Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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124

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読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   才能というのは誰でも同じようにあるわけではないし、勉強の才能がない人がそれ以外の才能を持っているという保証もない。それでも、様々な才能があり得るわけだし、自分の才能を探して、そこで頑張って心楽しくなれる人もきっと大勢いると思う。もちろん、何をやってもダメだということもあり得るわけだし、それは仕方がないことである。重要なことは、自分で自分のやり方を決定し、余り後悔しないことである。才能があってもなくなっても、自分なりの規範を見つけ、その中で自足することができれば、人は善く生きられると私は思う。

1.

筆者がここで最も言いたいことは何か。

情報技術(IT)の進歩に伴い、ITを使いこなせる人とそうでない人の間で得られる情報量の違い、いわゆる「情報格差」が生まれている。この情報格差は、IT化とは別の側面からも生じ得る。そのつが、外国人などが言語の問題で情報にアクセスできないことだ。その対応策とし、多は言語によろ情報提供が進められている。例えば東日本大震災の際にもインターネットやラジオを通してさまざまな多言語情報が発信されたが、現在の課題は、その「伝達方法」である。いくら情報を発信しても相手に届かなければ意味がない。情報が屈くには、発信メディアが日頃から外国人民に広く認知され信糈されるものになっていなければならない。

2.

この文章によると、多言語による情報提供の現在の昆題は何か。

   “仲が良い家庭”は理想的なようで、一歩間違うと“崩壊した家庭“につながる危うさがある。特に、父親が、社会の厳しさを教え、子どもに社会化を促すという父親本来の役割を果たせないと問題である。子どもの社会的白立には、実際の父親ではなくても「父親」の役目を果たす人が不可欠である。

   ある人が家庭を航海中の船に例えて言った、嵐が来たら、子どもがいくら「こっち来て」と頼んでも、子どもを放っておいて必死に舵取り(注)を続けなければ船は沈む。それなのに、舵取りを放棄して子どもの機嫌を取る親が多いと。

   このような「父親」の不在が、最近、日本の家庭で増えているように感じるのは気のせいだろうか。

(注)舵取り:舵(船の進む方向を決める道具)を操作して、船を定の方向に進ませること

3.

ここでいう「父親」の不在とはどういうことか。

   近代化された西洋風のマンションの中に一室だけ残された畳の間。ふつうその畳の間だけを和の空間と呼ぶのだが、本来の和は別のものである。むしろ西洋化された住宅の中に畳の間が何の違和感もなく存在していること、これこそ本来の和の姿である。

(中略)

   畳の間や和服そのものが和なのではなく、こうした異質のもののなごやかな共存ことが、この国で古くから和と呼ばれてきたものなのである。少し見方を変えるだけで、この国の生活や文化の中で今も活発に働く本来の和が次々にみえてくる。

4.

筆者の言う本来の和と合っていないものはどれか。

   イジメの問題は、おそらく現代の教育の最大の問題であって、「落ちこぼれ」や「暴力」と重なることもあるにしても、それ以上に重要な問題としてある。イジメは昔からあったにしても、学校社会と子ども社会が二重であったころには、先生に受け入れられる子が仲間からいじめられたりして、それなりのバランスがあった。このごろではイジメラレっ子は、学校社会からのハミダシであって、先生のほうが内心で暗黙(あんもく)(注1)了解(りょうかい)をしているケースがよくある。「いじめられる側にもそれだけの理由がある」との言が、しばしば教師から語られることは、その背景で理解すべきだろう。

   これは、おとなの社会の反映、もしくは先どりとしてある。これからの社会で、ハミダシをいじめることが進めば、学校以上に陰惨(いんさん)(注2)人間社会が生まれるだろう。この意味でも、イジメの問題は現代の教育にとって重要性を持っている。

(森毅「生きていくのはアンタ自身よ 」PHP研究所)

(注1) 暗黙(あんもく):考えを表に出さないこと

(注2) 陰惨(いんさん)な:暗く悲惨(ひさん)

5.

