Đề thi luyện kỹ năng Đọc hiểu - JLPT N1

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Hoàn thành
読解
問題1 次の文章を読んで、文章全体の内容を考えて、以下の中に入る最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   食器のバラエティこそ、日本のやきもの(注)の特色の一つだと思います。そして、日本人のやきものに対する思いとか愛着は、食器のみならず、種類の豊富さにあらわれているといってもいいでしょう。

   私たちは食事のたびに、もちろん料理も食べていますが、知らずに目で食器も食べているのです。だから興味・関心がないというのは、不注意なだけなのです。すでに下地はできているのですから、あと一歩踏み込めば、やきものに興味・関心がグッと深まるはずなのだと思います。

(注)やきもの:陶芸品

1.

筆者の考えに合うのはどれか。

   才能というのは誰でも同じようにあるわけではないし、勉強の才能がない人がそれ以外の才能を持っているという保証もない。それでも、様々な才能があり得るわけだし、自分の才能を探して、そこで頑張って心楽しくなれる人もきっと大勢いると思う。もちろん、何をやってもダメだということもあり得るわけだし、それは仕方がないことである。重要なことは、自分で自分のやり方を決定し、余り後悔しないことである。才能があってもなくなっても、自分なりの規範を見つけ、その中で自足することができれば、人は善く生きられると私は思う。

2.

筆者がここで最も言いたいことは何か。

   サッカーには全く不案内(ふあんない)なのだが、 いつも思うのは、 サッカーファンがどうしてあそこまで熱狂的(ねっきょうてき)になれるのかということである。 あの競技にはきっと魔力(まりょく)があるのだろう。 そうでなければワールドカップの異常な()()がりは説明がつかない。 日本にいるとよくわからないが、 海外では観客同士(どうし)乱闘(らんとう)などが当たり前だと聞く。いわゆるフーリガンだけではなく、 一般のファンが暴徒(ぼうと)()して死傷者(ししょうしゃ)まで出る、というのもめずらしくないらしい。 そんなスポーツは他にないだろう。

( 近田春夫『 僕の読書感想文』 国書刊行会による)

3.

筆者の言いたいことは次のどれか。

   夜の時間に行う野球そのほかの試合を「ナイター」と言っている。「デーゲーム」に対して「ナイトゲーム」といういい方も最近よく聞くが、「試合」のことを平気で「ゲーム」というようになったのは比較的最近のことではなかろうか。それまでは「ゲーム」というと子供の遊びというニュアンスが強かった。だから、真剣勝負の気合で臨む試合に対して「ゲーム」という言葉を使うのは抵抗があったことだろう。

4.

「ゲーム」という言葉について、筆者はどう考えているか。

問題2 次の(1)から(5)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

   仮にあなたが知りあいから、エチオピアで飢餓に苦しむ難民救済のための募金に協力してくれと頼まれたとしよう。はじめから断ってしまえば、多少のうしろめたさは残るもののそれで一応、①事態は収まる。しかし、もし協力を表明したとすると、あなたは、募金箱に百円入れても、千円入れても、一万円入れても「なぜもっと出せないのか」と言われるかもしれないという、「つらい」立場に立たされることになる。

  (中略)先進国が今ある繁栄を獲得した要因となった種々の経済活動は、地球という、人類全体が共有すべき有限の資源を消費した結果であるという視点もありうる。そう考えるなら、南北の経済格差や南の国の飢餓の宿題は、その共有資源を消費した代償として得られた経済活動の果実の偏在に起因するものであり、単に、ある特定の地域の問題ではありえないという議論が妥当性を持つことになる、資源の消費に関しては最大の「貢献国」のひとつである日本の国民としては、自分だけ高い生活水準をエンジョイしつつ、世界に蔓延する飢餓は自分の問題ではないとは言いきれない。

   ②ボランティアが経験するこのような「つらさ」は、結局、自分ですすんでとった行動の結果として分自身が苦しい立場に立たされるという、一種のパラドックスに根ざすものである。

                             (金子郁容「ボランティアもうひとつの情懶社会」岩波書店による)

1.

事態は収まるとは、具体的にはどういうことか。

2.

筆者の考えによると、南北の経済格差や飢餓の問題を引き起こした要因は何か。

3.

ボランティア経験するこのような「つらさ」とは、どのようなものか。

   日本料理に欠かせないのが出汁(だし)だ。和風の出汁の取り方は難しくはないが、料理のたびに出汁を作るのはかなり面倒だ。出汁の取り方も種々あるが、最もよく使う昆布と鰹節を使った出汁の取り方は以下の通りだ。(1)水 4 カップに昆布 8g を鍋に入れ、蓋をしないで火にかける。(2) お湯が沸騰する直前に昆布を取り出す。(3) 沸騰したら、鰹節 20g を入れて、すぐに火を消す。(4)鰹節が沈んだら、布巾を使って、 出汁をこす。一回ごとに作るのは面倒なので 2、3 日分作って冷蔵庫で保存する人もいる。それも面倒だとあって多くの人が今ではインスタントの出汁を使っている。インスタントの出汁はそのまま食材に混ぜて使うのが一般的だ。最近では出汁に醤油やみりん、 酒などを混ぜた液体のつゆの素が便利だと人気が高い。つゆなら醤油やみりんなどの分量を考える必要もない。誰もが失敗なく煮物などの日本料理ができる。

   ところで、海外で日本料理を作りたいと思っても調味料がなくてできない場合がある。出汁についてだけなら西洋料理でよく使われる調味料で代用することができるそうだ。驚いたことにケチャップで代用できるらしい。ケチャップをほんの少し使うことで日本の味ができる。ちょっと試してみたらどうだろうか。

1.

