妻か天は、もとの姓で積み重ねてきた仕事の実績や人間関係のリセット(注2を迫られる。特に働く女性には抵抗感を抱く人が少なくあるまい。(中略)そこで希望する夫婦に限って結婚前の姓を選べるようにする。それが①選択的夫婦別性(べつせい)だ。

   選択的夫婦別姓への改正を法制審議会(ほうせいしんぎかい)答申(とうしん)したのは13年前。以来、導入を阻んできた反対論は次のようなものだ。夫婦が同じ姓を名乗(なの)るのは日本の伝統であり、文化だ。夫婦別姓では家庭のきずな(注3)が崩壊する。なにより子どもが混乱し、教育上よくない。だが、家族のきずなは同じ姓だからといって保たれるわけではない。(中略)

   政府は法案の提出をためらうことなく、国会は議論を先送りしないで決着をつけるべきときである。

                                                             (「朝日新聞」2009年10月16日)

(注1) 婚姻:結婚すること

(注2) リセット:再び初めの状態に戻すこと

(注3) きずな:家族・友人などの結びつきを離れないようにつなぎとめているもの

 

 

 

 

 

 


(

B

   婚姻時(こんいんじ)に夫婦が同姓(どうせい)別姓(べっせい)を選択できる①選択的夫婦別姓(べっせい)制度の導入が現実味(げんじつみ)を増してきた。しかし、自民党などの保守系議員から「家族の一体感を損なう」「親子が違う姓になるのは子の福祉に反する」といった反対論が強く出され、法改正が見送られてきた経緯がある。(中略)

   毎日新聞が96年に16〜49歳の女性約3500人を対象に実施した世論調査では、56%の女性が制度に賛成したが、5人に4人が自らは別姓にしたくないと回答した。あくまで「選択的」であり、少数派の意思を尊重しようとの民意(みんい)が調査結果からは読み取れる。

   その観点から考えても、制度導入には前向きの姿勢で臨むべきだ。

                                                                        (「毎日新聞」2009年10月6日) 
1.

AとBの下線部①選択的夫婦別姓とは何か。

2.

選択的夫婦別姓について本文中に出てきた反対論と違うものを選べ。

3.

選択的夫婦別姓制度についてAの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

A

   昼間の明るい時間を有効利用するための「サマ-タイム(夏時間制度)」の導入に向けた関連法案の次期国会提出が確実視されている。サマータイムは日照時間が長い期間、時計の針を一時間進める仕組みだ。戦後導入された時期もあたが、労働時間が増加するなどの理由で廃止れた。今般、照明や冷房などの電力節約、つまり温暖化対策として再度提言された。さらに夕方の明るい時間帯のレジャー活動活性化によって約九千七百億円の経済効果、十万人の雇用創出につながるという。経済波及効果もさることながら、サマータイムは自然のサイクルに合った生活スタイルを考える契機ともなり、「アフタ一五」に家族や友人との付き合い、余暇活動など「潤いのある生活」を取り戻すこともできると期待されている。

B

   温暖化対策の一環としてサマータイム制度の導入が提言されている。豊かなライフスタイル、省エネ、経済波及効果など、その効果に期待が高まっている。しかし、サマータイムが身体のリズムや睡眠に悪影響を及ぼすことは、多くが指摘するところだ。ヨーロッパでは、時計の針を一時間進めたことで、睡眠時間が短くなり睡眠効率も低下するという調査報告がある。日本人の睡眠時間は年々減っており、欧米諸国の平均より一時間短い。しかも八0%の人が夜十時過ぎても起きている夜型社会だ。中高生では夏休みに就寝時間が遅くなり、新学期に起きられず不登校になるケースもある。不眠症に悩む高齢者も多い。夏冬の日照時間の差が大きい北半球の高緯度地域では効果もあるだろう。それをそのまま日本に当てはめることはできない。日本では現在四五人に一人が不眠などの問題を抱えており、うつ病に伴う不眠も多い。温暖化対策の視点も重要だが、健康への影響を考慮するべきだろう。

1.

サマータイムを導入することに関して、AとBのどちらの記事にも触れられている内容はどれか。

2.

 サマータイム制度の導入について、Aの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

3.

サマータイム導入検討に当たって、AとBの筆者がそれぞれ重視しているものは何か。