文章の内容と最も合っているものはどれか。

   かなり能力のある人が何時まで経っても上昇気流に乗れず奇妙に不遇(ふぐう)(注1)であるという場合が少くない。 そういう(かたは例外なく親友がいないのを特色とする。深く語らえる友を見出すための努力を怠ったせいである。通常、親友が出来るのは二十歳前後である。その次には入社後三年以内である。れには人生の辛酸しんさんめた(注2)熟年同士が意気投合する(注3)光景も見られる。いずれにせよ友を求める気持ちの強い両者の幸運な出遭であいである。

(注1)不遇(ふぐう): 運がない

(注2)辛酸(しんさん)()める: 苦労を経験する

(注3)意気投合(いきとうごう)する: 気が合う

6.

この文章の内容と合っているものはどれか。

   ()の打ちどころのない人間は、いません。誰でも、どこか欠けています。欠けているところだけみつめると、自分はダメ人間だと思えてきます。劣等感(れっとうかん)とも言います。

   劣等感を忘れるときがあります。それは強いものの仲間に入って、「劣った人間」をばかにするときです。ほんとうは強くないのに、生まれつき強いものの仲間であるような気になって、劣等感から解放されます。

   差別されるものに、劣ったところがあるのでなく、差別するほうに、どこか劣ったところがあるのです。劣ったところを忘れるために、自分たちは強い仲間だという、つくり話をかんがえだします。自分たちは正常の人間だが、相手はきずものだときめつけることもあります。

(松田道雄『私は女性にしか期待しない』可岩波書店)

7.

文章の内容と最も合っているものはどれか。

「 ロ座振替」のご案内

  拝啓

   責社益々ご清栄のこととお喜び申し上げます。

「 ロ座振替」のご案内を甲し上げます。お客様のご指定銀行口座より毎月のご請求額を自動的に引き落とすことで振込手数料の節約ができるようになりました。毎月(20 日・25 日・未日のいずれかを選択)請求書をお迭りいたします。お支払い日は翌々月の10 日となります。ご希望の場合は別紙のロ座振替希望書をFAXしてください。折り返し正式な登録申込用紙をご郵送いたしますので、必要事項ご記入の上ご郵送ください。 尚、2011 年 3 月 31 日までにご登録いただいた場合は、クオカ- ド500 円分を差し上げます。

   敬具

8.

会社ができることはどれか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   人間の肉体は、 ①自然の環境変化に対しては、 かなり高度の適応を示す。しかし、 ②人工的な環境変化に対しては、 適応力が格段(かくだん)に落ちる たとえば、 鉄分は血液中のヘモグロビンの生成(せいせい)のために不可欠の物質である。 鉄分の摂取(せっしゅ)が足りないと貧血(ひんけつ)になる。この鉄分が過剰(かじょう)に摂取されると、 不必要な分は自動的に体外に排出(はいしゅつ)されてしまう。 人体の鉄分の吸収能力を調査してみると、 個人によって、 また、 同一人物でも日によって、 吸収能力が変化することが分かった。つまり、 体内の鉄分の量が増加すれば吸収能力は減り、 鉄分が減れば吸収能力が増すというシステムになっているのだ。

   もし、 水銀(すいぎん)やカドミウムについても、 これと同じような過剰摂取に対する適応システムが人体に(そな)わっていれば、 これらの人体に有害な物質によって発生した水俣(みなまた)病やイタイイタイ病などの公害問題は起こらずに済んだだろう。

なぜ、 人間の肉体は、 鉄分の過剰摂取に対しては自己を防衛することができても、 水銀やカドミウムに対しては防衛できないのか?

   それは、 鉄分がほとんどあらゆる食物に含まれていて、 つねに人体に入ってくることが予想されているのに対して、 水銀やカドミウムは、 自然状態の人間には入ってくるはずがないものだからである。 責められるべきなの は、 (  A ) ではなく、 (  B ) なのである。

( 立花隆「 文明の逆説」 講談社による)

1.

①「 自然の環境変化に対しては、 かなり高度の適応を示す」 例として正しいものはどれか。

2.