正しい出汁の取り方を述べているのはどれか。

2.

著者はどうして驚いたのか。

3.

最近の人は和風の調味料をどう使っているか。

  60年ほど前、児童心理学者シャーロット・ビューラーは、子どもが自分にできるようになった力を用いることに喜びを見出し、その力によって様々なことを発見し、育つことの重要性を指摘しました。彼女はこれを「機能の喜び」と名づけていますが、自分の力(機能)を使うこと自体が子どもにとって喜びであり、それによって学び、育つという、人間の発達の本質をいい(注)得て妙だと思います。

   代は、この「機能の喜び」がとかく無視されているのではないでしょうか。親は「良育」にせっかちなあまり、子どもが熱中していることに我慢できないようです。遠回りにも時間の無駄にもみえるのでしょう。そのため、自分の考える①「よかれ」の計画路線に子どもを歩ませようとします。(中略)

 「機能の喜び」を味わう機会の減少は、自分が学ぶ力をもっていることについて知る体験を子どもから奪うことでもあります。同時に、子どもの自己効力感を育てる機会を奪っています。日本の子どもたちは、ある程度の能力をもっていても自信をもてない傾向が強いのですが。自力達成の機会の少なさも一因でしょ、親の過剰な教育熱がかえって、子どもが自ら育つことを疎外してしまっているのです。その意味でも、子どもの発達権」の保障は急務です。

(注)いい得て妙:実にうまく言い表している

1.

①「よかれ」の計画路線とはどういう意味か。

2.

筆者は、現代の親にはどのような特徴があると述べているか。

3.

ここで言う、②子どもの「発達権」の保障とはどういうことか。

問題3 次の文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。

 日本人には①テクニックという言葉に抵抗を感じる人が多いらしい。

「小手先のテクニックではなく、心が大事だ」

「表面的なテクニックではなく、ほんものの内容を身につけるべきだ」

   などと言われる。 テクニックという言葉は常に否定的に扱われる。テクニックは本質と関わりのない小手先の表面的な技術とれる。

   しかし、言うまでもないことだが、テクニックがあるから、物事を実践できる。理念だけ、理論だけでは何もできない。理念を実践するためには、それなりのテクニックが必要だ。いくら理想を高くてもテクニックがなければ、物事を実行できない。テクニックがあってはじめて、理念を現実のものにできる。

   私は、人生のほとんどがテクニックだと考えている。恋愛もテクニック、勉強もテクニック、人付き合いもテクニックだ。

   モーツァルトは②天才だったと言われる。その通りだと思う。 だが、摩訶(まか)不思議な能力がモーツァルトに備わって、音楽が次々と自動的に流れたわけではないだろう。モーツァルトは幼いころから父親に音楽の英才教育を受けた。そうしてさまざまなテクニックを身につけた。天才というのは、たくさんのテクニックを知り、それを適切に用いる能力を持った人間、ということにほかならない。

   人付き合いも、テクニックが必要だ。人に好かれるのも、実はテクニックにほかならない。人付き合いの上手な人は、意識的にテクニックを習得する必要がある。テクニックと割り切ることによって、練習ができる。テクニック自体を練り上げ、上達することができる。そのための修練を積むことができる。コミュニケーション術も、テクニックと考えて習得に努めてほしい。③この心構えがあってこそ、自分のものとして使いこなすことができるようになるはずだ。

   ただし、もちろん、人付き合いのテクニックというのは、人と人が理解し合えるようになるための道具でしかない。テクニックだけを身につけて、本当に理解し合うことを求めなければ、そのテクニックは意味がない。相手を本当に尊敬してもいないのに、テクニックだけで尊敬したふりをしても見破られる。すべてテクニックだということは、テクニックさえあれば心の交流は不要という意味ではない。自分の気持ちをきちんとわかってもらい、心の交流をなしとげる目的のために、テクニックがすべてを決する、という意味にほかならない。それについては誤解しないでいただきたい。

1.

日本人は①テクニックとはどんなものだと感じていると、筆者は言っているか。

2.

筆者は、 ②天才とは、どんな人だと述べているか。

3.

この心構えとは何か。

4.