②「 人工的な環境変化に対しては、 適応力が格段に落ちる」 例として正しいものはどれか。

3.

(  A ) と(  B ) に入る最も適当な言葉はどれか。

   大きなものから小さなものまで、 東京には数え切れないほど公園がある。 私はもともと草や()が好きだったので、 公園で時間を過ごすのも楽しかった。

   ところが、 いつからか、 公園の中をのんびりと歩けなくなっていた。 まるでラッシュアワーの駅のプラットホームのように、 せかせかと歩く自分に気付き、 もっとゆっくり過ごしてもいいんじゃないかと自分自身に言い聞かせてみるのだが、 それができない。 なぜか? と考えても理由はわからなかった。周囲を(なが)めると、 花壇(かだん)を囲んだブロック、 丸く()り込まれた 樹木(じゅもく)歩道(ほどう)を固めたコンクリート、街灯(がいとう)(ほうき)で掃除した(あと)…… 、 人の手が入ったところばかり、 やたらに目についてしかたがなかった。 無理に緑の木々を眺めていようとすると何だか白けてしまって、 5分も続かない。これが公園嫌(こうえんぎら)いの始まりだった。

   公園は、目的など持たずに時を過ごす場所として、 木々や草原(くさはら)(さく)で囲っている。 私にはそれが庶民(しょみん)配給(はいきゅう)されたもののように思えてならなかった。必要な意味のある建物を作った残りの部分をほんの少しだけ分け与えられた土地、 そこでゆったりとした時間を過ごして元気になったら、 さあ、 次は街の中へ戻って働くなり勉強するなりしなさいと、 だれかに命じられている気がした。

   そう思うと、 今度は、 自分の ①暮らしが、 ばらばらに分断(ぶんだん)され人工化されていることに気付いた。 自分の部屋、 毎日利用する食堂やレストラン、 喫茶店、 図書館、 映画館など、 私はそれらを行ったり来たりして生活している。 「 いいじゃないか、 電車を使うほど広い家に住んでいると思えば。 」 という考えは、 私には、 気休(きやす)めにしかならなかった。

   私の公園嫌(こうえんぎら)いは、 (      )。

( 中沢けい『 往きがけの空』 河出書房新社による)

1.

筆者が公園嫌(こうえんぎら)いになったのはなぜか。

2.

②「 暮らしが、ばらばらに分断(ぶんだん)され人工化されている とあるが、 どういうことか。

3.

(      ) に入る言葉として最も適当なものはどれか。

   人はなぜ歴史を学ぶのか、直接役に立つわけでもない、過ぎさった時代のことを、なぜ知りたがるのか。ずいぶんと素朴な問いですが、こう聞かれてすぐに何らかの答えを言える人は、そう多くはないのではないでしょうか。

   本屋に行ってみると、歴史関係の本はたくさんあふれています。しかし、あたりまえのような話ですが、それらの歴史の本は現代の人間が書いたものだ、ということを最初に述べておきましょう。私たちは、①歴史は歴史であって現代のものではない、と考えがちです。たしかに、古墳(注1から出た石器(注2)とか、数百年前の古文書とかは、現代のものではありません。しかし、私たちが歴史と呼んでいるのは、そうした史料そのものではなくて、それを材料にして現代の人間が書いたもののほうなのです。石器や古墳は、②そのままではただの石のかけら、地面のでこぼこにすぎません。江戸時代にも石器はみつかっていましたが、多くの人は神仏や(てん)()のつくったものとみなして、歴史とは結びつけませんでした。史料そのものではなく、それを現代の人間が与えた意味が、「歴史」になるのです。

   つまり、③歴史とは、現代のものなのです。そしてそれは、現代に生きる人間によって書かれ、現代の必要にしたがって受け入れられてゆきます。

(注1)古墳:古代の墓

(注2)石器:古代に石で作られた道具

1.

歴史は歴史であって現代のものではないと考える人が多い理由は何か。

2.

そのままではとあるが、どういうことか。

3.

歴史とは、現代のものなのですとあるが、どういうことか。

   威張るのはよくないと思っている人が多い。しかし、威張るとは自分の役割に忠実になることである。そして役割に忠実になるとは、自分の権限と責任を自覚し、それを打ち出す勇気をもつということである。たとえばスチュワーデスが「お客さま、お煙草はサインが消えるまでお待ちいただけないでしょうか」というのは自分の責任に忠実な瞬間である。出すぎたことでもないし、生意気をいっているわけでもない。教授が学生に「レポートは事務室に提出のこと。拙宅に郵送しても採点しない」というのは教師の①権限を発揮しているわけで、権威主義とか押しつけというわけではない。

   自分の役割を明確に打ち出さないから後で後悔したり、人に無視されたり、なめられたりするのである。組織とは役割の束である。各自が自分の役割に忠実になるから組織はスムーズに動くのである。②遠慮は無用とはこのことである。ところが給料は役割に払われていることの自覚が足りない人がいる。いつもニコニコして人の和を保っている好人物であるという理由で給料をもらっているわけではない。権限と責任を発揮するという契約を果たすからこそ給料をもらっている。つまり給料をもらうには気合がかかっている必要がある。これを私は威張ることをためらうことなかれと少し極端に表現してみたのである。

1.

筆者が言う①権限を発揮している例としてふさわしいものはどれか。

2.

筆者は、何に対して②遠慮は無用だと言っているか。

3.

筆者の考えと合っているものはどれか。

   私は、世界初、日本初、業界初、市場初などとついた商品が出るとワクワクするというミーハー(注)だ。電卓が小型化、薄型化を競いはじめたころ、名刺サイズで厚さが5ミリメートルくらいのが初めて発売されたときには、結構な値段にもかかわらず飛びついてしまった。

   数字に弱いにもかかわらず、仕事で電卓を使うことが多かった私にとって、電卓をいつも身につけることができる名刺サイズは、①大きな福音に思えだ。しかも、出はじめの商品であるだけに、同僚たちに自慢ができるというミーハー心もくすぐられたからでもある。

   しかし、買ってしばらくは定期入れと一緒に持ち歩いていたが、1カ月もしないうちに元の電卓を使うようになり、カード電卓は机の引き出しで(ほこり)をかぶってしまうようになった。②それは、名刺サイズにするためにキーを小さくており、しかもその操作感も頼りないために使いにくかったからである。また、胸ポケットなどに入れると、本体がねじれるため接触不良をおこし、故障したりもした。そういったことがあったため、その後、電卓が薄型化を競い合い、キーの突起がないフラットなものまで出てきたが、さすがにミーハーの私でも飛びつくことはなかった。もちろん、名刺入れに入るというカード電卓のよさはあるが、ある意味では非常用であり、指の大きさや器用さから言えば、ものには「適度な」大きさがあることを学んでのである。

(注)ミーハー: 程度の低いことに熱中しやすく、流行に左右されやすい人

1.

筆者には、なぜ①大きな福音だと思えたのか。

2.

それは何を指しているか。

3.

名刺サイズのカード電卓を使ったことで、筆者がわかったことは何か。

   非常ベルのたぐいで、一番心に残っているのは、ケニヤで見たものである。

   あれは何という動物保護区だったか、名前は忘れてしまったが、湿地帯(しっちたい)のまん中に、高床式(たかゆかしき)(注1)で建っていたホテルである。

(仲略)

   食堂の(わき)に、ガラス張りの大きなベランダがあり、そこから、目の前の沼沢地(しょうたくち)(注2)に水を飲みにくる動物を見物出来るようになっていた。

   そのホテルの部屋の、ベッドサイドにベルがついていて、「アニマル・コール」という札がついていた。

絶対に大丈夫だといっているが、象もいればヒョウもいる。①連中(れんちゅう)(注3)がその気になったら、体当たりだって出来るし、窓から(しの)び込むことも出来る。万一のときには、これを押せばいいんだなと、感心をしたのだが、これは私の早とちりであった。