この文章で筆者が言いたいことは何か。

   生老病死をなぜかみな嫌がります。できれば考えたくない。そこでどうするかというと、たとえば人間が生まれるのも特別なことだから、病院へ行ってくれというのです。そうして、お産は現在ほとんど病院で行われている。(中略)

   生老病死の最後の死ぬところですが、これも都会ではもう90% 、いや99% の人が病院で亡くなります。私の母は、95年の3月、自宅で死にましたが、いつの間にか死んでいました。しかし大半の人々は病院で死にます。このように死ぬ場所が病院に移ったのはここ25年の傾向で、急速にそうなりました。以前は半分以上が自宅で亡くなっていました。では、自宅で亡くなることと、病院で亡くなることの違いは何かーーー。 これは、我々が普通に暮らしている[  A ]の中に、[ B ]がなくなってしまったということなのです。だから、死が特別なことになった。そして特別なことは特別な場所で起こることになったのです。

   そんな現代は、 よくよく考えてみると、大変な異常事態なのです。生老病死というのは、人の本来の姿です。こっちが先で、何千年何万年も続いてきた間違いのないことなのです。都市よりも文明よりも何よりも先に生老病死があった。だから私はこれを「①自然」と呼ぶのです。人の一生は好きも嫌いもなく時期経過とともに変化していく。それが自然の姿なのだと私は思う。なのにいまは自然つまり本来の姿であるほうが異常になってしまった。

   かけがえのない未来を大切にしていない典型的な例をあげてみます。私は95年の3月に東大(注)をやめました。正式には94年の9月の教授会でやめることが決まりました。教授会のあと同僚の病院の先生が来られて、「先生、4月からどうなさいますかと話されるのです。「3月でおやめになるそうですね」「やめます」「4月からどうされるのですか」。これは、勤めはどうするのですかという質問です。私は「私は学生のときから東大の医学部しか行ったことがないので、やめたら自分がどんな気分になるかわかりません」と申し上げました。「やめてから先のことはやめてから考えます」と。するといきなり「そんなことで、よく不安になりませんな」と言うのです。思わず「先生も何かの病気でいつかお亡くなりになるはずですが、いつ何の病気でお亡くなりになるか教えてください」と言い返してしまいました。「そんなこと、わかるわけないでしょう」と言うなら、「それでよく不安になりませんな」と申し上げました。

   ここで②はっきりわかることがあります。特に東大のお医者さんです。大学病院ではしょっちゅう患者さんが亡くなるので、人が死ぬということが、自分の仕事の中にきちっと入っています。ところがそういうお医者さんが、自分が死ぬということに現実感を持っていない。自分が病気になって死ぬことよりは、勤めをやめたりやめなかったりする、そのことのほうがよほど重要なことだと思っているのです。

(注)東大:東京大学

1.

[ A ]  と [ B ] に入る言葉の組み合わせはどれか。

2.

筆者が①自然と考えるものはどれか。

3.

筆者は、どんなことが②はっきりわかると言っているのか。

4.

筆者の考えに最も近いものはどれか。

問題4 次の(1)から(3)の文章を読んで、後の問いに対する答えとして最もよいものを、1・2・3・4から一つ選びなさい。

A

   婚姻(こんいん)(注1届を出すには、姓を夫婦どちらかのものにそろえなければならない。いまの民法(みんぽう)はそう定めている。姓を変える妻か天は、もとの姓で積み重ねてきた仕事の実績や人間関係のリセット(注2を迫られる。特に働く女性には抵抗感を抱く人が少なくあるまい。(中略)そこで希望する夫婦に限って結婚前の姓を選べるようにする。それが①選択的夫婦別性(べつせい)だ。

   選択的夫婦別姓への改正を法制審議会(ほうせいしんぎかい)答申(とうしん)したのは13年前。以来、導入を阻んできた反対論は次のようなものだ。夫婦が同じ姓を名乗(なの)るのは日本の伝統であり、文化だ。夫婦別姓では家庭のきずな(注3)が崩壊する。なにより子どもが混乱し、教育上よくない。だが、家族のきずなは同じ姓だからといって保たれるわけではない。(中略)

   政府は法案の提出をためらうことなく、国会は議論を先送りしないで決着をつけるべきときである。

                                                             (「朝日新聞」2009年10月16日)

(注1) 婚姻:結婚すること

(注2) リセット:再び初めの状態に戻すこと

(注3) きずな:家族・友人などの結びつきを離れないようにつなぎとめているもの

 

 

 

 

 

 


(

B

   婚姻時(こんいんじ)に夫婦が同姓(どうせい)別姓(べっせい)を選択できる①選択的夫婦別姓(べっせい)制度の導入が現実味(げんじつみ)を増してきた。しかし、自民党などの保守系議員から「家族の一体感を損なう」「親子が違う姓になるのは子の福祉に反する」といった反対論が強く出され、法改正が見送られてきた経緯がある。(中略)

   毎日新聞が96年に16〜49歳の女性約3500人を対象に実施した世論調査では、56%の女性が制度に賛成したが、5人に4人が自らは別姓にしたくないと回答した。あくまで「選択的」であり、少数派の意思を尊重しようとの民意(みんい)が調査結果からは読み取れる。

   その観点から考えても、制度導入には前向きの姿勢で臨むべきだ。

                                                                        (「毎日新聞」2009年10月6日) 
1.

AとBの下線部①選択的夫婦別姓とは何か。

2.

選択的夫婦別姓について本文中に出てきた反対論と違うものを選べ。

3.

選択的夫婦別姓制度についてAの筆者とBの筆者はどのような立場をとっているか。