   夜中に水を飲みにくる動物を、徹夜(てつや)で見張るわけにはいかない。何時に出てくるか(わか)らないし、一晩中にらんでいても出てこないこともある。

   そこで、自分の見たい動物を書いて、頼んでおくと、見張(みは)(注4)がいて、ヒョウが出たら、ヒョウを見たいと書いた人の部屋のベルが鳴るという仕掛(しか)けなのだ。

   「アニマル・コール」は、野獣襲撃(やじゅうしゅうげき)を知らせるのではなく、出ましたよ、見にいらっしゃいというサインなのである。

   私はヒョウとサイを頼んだ。

   鳴ることを祈りながら、いつ飛び起きてもいいよう、パジャマも着ず、着のみ着のまま、カメラと双眼鏡を枕もとに置いて横になったのだが、その夜、アニマル・コールは、沈黙(ちんもく)したままであった。

(向田邦子 『女の人差し指』文春文庫による)

(注1)高床式(たかゆかしき):床が地面から高いところにあるつくり方

(注2)沼沢地(しょうたくち):沼や浅い川になっているところ

(注3)連中(れんちゅう):彼ら

(注4)見張(みは)り:何かが起こるのをじっと監視(かんし)している人

1.

①「連中(れんちゅう)とはだれのことか。

2.

②「万一のとき」というのはどんなときか。

3.

「アニマル・コール」の説明として、最も適当なものはどれか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

   生老病死をなぜかみな嫌がります。できれば考えたくない。そこでどうするかというと、たとえば人間が生まれるのも特別なことだから、病院へ行ってくれというのです。そうして、お産は現在ほとんど病院で行われている。(中略)

   生老病死の最後の死ぬところですが、これも都会ではもう90% 、いや99% の人が病院で亡くなります。私の母は、95年の3月、自宅で死にましたが、いつの間にか死んでいました。しかし大半の人々は病院で死にます。このように死ぬ場所が病院に移ったのはここ25年の傾向で、急速にそうなりました。以前は半分以上が自宅で亡くなっていました。では、自宅で亡くなることと、病院で亡くなることの違いは何かーーー。 これは、我々が普通に暮らしている[  A ]の中に、[ B ]がなくなってしまったということなのです。だから、死が特別なことになった。そして特別なことは特別な場所で起こることになったのです。

   そんな現代は、 よくよく考えてみると、大変な異常事態なのです。生老病死というのは、人の本来の姿です。こっちが先で、何千年何万年も続いてきた間違いのないことなのです。都市よりも文明よりも何よりも先に生老病死があった。だから私はこれを「①自然」と呼ぶのです。人の一生は好きも嫌いもなく時期経過とともに変化していく。それが自然の姿なのだと私は思う。なのにいまは自然つまり本来の姿であるほうが異常になってしまった。

   かけがえのない未来を大切にしていない典型的な例をあげてみます。私は95年の3月に東大(注)をやめました。正式には94年の9月の教授会でやめることが決まりました。教授会のあと同僚の病院の先生が来られて、「先生、4月からどうなさいますかと話されるのです。「3月でおやめになるそうですね」「やめます」「4月からどうされるのですか」。これは、勤めはどうするのですかという質問です。私は「私は学生のときから東大の医学部しか行ったことがないので、やめたら自分がどんな気分になるかわかりません」と申し上げました。「やめてから先のことはやめてから考えます」と。するといきなり「そんなことで、よく不安になりませんな」と言うのです。思わず「先生も何かの病気でいつかお亡くなりになるはずですが、いつ何の病気でお亡くなりになるか教えてください」と言い返してしまいました。「そんなこと、わかるわけないでしょう」と言うなら、「それでよく不安になりませんな」と申し上げました。

   ここで②はっきりわかることがあります。特に東大のお医者さんです。大学病院ではしょっちゅう患者さんが亡くなるので、人が死ぬということが、自分の仕事の中にきちっと入っています。ところがそういうお医者さんが、自分が死ぬということに現実感を持っていない。自分が病気になって死ぬことよりは、勤めをやめたりやめなかったりする、そのことのほうがよほど重要なことだと思っているのです。

(注)東大:東京大学

1.

[ A ]  と [ B ] に入る言葉の組み合わせはどれか。

2.

筆者が①自然と考えるものはどれか。

3.

筆者は、どんなことが②はっきりわかると言っているのか。

4.

筆者の考えに最も近いものはどれか。

   現在、日本の漫画は「MANGA」として世界中で人気を博しています。同時に日本アニメも多くのファンを獲得しています。漫面に誘われ、日本にやってくる外国人も多く、 更に漫画から派生した日本文化も「クールジャパン」として、主にヨーロッパを中心に広まっています。漫画好きのフランス人が始めたイベント「ジャパンエクスポ」は、今年は 8 万 6 千もの人を集めました。漫画、アニメ、ビデオゲーム、コスプレなどばかりではなく、伝統的な囲碁、書道、武道なども紹介されました。この漫画・アニメは日本の成長産業になりつつあります。それを他国が①指をくわえて見ているわけがありません。特に中国は国を挙げてアニメ上産業育成に乗り出しました。その甲斐があって、今年は約13億円を売り上げた国産アニメを作ることができました。中国の子供たちは「鉄腕アトム・ドラえもん」など多くの日本アニメを見て育ってきましたが、今後は国産アニメを見て大きくなることは間違いありません。韓国やシンガポールなども国策としてニメの拠点となるべく力を注いでいます。中でもシンガポールはアメリカのアニメ学校を誘致して優秀な技術者を育成し、世界のアニメ制作を引き受けようとしています。

   漫画・アニメは単にそれだけに留まらず、総合ビジネスとして大きな魅力があります。 例えば世界的人気漫画「ポケモン」の成功にそれが伺われます。ポケットモンスターは 1996 年の発売以来、ゲームソフトや関連商品を合わせて累計で約 3 兆円の市場規模になりました。特にトレーディングカードと呼ばれる交換・対戦し合って遊ぶカードの売れ行きは未だに衰えていません。

ですから日本はこの産業で、②後塵を拝するわけにはいきません。しかしながら現在のブームを支えている作品の全ては個人のカによる物ばかりです。多くの才能ある作家・監督の存在が今の状況を作り上げたのです。いわば個人のカです。これで国を挙げて取り組む国々と競争できるか疑問を持たざるを得ません。今手を、打たなければ日本アニメブームは一過性に留まり、10 年もすれば③日本は埋没してしまうでしょう。

国の財政が悪化している現在、莫大な補助金を出すことは無理でしょう。しかし、 少ないお金でもアニメ産業振興に役立てる有効な方策があるはずです。お金は国が出し、 知恵は民間が出せば未来も明るいと思います。

 

1.

なぜ①指をくわえて見ているわけがないのか。

2.

なぜ②後塵を拝するわけにいかないのか。

3.

なぜこのままでは③日本は埋没してしまうのか。

4.

著者は日本の漫画アニメ産業の未来をどう考えているか。

 日本人には①テクニックという言葉に抵抗を感じる人が多いらしい。

「小手先のテクニックではなく、心が大事だ」

「表面的なテクニックではなく、ほんものの内容を身につけるべきだ」

   などと言われる。 テクニックという言葉は常に否定的に扱われる。テクニックは本質と関わりのない小手先の表面的な技術とれる。

   しかし、言うまでもないことだが、テクニックがあるから、物事を実践できる。理念だけ、理論だけでは何もできない。理念を実践するためには、それなりのテクニックが必要だ。いくら理想を高くてもテクニックがなければ、物事を実行できない。テクニックがあってはじめて、理念を現実のものにできる。

   私は、人生のほとんどがテクニックだと考えている。恋愛もテクニック、勉強もテクニック、人付き合いもテクニックだ。

   モーツァルトは②天才だったと言われる。その通りだと思う。 だが、摩訶(まか)不思議な能力がモーツァルトに備わって、音楽が次々と自動的に流れたわけではないだろう。モーツァルトは幼いころから父親に音楽の英才教育を受けた。そうしてさまざまなテクニックを身につけた。天才というのは、たくさんのテクニックを知り、それを適切に用いる能力を持った人間、ということにほかならない。

   人付き合いも、テクニックが必要だ。人に好かれるのも、実はテクニックにほかならない。人付き合いの上手な人は、意識的にテクニックを習得する必要がある。テクニックと割り切ることによって、練習ができる。テクニック自体を練り上げ、上達することができる。そのための修練を積むことができる。コミュニケーション術も、テクニックと考えて習得に努めてほしい。③この心構えがあってこそ、自分のものとして使いこなすことができるようになるはずだ。

   ただし、もちろん、人付き合いのテクニックというのは、人と人が理解し合えるようになるための道具でしかない。テクニックだけを身につけて、本当に理解し合うことを求めなければ、そのテクニックは意味がない。相手を本当に尊敬してもいないのに、テクニックだけで尊敬したふりをしても見破られる。すべてテクニックだということは、テクニックさえあれば心の交流は不要という意味ではない。自分の気持ちをきちんとわかってもらい、心の交流をなしとげる目的のために、テクニックがすべてを決する、という意味にほかならない。それについては誤解しないでいただきたい。

1.

日本人は①テクニックとはどんなものだと感じていると、筆者は言っているか。

2.

筆者は、 ②天才とは、どんな人だと述べているか。

3.

この心構えとは何か。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

   今の子どもたちはテレビやゲーム遊びが中心となってしまったから、疑問を持ったり質問したりする癖を失っている。与えられた情報をいかに使いこなすかが関心事になっているからだ。「疑う」のはかったるい、そのまま信じる方が楽なのに、と思う習慣が身についている。そのような場合には、「①断技術」を教えねばならない。「疑う」方が世界が広がり、もっと面白いことが隠れていることを実感させれば、子どもたちは「疑う」ことに夢中になると請け合える。

 「疑う技術」を教えるためには、大人が子どもを挑発する必要がある。次々と質問を発してアレコレ考える楽しみを味わわせるのだ。それによって子どもたちはいかに多くの不思議にとり囲まれているかがわかってくる。周囲の大人が「疑う心」を持っておれば、子どもも自然に同調するものなのだ。

   むろん、世の中が円滑に回るためには、②共通に定められたルールを「信じる」ということが欠かせないのは事実である。ルールそのものを信じ、みんながルールを守ることを信じ、ルール違反には罰則が科せられることを信じる、それがあってはじめて社会生活が営めるからだ。しかし、私はそのルールさえいったん疑い、納得の上で信じるとかみかかいうふうに変わるべきだと思っている。ルールは(かみ)(がか)り的に上から与えられるものではなく、社会を構成する人間が一致して決めるべきものであるという観念を養う必要がある。(中略)

 「疑う」ばかりで、「信じる」が後回しになるのは心配だと思われるかもしれない。私が言いたいことは、「疑った上で納得すれば信じる」ということである。そうであれば、何を信じ、何が信じられないかの区別がつくだろう。信じることをいったん留保して、疑い続けねばならない場合もあることを学ぶ必要もある。単純なルールであっても、いろんな側面があることを知ることは人生にとって大切であると教えるのだ。ルールだけではない。自然界の現象について「なぜそうなるの?」と疑問を持ち、機械や道具の仕組みに「どんな仕掛けになっているの?」と考え、世の中の風習に「なぜそうしなければならないの?」と不審に思う。そのように疑い続けることが自然や社会の実相をつかむ根源の力になると思うのだ。単純に信じる方が時間がかからず手っ取り早いが、それでは社会に従属するだけになってしまう。

1.

疑う技術とはどういうものか。

2.

筆者は、②共通に定められたルールについてどのように考えているか。

3.

「疑う」ことにはどのような利点と難点があるか。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   婚姻(こんいん)(注1届を出すには、姓を夫婦どちらかのものにそろえなければならない。いまの民法(みんぽう)はそう定めている。姓を変える妻か天は、もとの姓で積み重ねてきた仕事の実績や人間関係のリセット(注2を迫られる。特に働く女性には抵抗感を抱く人が少なくあるまい。(中略)そこで希望する夫婦に限って結婚前の姓を選べるようにする。それが①選択的夫婦別性(べつせい)だ。

   選択的夫婦別姓への改正を法制審議会(ほうせいしんぎかい)答申(とうしん)したのは13年前。以来、導入を阻んできた反対論は次のようなものだ。夫婦が同じ姓を名乗(なの)るのは日本の伝統であり、文化だ。夫婦別姓では家庭のきずな(注3)が崩壊する。なにより子どもが混乱し、教育上よくない。だが、家族のきずなは同じ姓だからといって保たれるわけではない。(中略)

   政府は法案の提出をためらうことなく、国会は議論を先送りしないで決着をつけるべきときである。

                                                             (「朝日新聞」2009年10月16日)

(注1) 婚姻:結婚すること

(注2) リセット:再び初めの状態に戻すこと

(注3) きずな:家族・友人などの結びつきを離れないようにつなぎとめているもの

 

 

 

 

 

 


(

B

   婚姻時(こんいんじ)に夫婦が同姓(どうせい)別姓(べっせい)を選択できる①選択的夫婦別姓(べっせい)制度の導入が現実味(げんじつみ)を増してきた。しかし、自民党などの保守系議員から「家族の一体感を損なう」「親子が違う姓になるのは子の福祉に反する」といった反対論が強く出され、法改正が見送られてきた経緯がある。(中略)

   毎日新聞が96年に16〜49歳の女性約3500人を対象に実施した世論調査では、56%の女性が制度に賛成したが、5人に4人が自らは別姓にしたくないと回答した。あくまで「選択的」であり、少数派の意思を尊重しようとの民意(みんい)が調査結果からは読み取れる。

   その観点から考えても、制度導入には前向きの姿勢で臨むべきだ。

                                                                        (「毎日新聞」2009年10月6日) 
1.

AとBの下線部①選択的夫婦別姓とは何か。

2.

選択的夫婦別姓について本文中に出てきた反対論と違うものを選べ。

3.

選択的夫婦別姓制度についてAの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。

A

   マンガやアニメ、ゲームは今や日本の代表的文化であり、その資料は歴史的に貴重な文化財であるにもかかわらず、きちんと保存されてこなかった。ごく最近まで、アニメのセル画やマンガの原画はゴミ同様に廃棄されていた。保存すべきだという意識が制作者にも周囲にもなかった。一方、海外では、このような日本のアニメのセル画を収集し、大切に保存しているコレクターがいる。その展覧会も開かれたほどだ。このままでは日本で生まれ、発展した文化が海外に流出し、日本で研究できなくなるおそれがある。

   したがってこれらの資料を保存し、今後、アニメやマンガに関する幅広(はばひろ)い研究や分析を可能にする施設を建設することが求められる。

   このような施設は、収集・保存や研究活動を安定して行うためにも、経済状況に左右される民間より、国による設置が望ましいと考える。

B

   マンガやアニメはもともと一般の人々の中から生まれ育ってきたものである。その陰にはマンガ界をリードしてきた先人(せんじん)が、若い才能に目をかけて育ててきた歴史がある。こうした民間の中で発展した文化を尊重する気持ちを忘れてはいけない。

   国がマンガやアニメのためにお金を出すことには大いに賛成だが、それなら、たとえば、アニメーターやマンガ家志望の若者を格安(かくやす)で住まわせるアトリエのような住居を提供し、次代を(にな)う才能を育てるというのはどうか。新しい施設を建設するよりずっと安くできる。

   そのほか、メディア芸術祭の賞金を増やし、受賞者に生活費の心配をせず一年間思い切り作品作りに打ちこんでもらうとか、若い芸術家を海外に派遣する制度を拡充(かくじゅう)するとか、やるべきことはたくさんある。

1.

AとBのどちらにも触れられている内容はどれか。

2.

Aの意見とBの意見で、一番違っている点はなにか。

3.

アニメのセル画やマンガの原画が保存されてこなかった理由は何か。